第8話 ダリル=ベルトレインの断罪

 ◆獣人の村民 ラクトは語る!◆


あの二人が村に来た日から、何かが変わった。


 俺はラクト。獣人の村の生まれで、父さんと一緒に狩りを手伝ってる。十六になったばかりの、まだひよっこだ。でも、それでも誓える。俺の生き方は、あの旅人たちに出会って、まるっきり変わったんだ。


 最初に見たときは、なんだか信じられなかった。


 村の門に立っていたのは、人間の男と女――人間なんて、旅商人以外でここに来ることなんてまずない。しかも男はやけにキラキラしてて、まるで舞台の劇に出てくる貴族様みたいだったし、女の人は小柄なのに腰にでっかい剣を下げてて、しかも右腕と左足が……金と銀に光ってた。


 最初は、ただただ怖かった。


 だって、人間って言ったら、森を焼いて、仲間を捕まえて売り飛ばした奴らの仲間だって思ってたし、実際そう教わってきた。でも、村長が彼らを見て、何も言わずに中へ案内した時点で、俺は少しだけ「違うのかも」って思った。


 その晩、俺は夕食を運ぶ係で、あの金髪の男――アリスターさんに皿を持ってったんだ。そしたら、あっちは俺の耳としっぽを見てニコニコして、


「おお、キミ、可愛いね! きっと女の子たちにモテるタイプでしょ!」


 って軽口を叩いてきた。


 ――可愛い?


 正直、耳やしっぽのことで人間にからかわれたことは何度もあるけど、「可愛い」なんて言われたのは初めてだった。俺は、きょとんとしてしまった。まるで悪意がなかったから。


 それから少しだけ打ち解けた。アリスターさんは、俺に魔法の話をしてくれた。炎の魔法は、怒りで燃やすんじゃなく、心の熱さで操るんだって。なんか難しいことも言ってたけど、「おまえみたいに好奇心がある奴は伸びるよ」って言ってくれたのが嬉しかった。


 そしてもう一人の旅人――エリーゼさん。


 彼女は、俺が見たどんな戦士よりも、静かで、そして強そうだった。派手じゃない。声もそんなに大きくない。だけど、あの目。あの目を見た時、背筋がゾクッとした。


 翌日、森にバジリスクを討ちに行くという話を聞いた時、俺は反対だった。


「やめたほうがいい! あんな魔物に挑むなんて、無謀だ!」


 叫んだ俺に、エリーゼさんは、優しく笑ってこう言った。


「でも、村の人が困ってるんでしょう? わたしが剣を振るのは、それを守るためよ。大丈夫。必ず帰ってくるから」


 その言葉を、俺はずっと覚えてる。


 そして彼女は、本当に帰ってきた。アリスターさんと並んで、ちっとも傷なんて負わずに。バジリスクを収納から取り出して土産として持ってきた。まるでちょっと遠出してきただけみたいな顔で。


 ……あのとき、俺は決めた。


 ――俺も、あんな風になりたい。


 ただ強いだけじゃない。誰かのために剣を取れるような、そんな戦士になりたいって。


 それまでは、狩りでうまく矢が当たらないと父さんに怒られてばかりで、自分なんか戦士になんかなれっこないって思ってた。でも、エリーゼさんだって、最初からあんなに強かったわけじゃないってわかった。訓練して、努力して、強くなったんだ。


 アリスターさんも、「最初は魔法で木を燃やしちゃって怒られた」とか、「王子だったけど、魔法以外はダメダメだった」とか、笑って話してくれた。


 旅立つ前の夜、俺はアリスターさんに頼んで、魔法のコツを教えてもらった。小さな火花だけど、俺の手から確かに光が生まれたんだ。感動で涙が出た。するとアリスターさんが、真顔でこう言った。


「最初の火花を忘れないで。いつか君が、誰かの希望になる日が来る」


 それが、俺の“はじまり”だった。


 あの二人が去ってから、村の空気も少し変わった。


 大人たちは、「また人間に頼ってしまった」とつぶやきながらも、どこかで感謝してる。子供たちは、「次に旅人が来たら、わたしも剣を見せてもらうんだ!」なんて目を輝かせてる。狩人の兄さんたちも、森に入るときの背筋がしゃんとしてきた。


 そして俺も、毎朝早く起きて剣の素振りをするようになった。まだまだ下手くそだけど、心の中には“目指す姿”がある。


 金と銀の光をまとって森を駆けた、あの少女。


 人を笑顔にする魔法を使いこなし、軽やかに生きる青年。


 ――いつか、俺もああなれるように。


 誰かを守れる強さと、迷わず剣を取れる心を持って、今度は俺自身が旅人となって、誰かの村を救えるように。


 そう、誓った。



◆いよいよマケドニア聖教国に到着◆


旅を始めて三日目。


 濃い緑に包まれた森の奥を抜けるにつれ、視界は徐々に開け始め、差し込む光が強くなってきた。木々の合間から覗く空は青く高く、湿気を含んだ森の匂いは、少しずつ風に薄められていく。


「……もうすぐ、森を抜けるわね」


 エリーゼは木の根に足を取られぬよう慎重に歩きながら、肩越しに声をかけた。


「うん、やっと陽の光に映えるボクの姿を、誰かに見せられる日が来たね」


 後ろから返ってきたのは、やけに明るい声と、風に揺れる金髪のきらめきだった。


 ナルシストの旅仲間、アリスター。


 旅をしているのか、見られるために歩いているのか分からない彼の言動には、もう少し慣れてきたつもりだったが、それでもときどき、頭が痛くなるようなことを言ってくれる。


 そんな彼と歩き続けてきた道は、やがて傾斜を下り、木立の間から大きな川の流れが見えてきた。


 澄んだ水が音を立てて流れるその川は、地図で確認していた国境に沿った自然の障壁――マケドニア聖教国との境界にある《神泣の川》だった。


(もうすぐ……本当に、向こう側ね)


 エリーゼが川辺に降り立ち、清流の流れに目を細めていたそのときだった。


 川の中央あたりに、人影があった。


「えっ……?」


 一瞬、目を疑った。


 川の中に、男が立っていたのだ。


 しかも――服を着たまま。


 白い神官服のような装束に身を包み、腰まで水に浸かりながら、男は静かに歩みを進めていた。足元を確かめるように、一歩ずつ、一歩ずつ。


「……え、泳ぐ準備なの? 服のままで?」


 首をかしげるエリーゼに、隣から鋭い声が飛んできた。


「違う。あれは――入水自〇だ!」


「はぁ!?」


 アリスターは突然、真剣な顔つきになり、風に髪を翻してひるがえ前に出る。


「見たまえ、あの絶望に濡れた背中……あの目は、自らの醜さに絶望した者のものだ」


「いや、待って、どうしてそんな結論に……」


「きっと、鏡に映った自分の姿に耐えられなかったんだ。ボクのように美しく生まれていれば、そんな悩みは無縁なのに……なんて哀れで残酷な世界だ!」


「いやいやいや、どんな理屈よそれ!」


 エリーゼはツッコミを入れつつも、男の様子を見直す。


 確かに、川の真ん中に向かって歩いていくその足取りは、どこかふらついていて、目線も定まっていない。


 そして――


「やばい、本当に危ないかも!」


 男が両腕を広げた瞬間、エリーゼは思わず川に駆け込んでいた。


「ちょ、待ってエリーゼ君! ボクの服が濡れる! ……が、しかし!」


 続く水音。遅れてアリスターも川へ飛び込んでくる。


 二人は急流に足を取られそうになりながらも、何とか男にたどり着いた。


「ちょっと、あなた! ここで何してるの!? 早く岸に戻らないと――!」


 エリーゼが声をかけると、男ははっとしたようにこちらを見た。


 年の頃は二十代前半な痩せ型で、青い髪に銀縁の眼鏡が鼻先にかかっている。濡れた神官服に身を包んでいたが、目は虚ろで、どこか諦めの色が浮かんでいた。


「……放っておいてくれ。拙者は……拙者は聖都に戻れない……」


「何言ってるのよ! 戻れないなら、別の道を探せばいいじゃない!」


「人生に別の道など……」


 ぶつぶつと呟く男の肩を、アリスターがぐっと掴んだ。


「君、自分が醜いと思っているんだろう?」


「……は?」


「分かるよ、その気持ち。鏡を見るのがつらくて、水面を覗けば溺れたくなる。でもね、それは勘違いだ」


 エリーゼが「あんたは何を言ってるんだ」とツッコミを入れそうになる前に、アリスターはぐいと胸を張った。


「だって、君の顔はそこまで醜くない。まあ、ボクの足元にも及ばないが、絶望するほどではないよ!」


「……」


 男はぽかんと口を開けたまま、沈黙する。


(いや、なんで慰めてるのに地味に傷つけてるの……)


 エリーゼは半ば呆れながらも、アリスターが男の腕を引き、ゆっくりと岸辺へ導くのを手伝った。


 やがて三人はびしょ濡れのまま、川のほとりに座り込む。


「はぁ……無茶した……」


「ふふ、でもボクの髪は乾くとふんわりと戻るから安心してくれたまえ」


「そんなこと聞いてない!」


 エリーゼが怒鳴ると、アリスターはケロッとした顔で笑っていた。


 一方、神官風の男はようやく正気を取り戻し、小さく頭を下げた。


「……助けてくれて、ありがとう。拙者の名はダリル。マケドニア聖教国の神殿に仕えていた者です」


「だった……ってことは、追放されたの?」


「……はい。聖女が実は魔族だったと訴えた結果、逆に弾劾され……処刑される前に逃げてきたのです。拙者など生きる価値がありません」


 重く沈んだ口調に、エリーゼは眉を寄せる。


 マケドニア聖教国――その名の通り、信仰が全てを支配する国。特に聖女の権限は強く、神意に背いたとされれば、どんな者でも裁かれる。


「なるほど、聖女が魔族って、絶望するわけだ」


 アリスターがうんうんと頷く。


「でもね、君を見たとき、ボクは思ったよ。水に入る君の姿は、まるでボクの影を映す鏡のようだった、と」


「……つまり、拙者はだめな人間だと?そういう意味でしょうか?」


「まったく違うよ。まー、分からなくていい。ただ一つ言えるのは――キミも、ボクに出会えた時点で幸運だということさ」


 アリスターは神妙な顔で言い、すぐにいつもの自信たっぷりな笑みに戻った。


「……拙者はあなたに会えて幸運だったのですか?」


「美しいボクに助けられたのだから幸運以外の言葉はいらないよ」


 エリーゼは思わずため息を漏らしながら、濡れた髪を絞った。


 旅は続く。今度は神官を一人加えて。


 騒がしく、濡れた始まりだった。けれど――確かに、大切な何かを救った気がしていた。


◆ダリル=ベルトレインの断罪◆


ダリル・ベルトレインは、かつてマケドニア聖教国の神殿に仕える神官だった。


 神に仕え、祈りを捧げ、清貧と誠実をもって人々に導きを与えることを、その胸に誓った。


 彼は優秀だった。若くして祭文の解釈に通じ、教義の講話にも長け、何よりその温厚な性格と沈着さから、聖女セレスティアの側近――いわば聖女付きの神官という重責を任されることになった。


 聖女といっても、神の奇跡を体現するような荘厳な存在ではなかった。セレスティアはまだ十八の若さで、金糸のような長髪と、氷のような蒼い瞳を持つ、どこか儚げな少女だった。


 だが、彼女は不思議な魅力を持っていた。


 清らかでありながら人を惹きつける声。すれ違う者すべてが膝をつくような威厳。そして、なにより、神託を受ける「器」としての資質を、誰もが疑わなかった。


 ――あの日までは。


 事件が起きたのは、春の終わり。神殿の周囲に咲く白百合が風に揺れ、儀式の準備が始まる頃だった。


 その日、ダリルは偶然、立ち入りを禁じられていた聖女の私室の裏庭に足を踏み入れてしまった。


 そこで彼が目撃したのは――


「……あれが、次の王族の婚約者の姿?」


「そうよ。表向きはね。でも中身は、わたしの妹。もうすぐテオドリック王国は、わたしたちのものになるわ」


 柔らかい声。


 それは紛れもなく、聖女セレスティアのものだった。


 だが彼女の目の前にいるのは、角を生やし、ローブに身を包んだ、肌が青白く、瞳が真紅に光る男だった。


 魔族だ――。


 疑う余地もなかった。


 震える指先で口を押さえ、ダリルは身を引こうとしたが、乾いた枝を踏んでしまった。


「……誰か、いた?」


 鋭い視線が向けられ、ダリルは息を呑んだ。


 だがそのときは、何とか姿を見られずに立ち去ることができた。


 そして翌日、ダリルは意を決して、大司教ガルモンドにすべてを訴えた。


「……聖女殿が、魔族と……?」


「はい。拙者の見間違いではありません。あの魔族は、東のテオドリック王国の王族の婚約者令嬢に成りすまし、王国を乗っ取ろうとしていました。そして、聖女殿は……彼女らの協力者です!」


 大司教は初め、驚いた表情を浮かべていた。


 だが――


「……残念だ、ダリル」


 その言葉とともに、ガルモンドは無慈悲な声で言い放った。


「貴公は、聖女殿に対して反逆を企てた。虚偽の告発は、大罪に値する」


「なっ……!? 何を……!」


「すべて、聖女殿より聞き及んでいる。貴公が最近、不審な行動を繰り返し、彼女に対して不敬な態度を取っていたこともな」


「それは違います! 拙者は真実を――!」


「黙れ」


 その瞬間、ガルモンドの目が、わずかに紅く光った。


 それを見たとき、ダリルはすべてを悟った。


(……この人も、魔族に操られている……!)


 神殿の中枢が、すでに魔族の手に落ちているという事実に、血の気が引いた。


「ダリル・セリウス、お前には聖女殿に対する反逆の罪がある。よって、神殿より追放とし、いかなる職位も剥奪する。再び聖教の地に足を踏み入れることは許されぬ」


「それは……! 拙者は……!」


 何を言っても、無意味だった。


 そのまま、彼は神殿の衛兵に取り囲まれ、呆然としたまま、聖都を追われた。


 長年仕えてきた神殿、信じていた聖女、そして、清らかであるはずの聖教国――


 そのすべてが、音を立てて崩れ去った瞬間だった。


 ダリルは、その後も聖都の外に留まり、何度か証拠を探そうとした。


 だが、魔族は用意周到だった。


 裏付けになる書類はすべて燃やされ、彼に味方してくれた神官も、次々に失踪あるいは不審死を遂げた。ダリルにも死の予感を感じる出来事があった。


 あの国は、もう神の国ではない。


 神を騙る、魔の巣窟そうくつだ――。


 だからこそ、ダリルはあの日、川に入ったのだ。


 心を砕かれ、使命も、居場所も、未来も失った彼に、もはや生きる意味はなかった。


 だが、皮肉なことに――その命を、今や共に旅をする二人に救われてしまった。


 ナルシストでおかしな男と、鋭い突っ込みを忘れない少女。


 彼らが自分を川から引き上げたことが、果たして正解だったのか、それは分からない。


 ただ――


「この命、無駄にはしません。あの聖教国の真実を、世に知らしめるために……」


 今のダリルには、それだけが残された祈りだった。

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