九重静夏は結ばれない

@yonakahikari

あるホテルにおいて

 会いたくないヤツと会ってしまった。


 九重ここのえ静夏しずかだ。


 獲物を狙う狐のような目と、口元に張り付けた薄っぺらい笑みが、いかにも胡散臭い男である。

 はだけたYシャツに皺だらけのスラックス。

 ヴィジュアル系ホストみたいな銀髪が、紫色のルームライトとミラーボールに照らされて派手に彩られている。

 綺麗だとは思わない。まるでペンキをぶちまけたみたいで、汚かった。

「よぉ、ユキ。元気?」

 軽薄な口元から、軽薄な挨拶が繰り出される。

 普段の僕なら当たり障りのない社交辞令を返すところだけれど、相手は九重静夏。僕がこの世で最も苦手とする相手である。

 しかもそんな男が、円形のベッドの上で、何故か手足を荒縄で縛られた格好で放られているのだから、反応に困る。

 なので僕は、ひとまず深呼吸をした。

「チェンジで」

「おい」

 回れ右して、ドアノブに手を掛ける。

 制止の声が聞こえたような気がするけれど、あの有り様では追いかけられまい。

 このまま聞こえないフリを決め込んで、退散してしまおうと思ったその矢先、肩をぐいっと掴まれる。

「お久しぶりです、初雪はつゆきさん!」

 半ば強引に振り向かされると、今度は、僕がこの世で二番目に苦手とする女が、ニコニコ顔でこちらを見下ろしていた。

 さっきまで居なかったように思うのだけれども、いったいどこから湧いてきたのだろう。

 ため息を吐きつつ、それを見返す。

「こんばんは、知らない人。そしてさようなら、見知らぬ人。ご縁があればまた会いましょう、縁もゆかりも無いどこかの誰かさん」

「え、忘れちゃいました? やだな、私ですよ。ほら、桜木さくらぎです。桜木さくらぎもも

 勿論、知っている。

 知っているから、関わりたくないのである。

 九重ここのえ静夏しずか桜木さくらぎもも

 『むすび屋』を名乗るこの二人と関わって、僕は損をした事しかないのだ。

 だから事務所がある雑居ビルの前は、どんなに急いでいても決して通らないようにしていたし、連絡先は着信拒否に設定していた。

 それがまさか、僕のアルバイト先に、客として連絡をしてくるなんて。

「あのですね、桜木さん」

「はい、なんでしょうか!」

 やたら元気のよい返事をする彼女に向き直り、僕は眼鏡の縁を押し上げる。

 嗚呼、面倒くさい。

 出勤して早々に、店長から指名が入ったと言われた時から、なんとなく嫌な予感はしていたのである。


『某駅南口のラブホテル、405号室だって。なんか、ユキくんのこと知ってるヒトみたいだったよ』


 そんな店長の言葉を思い出しながら、僕は再度のため息を吐く。

「男娼を買うにもルールというものがあるんですよ。ウチの店では複数人とか、そういうオプションはやっていないんです」

「だんしょー……?」

 知らないのかよ。

 という事は、連絡してきたのはあちらのクソ野郎で決まりだ。

「九重先輩」

「ああん?」

 首を傾げている桜木さんの肩越し、未だ拘束状態にある彼へと語りかけると、なんともガラの悪い返事が返ってきた。

「一応ね、こちらにも拒否する権利があるんです。そんなワケですから、特殊なプレイをお望みでしたらお二人で勝手にやってください」

 それではサヨウナラ。

 言って、再びドアノブに手を掛けようとすれば、桜木さんが慌てて僕の腕を掴み、引き止めた。

「ちょちょちょ、ちょっっっっっと待ってください!」

「……何ですか」

 げんなりしつつ、振り返る。

 焦った様子の桜木さんは、決して逃がさんとばかり僕の腕から手を離す事無く、ぺこぺこと頭を下げ始める。

「お仕事中、だったんですよね? 急に呼んじゃったのはゴメンナサイ! でも、助けて欲しいんです! もう初雪さんしか頼れる相手はいないんですよ!!」

「友達いないんですか?」

「友達にこんな状況見せられますか!?」

 たしかに。

 ラブホテルの一室で、縄で縛られた男性と二人きりの空間。

 何をそんなに困っているのか知らないけれど、そんな姿を見せられて困らない人間はこの世にいないだろう。

 そう考えたら、桜木さん的には僕を呼ぶのがベストだったのかもしれない。

 しかし、彼の方はどうなのだろうか。

 「九重先輩なら顎で使えるくらいに弱みを握っている相手の一人や二人、いるんじゃないですか?」

「あ? だからお前を呼んだんだろうが」

 殴ろうかな。

 今なら一方的にやれる。

「……はぁ」

 三度目のため息。

 観念して、僕は訊ねる。

「で、何をしろと?」

 問えば二人は、声を揃えて言うのだった。

「縄解いてくれ」

「縄解いてください!!」

 何を言っているんだろう、この人たちは。




——————




 “くちなわ”とは、蛇の事である。


 元々は、牛を引く時に使う『口取り縄』から来ていて、その縄と蛇が似ている事から、“くちなわ”は蛇を示す言葉になった、というのが由来だ。

 ちなみに言うなら、古来より蛇は、女性の象徴として扱われる事のある動物である。


「いやな? これ、『朽ち縄』ていう呪いの一品なんだけどよ」

 切り刻んでばらばらになった荒縄――朽ち縄をベッドに放り出し、首を鳴らしながら九重先輩は語る。

「無実の罪で縛り首になった花魁おいらんの霊が纏わりついてたんだよな」

「らしいですね! まぁ私は見えないんですけどね、はっはっはー!」

 何故か誇らしげな桜木さん。

「……それで、誰かから結んでほしいって頼まれたわけですか?」

 結び。起承転結の結。

 つまりは“終わらぬものを終わらせる事”が、むすび屋たる九重静夏、そしてその助手こと桜木桃の生業なりわいである。

「まぁそういう事だ」

「なるほど全く分かりません」

 別に、呪いだとか霊だとか、オカルトを信じていないというわけではない。

 むしろ僕は、幼い頃からそういうものが見えるクチだし、実家が祓い屋を兼任する神社だったので、そういったものには馴染みがあるくらいだ。

 今は哀れな残骸に馴れ果てたソレも、いわく付きの品物だったらしい事はなんとなく、感じられている。

「どうしてそんな物に、九重先輩が縛られていたんですか? しかも手足セットで」

 呪いの品という物は大抵、持っているだけで災いを呼ぶものだし、身に着けたりしようものなら、まず間違いなく何かが起きる。

 仮にもむすび屋などという、オカルトバスターを名乗っている九重先輩が、それを知らないワケが無い。

 仮に知らなかったとしても、普通の人間ならば、これに縛られようなんて思わないだろう。

「ちなみに縛ったのは私です!!」

 何故か誇らしげな桜木さん。

「根比べだよ」

 一言、結論を述べてから、九重先輩は言葉を続ける。

「これに縛られる事で、俺は挑発したのさ。呪い殺せるもんならやってみろ、てな」

「うっわ」

 思わず、怨霊に同情してしまった。

 九重静夏という人間は、見る人が見ればすぐに分かるくらいに、強靭で巨大な魂を持っている。自我エゴ、と言い換えてもいい。

 つまりは生命力に溢れた人間であり、そういった人間を呪い殺すには、霊の側もそれなりの力と消費を求められるのだ。

「なぁ桃、俺がここに籠もって何日経った?」

「んー、三日ですね」

「根性の無いヤツだったな。物があっちこっち飛んだり、デカい音が鳴ったり。間接的な脅迫ばっかりで退屈だったぜ」

 言って、大きな欠伸あくびを溢す九重先輩。

 対し、僕は少しばかりの安堵を感じ、肩を撫で下ろす。

 事案はとうに解決済みで、その後の処理という事なら、巻き込まれるのもまぁまだマシな方だ。

「しっかし、誤算だった」

「まさか縄を解くのがあんなに難しかったなんて……」

「桃が馬鹿なのを忘れてた」

「はぁー? ゼッタイに解けないように固く結べって言ったのは静夏さんでしょー?」

 縛り首にされた花魁の霊という事は、少なく見積もっても四百年ほど前の存在だろう。

 そんな年代物の怨霊と、今さっきまで戦っていたとは思えないくらい、能天気な口喧嘩である。

「普通に切ればよかったじゃないですか」

 僕がそうしたように。

 言うと、九重先輩はテーブルの上に置いてある、先ほど買ってきたステンレス包丁を一瞥いちべつして。

「ユキ。お前はこの女の不器用さを知らないからそんな恐ろしい事が言えるんだ」

 その女を助手に雇っているのは何故なんだろうか。

「そうですよ! 初雪さん、私がそんなの使ったら、静夏さんの手が無くなります!!」

 何故か誇らしげな以下同文。

 まぁ、何はともあれ。

「とにかく、これで僕はお役御免ですね」

 言って、僕はショルダーバッグを肩に負った。

 自他共に認める不器用な助手の代わりを務め終えたのだから、用事は済んだだろう。

 帰ろうとして立ち上がった、その時。

「まぁ待てよ」

「え、うわ」

 押し倒される。

 突然の事で大した抵抗も出来なかった僕を、先輩は妙に馴れた手つきで拘束した。

 馬乗りになり、前傾になって僕の両手をグッと掴む。バンザイをさせられているような体勢で、マウントを取られている事に対して、特に恥じらいや何かは覚えないのだが、嫌な予感がふつふつと再燃する。

「まだ二時間経ってねーぞ」

 コイツ……二時間コースで指名してやがったのか。

「でも用件は済んだんでしょう?」

 問えば、九重先輩は「フン」と鼻を鳴らした。

「まさか。ここからが本番だよ」

 眉をしかめた僕を見て、先輩は愉しげにニヤニヤと笑う。笑いながら、僕の顎をくい、と持ち上げた。

「二時間で七万円。ぼったくりだろ」

「相応のサービスはしてます。それに、貴方にだけは言われたくありませんよ」

 鼻先まで近寄る彼の顔を見て思う。

 睫毛長いな、この人。

 天は二物を与えない、なんて言うけれど。この人の場合は、無駄に良い容姿を天に返却して、モラルとか思いやりの心とか、そういう物を貰った方がいいんじゃないだろうか。

「お前がなんと言おうと、今は俺が客だ。元は取らせて貰う」

 言いつつ、九重先輩は「桃」と彼女を呼ぶ。

 呼ばれた彼女は、やけに爛々とした目付きで構えていたデジタルカメラをどこかにしまいながら「はい!」と元気良く答える。

 それから、これまたどこから取り出したのか分からないが、大きめのアタッシュケースを取り出して、ニコニコとしながらソレを開けた。

「じゃじゃーん」

 わざとらしくそう言ったのは九重先輩だ。

「うっわ」

 思わず戦慄の声を溢す僕。

「私が集めました!!」

 相変わらず、何故か誇らしげな桜木さん。

 そんな桜木さんの腕の中、開かれたアタッシュケースの中から手鏡、手帳、口紅、写真、指輪……様々な品物がこちらを覗いている。

 どう見ても、全て呪いの品である。

 しかも、全て別々の怨念が息づいている。

「……これ全部、引き受けたんですか?」

「俺の助手は優秀でね」

 いや、どう考えても集め過ぎだろう。

 一つにつき、いくら貰って回収してきたのか知らないけれど、これだけの品々が揃うといっそ壮観である。

 というか、九重先輩も異常だけれど、桜木さんの呪いに対する耐性も異常だ。普通はこれだけの品を持ち歩いていたら、いつ死んだっておかしくない。

 だというのに、優秀な助手さんはニコニコと、そして、心なしか先輩と僕の姿を食い入るよう見つめている。

「さぁユキ、ご奉仕の時間だ」

 言われ、僕は口元を引き攣らせた。

 狙いはいつも通り、これか。

 霊感があって、この手の品に知識がある僕を、九重先輩は呪いのアイテム専門の辞書兼便利な道具と思っているのだ。

 きっと逃げようとしたって、無駄なのだろう。

 あの手この手で振り切ったところで、次はいつ、どこで何を使って巻き込まれるのか、分かったもんじゃない。

 やはり、この人と関わるのは損だった。

 本日何度目かのため息を吐きつつ、僕は一応、訊ねるのだった。

「すっごいサービスするんで、勘弁して貰えませんか?」

「断る」

「すっごいサービスって何!? 静夏さんのナニにナニをしちゃうんですか初雪さん!! ねぇ!?」

 桜木さんだけが、すごく元気だった。

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