第18話:野手としての地獄、支える愛

野手として支配下登録を目指すと決意してから、

雄太の練習は、まさに地獄のように過酷になった。

二軍のグラウンドでの全体練習に加え、

彼は夜遅くまで、バッティングセンターに通い、

ひたすらバットを振り続けた。

これまで投手としても練習をしていた時間を、

全て野手としての技術向上に費やしている。

彼の練習着は、毎日、

汗でびっしょりと濡れ、

土埃で真っ黒になっていた。


手のひらには、いくつもの豆ができ、

それが潰れては、また新しい豆ができる。

彼のバットから放たれる打球は、

日を追うごとに、鋭く、重みを増していった。

乾いた快音が、夜のバッティングセンターに

響き渡るたびに、

私は彼の努力の全てを感じ取っていた。

その音は、まるで彼の魂の叫びのように聞こえた。


彼の体は、常に疲労の極限にあった。

食事中も、ソファに座っている時も、

彼の体からは、常に熱が発せられているようだった。

彼の表情には、疲労の色が濃く滲んでいる。

マッサージをする私の手にも、

硬く張った筋肉の感触が、痛いほど伝わってくる。

指先が、彼の体温に吸い込まれるようだ。

「大丈夫?」

私が尋ねると、彼はいつも「大丈夫」と笑う。

その笑顔は、どこか強がりにも見えたけれど、

私は彼の言葉を信じた。

彼の瞳の奥には、

決して折れることのない、強い意志が宿っていたから。

あの目に宿る炎が、彼を支えているのだ。


私にできることは、彼の体を休ませ、

心を癒やすこと。

そして、彼が安心して野球に打ち込めるよう、

全ての心配事から彼を守ってあげること。

彼の好きな料理を作り、

彼のユニフォームを洗い、

彼の隣で、彼の夢を信じ続ける。

それが、私の唯一の使命だった。

夜、彼の寝息を聞きながら、

彼の夢が叶うことだけを、

ただひたすらに願った。

彼の肩を優しく撫でるたびに、

彼の体が、少しずつ緊張を解き放っていくのを感じた。


支配下登録の期限が、刻一刻と迫っていた。

彼の努力が、報われるのかどうか。

私には、それだけが心配で、

不安で、夜も眠れない日々が続いた。

朝、鏡に映る自分の顔は、

少しだけやつれているような気がした。

けれど、そんなことよりも、

雄太の夢が叶うことの方が、

私にとっては大切だった。


会社の同僚たちも、

「田中くん、どうかな?」と、

声をかけてくるたびに、

私の心臓は、いつもより速く脈打った。

みんなが、彼のことを気にかけてくれている。

その優しさが、私には心強かった。

彼らの期待が、雄太へのエールになっている。

そう信じた。


佐々木コーチからも、

時折、連絡が入るようになった。

「雄太くんは、本当に努力家ですね。

野手としての才能も、素晴らしいものがある」

佐々木さんの言葉に、私は胸が熱くなった。

彼の努力が、確実に報われようとしている。

その事実が、私を奮い立たせた。

けれど、佐々木さんの声の奥に、

どこか、まだ結果が読めないという、

僅かな緊張感も感じ取れた。

それが、私の不安をまた募らせる。


ある夜、雄太が練習から帰ってきたとき、

彼のバットが折れているのを見つけた。

何度も練習で振り込みすぎたのだろう。

私は、その折れたバットを手に取り、

彼の努力の重みを、改めて感じた。

彼の汗と、血と、涙が、

このバットには染み込んでいる。

そう思うと、私はまた、

涙がこみ上げてくるのを抑えられなかった。


雄太は、私の涙に気づくと、

そっと私の頭を撫でてくれた。

「大丈夫だよ、美咲。

俺は、絶対、諦めないから」

彼の言葉は、静かだったけれど、

力強かった。

その強さに、私はまた、

彼の隣にいることの幸せを噛み締めた。

彼の温かい手のひらが、私を包み込む。

その温かさが、私にとっての、

何よりも確かな支えだった。


彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。

私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢になっていた。

彼の挑戦は、私にとっても、

人生を賭けた挑戦だった。

この先に何が待っていようと、

私は彼と共に、この道を歩んでいく。

そう、心に誓った。

夜空には、満月が煌々と輝いていた。

彼の温かい手のひらが、私の手を握る。

その温かさが、私たちの絆を、

何よりも強く、私に感じさせた。

私たちは、固く手を繋ぎ、

次の目標へと歩み始めた。

アオハルに還る夢。

その夢は、今、確実に、

私たちの目の前で、輝き始めていた。

支配下登録という、

確かな光に向かって。

その光を、私は、

ただひたすらに信じ続けた。

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