第17話:二刀流への提言、苦悩の選択

支配下登録が目前に迫り、

雄太の練習にも、一層熱がこもっていた。

二軍の練習場でも、

彼の表情は、以前にも増して

自信に満ち溢れているように見えた。

練習への集中力も、さらに高まっている。

育成選手だった頃の、

どこか張り詰めたような緊張感は、

少しだけ和らいだように感じられた。

それは、彼が一つ、大きな目標を

達成しようとしているからだろう。


けれど、彼の努力は、

決して止まることはなかった。

むしろ、プロとしての契約を掴み、

支配下登録という次の目標が見えたことで、

より高いレベルを目指す、

という意識が強くなったようだった。

彼の野球ノートには、

これまで以上にびっしりと、

課題や目標が書き込まれている。

私は、そのノートを読むたびに、

彼の向上心に、改めて感銘を受けた。


二軍での試合でも、

雄太は投打両面で着実に結果を出し続けていた。

マウンドに立てば、

力強いストレートで打者を圧倒し、

打席に立てば、

鋭い打球を飛ばしてチャンスを作る。

その活躍は、二軍監督やコーチ陣の目を引き、

彼の名が、少しずつ、

球団内で知れ渡っていくのを感じた。


私も、雄太が出場する試合には、

できる限り足を運んだ。

スタンドから彼の姿を見つめるたびに、

胸がいっぱいになる。

彼の投げる球の重み、

バットがボールを捉える快音。

その全てが、私には、

彼の努力の結晶のように思えた。

彼の活躍を目の当たりにするたびに、

私は心から誇らしく感じた。

私の応援が、少しでも彼の力になっていると信じて。


ある日の夕食後、

雄太が珍しく、重い口を開いた。

彼の顔は、いつもより少しだけ険しく、

何かを深く考えているようだった。

「美咲、ちょっと、話があるんだ」

彼の言葉に、私の心臓が、

ドクンと大きく鳴った。

彼の表情から、ただならぬ雰囲気が伝わってくる。


「球団から、支配下登録についての

正式な打診があったんだ」

彼の言葉に、私は喜びで胸がいっぱいになった。

「本当!?おめでとう、雄太!」

私は、彼の手にそっと触れた。

けれど、雄太の表情は、晴れない。

私の喜びとは裏腹に、

彼の顔は、さらに曇っていく。


「ただ……」

雄太は、言葉を選びながら続けた。

「二刀流の継続には、慎重な声もあって。

球団としては、どちらか一方に絞ることを

打診されたんだ」


その言葉を聞いた瞬間、

私の心は、凍り付いたようだった。

二刀流。

それは、雄太が、肩の故障を乗り越えて、

再びプロを目指す上での、

彼の象徴とも言える夢だ。

それを、どちらか一方に絞る?

そんなこと、雄太にとって、

どれほど辛い選択だろう。

彼の目の輝きが、一瞬だけ、

翳ったように見えた。


「佐々木コーチは、俺の将来を考えて、

共に最善の道を探ってくれている。

でも、俺自身、どうしたらいいのか……」

雄太の声は、迷いを帯びていた。

その声を聞いて、私の胸は締め付けられた。

彼の苦しみが、痛いほど伝わってくる。

彼が、どれほど二刀流にこだわっているか。

私が、一番よく知っている。


私は、彼の手に、そっと自分の手を重ねた。

彼の掌は、大きく、そして温かい。

「雄太が、どんな選択をしても、

私が支えるから」

私の言葉に、雄太は顔を上げた。

その目には、感謝の色が宿っていた。

彼の苦悩を、私が少しでも

分かち合いたいと思った。

彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。

私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢だ。


その夜、雄太は眠れなかったようだった。

夜中に、彼の寝返りを打つ音が、

何度も聞こえてくる。

私もまた、眠りにつくことができなかった。

投手として、マウンドで輝く雄太。

打者として、快音を響かせる雄太。

そのどちらかを選ぶなんて、

私には考えられない。

まるで、彼の半分を切り捨てるようなものだ。

それでも、それが彼の夢を叶えるための

「最良の道」だと、

球団が判断しているのだろうか。

私は、彼の隣で、ただ静かに、

彼が正しい答えを見つけられるように、

祈ることしかできなかった。


翌日も、雄太の顔には、

深い悩みの色が張り付いていた。

佐々木コーチとも、

何度も話し合いを重ねているようだった。

彼の口から「投手」や「野手」という言葉が

出るたびに、私の心は揺れた。

彼の体のことを考えれば、

どちらか一方に絞るのが、

賢明な選択なのかもしれない。

だが、彼の「二刀流」への情熱を知っているからこそ、

その選択が、どれほど彼にとって

重いものになるか、私には分かっていた。


彼の野球ノートは、

この数日、ほとんど書き込みがない。

普段ならびっしりと文字が詰まっているはずなのに。

その事実が、彼の苦悩の深さを物語っていた。

彼のペンは、二刀流の夢を挟むように、

静かに置かれていた。


夜、ソファに座り、

雄太が天井をじっと見つめている。

その横顔は、いつもよりずっと険しい。

彼の心の中を、覗き見ることができたら。

彼の苦しみを、少しでも分かち合えたら。

そう、心から願った。


私は、彼の隣にそっと座った。

彼の大きな手が、私の膝の上に乗っている。

その手を、そっと包み込んだ。

ひんやりとした彼の指先が、

私の体温で少しずつ温まっていく。

「雄太」

私が優しく呼びかけると、

彼はゆっくりと顔を上げた。

その瞳は、迷いを抱えている。


「美咲……」

彼の声は、掠れていた。

「俺、どうしたらいいんだろう」

彼の口から、弱音がこぼれたのは、

本当に久しぶりだった。

その言葉を聞いて、私は胸が締め付けられた。

彼が、どれほどこの選択で追い詰められているか。

痛いほど伝わってくる。


私は、彼の目を真っ直ぐに見つめた。

「雄太が、どんな選択をしても、

私が支えるから。

雄太の体が一番大事だよ」

私の言葉に、彼の瞳が、

僅かに揺れる。

「無理はしないで。

雄太が野球を続けてくれるなら、

どんな形でも、私は嬉しい」

私の言葉が、彼に届いたのだろうか。


雄太は、私の手をぎゅっと握りしめた。

その掌は、熱く、そして力強かった。

「美咲がそう言ってくれると、

俺は、すごく楽になる」

彼の言葉に、私は涙が止まらなくなった。

私の言葉が、彼を少しでも救えたのなら。

それだけで、私には十分だった。


その夜、雄太は、私に、

彼の胸の内を全て打ち明けてくれた。

投手として、マウンドに立つ喜び。

あの、ボールがミットに吸い込まれる瞬間の

快感。

そして、打者として、

バットでボールを捉える瞬間の、

全身に響き渡るような衝撃。

そのどちらも、彼にとって、

手放したくないものだった。


けれど、佐々木コーチとも話し合い、

自身の体と向き合った結果、

今は、野手として支配下登録を目指すことが、

最善の道だと感じていると。

「でもな、美咲」

彼の声が、少しだけ、悔しそうに震えた。

「それはあくまで、『今は野手』って意味だ。

俺の胸には、いつか必ず、

二刀流で一軍のマウンドに立つって、

秘めたる思いが燻ってる」


彼の言葉を聞いて、私は息をのんだ。

彼の目の奥に、あの頃と同じ、

いや、それ以上の強い輝きが宿っている。

彼は、決して二刀流の夢を諦めたわけではなかった。

ただ、今は、一度、別の道を通り、

力を蓄えようとしているだけなのだ。

私は、彼の真意を悟り、静かに頷いた。

その強い決意に、私の心は震えた。


「分かった。雄太が決めたことなら、

私も、全力で応援するよ」

私の言葉に、雄太は安堵したように、

ふっと息を吐いて微笑んだ。

その笑顔は、迷いを断ち切った、

清々しい笑顔だった。

彼の決意は、私の決意でもあった。

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