第四章 プリマヴェーラ【2】

 デオラ宇宙軍防衛艦隊の新鋭戦艦〈ジョシュア〉のブリッジは、緊張した空気に包まれていた。いや、この場にそれ以外の空気が入り込んだことなど、およそ皆無と言っていい。

 グレゴリー・ブランドル大佐は、広いブリッジの中央後方にしつらえられた仰々しい艦長席にどっしりと座っていた。

 場に漂う緊張感は、常にこの男の全身から発せられている。

「ジェス少佐」

 グレゴリーが口を開くと、緊張感が高まる。

「はっ」

 ウィード・ジェス少佐が走り寄る。ほとんどビルの二階とでも言うべき高さの艦長席から、長身で筋肉質の体をしたグレゴリーが見下ろすと、小柄なジェス少佐は滑稽なほど矮小な姿に見える。

「現況の確認を」

「はっ。メモリア号は現在、デオラ星系内には存在しておりません。アリシア・ローゼンバーグ、ロナルド・シーカー両名の行方は、引き続き探索中です」

「網は張ったのだな」

「はい。怠りなく」

「警戒を続けよ。なお、私あてに直接の通信が入ることがあれば、即時その旨を報告せよ。艦長室で受ける」

「承知いたしました」

 ジェス少佐は持ち場に戻った。

 グレゴリーはジェス少佐の背中を眺める。目端のよく利く男だが、自己保身を第一に考える傾向がある。大きな仕事を任せられる人物ではない。

 思えば、つくづくデオラ宇宙軍には人材がいない。使えない連中ばかりだ。計画の最重要部分を委ねたはずのシンディ・クローレ大尉に至っては、これだけは犯してはならないという失敗をバカ丁寧に演じてくれた。

 やむを得まい。今の宇宙軍は骨抜きも同然だ。あのいまいましい〈スパイダー〉がある限り、有為な人材など育つはずもない。

 だが、よかろう。自分独りであっても、計画は完遂してみせる。

 眼前の小型モニターに映像を呼び出した。夢に見るまでに脳裏に焼きつけた、デオラⅨ―Aサテライティアこと〈スパイダー〉の映像を。

 直径は惑星デオラⅨの約四分の一。惑星と衛星というよりは、むしろ二連惑星と呼んだほうが近いかもしれない。

 長年にわたる改造の結果、デオラⅨ―Aは元の姿とはまったく別物になってしまった。クレーターだらけの岩肌だった衛星表面は、今は大部分が特殊合金で覆われ、対宙兵器や長距離弾道兵器の発射口によって埋め尽くされている。発疹だらけの顔面のようだ。

 攻撃能力。防御能力。耐久性。どれを取ってもスパイダーは、文字どおり無敵の要塞と言える。

 今から九十年前、アルタナとの間にマドリガル争奪の戦端が開かれてすぐ、デオラは劣勢に陥った。状況打開のため、あらゆる戦略が検討されたが、戦況は総力戦の様相を呈してきた。

 マドリガルは間もなく失陥した。コンスエロ攻略のために、いずれアルタナが主力艦隊をデオラ星系へ差し向けてくることは明白だった。

 本土防衛のために建造されたサテライティア、それがスパイダーだ。

 星系国家間の戦争においては、LOPがもっとも重要な交戦点となる。敵の星系に侵入するには、LOPを経由するほかはないからだ。

 デオラの場合、星系唯一のLOPはデオラⅨ付近にある。攻め寄せる敵をここで一気に殲滅する以外、撃退の方法はなかった。こうして、デオラⅨの衛星に要塞型サテライティアを建造する決定が下された。

 建造には、当時のデオラの全経済力が注ぎ込まれた。

 最大の難関は、デオラⅨ―Aが、それ以上惑星に接近すれば潮汐作用で衛星が破壊されるという「ロッシュの限界」ぎりぎりの公転軌道を持っていることだった。大規模な改造を行なえば、限界を超えてしまう怖れがあった。デオラ政府は、デオラⅨ―Aに巨大な推力装置を備えることで、この問題を解決した。

 こうして誕生したスパイダーは、まさに乾坤一擲の戦略兵器だった。

 結果は、劇的だった。

 満を持して侵攻してきたアルタナ中央艦隊は、やはり満を持して待ち構えていたスパイダーによって、完膚なきまでに撃滅された。その戦闘において、スパイダーは全攻撃能力の二分の一しか使用しなかった、と戦史には記されている。

 スパイダーは国民の熱狂的な支持を集めることとなった。相対的に防衛艦隊の威信は凋落し、これ以降、宇宙軍内部におけるステータスも低下しつづけた。

 アルタナの一時的敗退によって、マドリガル戦役は長い膠着状態に移行した。

 デオラ政府の公式発表によれば、マドリガルは二十年前にデオラ側が奪回した。しかし、アルタナは執拗な攻勢をかけてきている。今は防衛艦隊の主力を総動員して守り抜くのが精一杯で、期待された豊富な資源の採掘利用などはおぼつかない。デオラ経済は長期の逼迫状態にあるが、国民に対しては今しばらくの耐乏を期待する――

 なんという壮大な嘘だろう。グレゴリーは喝采さえ送りたくなる。

 真実のマドリガル戦役は、二十年前に終結した。マドリガルそのものが消滅したことによって。

 二十年前、戦闘が行なわれた。マドリガル宙域で何度も繰り返された小競り合いのひとつに過ぎなかった。いくばくかの戦闘の後、マドリガルに橋頭堡を持つアルタナ側が攻勢に出て、デオラ側が退き、また膠着状態に復帰する。そのはずだった。

 誰がそれをやったのか、故意だったのか偶発だったのか、今となっては確かめようもない。しかし、それは起きた。

 コアバスターの誤射。

 アウター・テクノロジーに由来する超兵器の力で、マドリガルは徹底的に破壊され、宇宙から消滅した。戦闘に参加していた双方の艦隊も、巻き添えを食って全滅してしまった。

 マドリガルそのものが消滅した以上、戦争の継続は無意味だった。幸いにしてデオラもアルタナも、新たな遺恨によって更なる全面戦争へ突入する、という最悪のシナリオを回避するだけの判断力は有していた。

 だがデオラ政府は、情報統制によってこの事実を隠蔽した。そして今に至るも、マドリガル戦役はいまだ継続中である、というプロパガンダを流しつづけている。

 なぜか。そのほうが好都合だからだ。デオラ政府、軍上層部、軍需企業〈ヴィットリオ〉の三者にとって。

 利権構造によって密接に結託しているこの三者は、密かに〈トライアングル〉と呼ばれている。

 三者の癒着は、マドリガル戦役の継続のために不可避的措置として行なわれた、政府と軍の協力体制強化やヴィットリオへの積極的支援などに端を発していた。

 戦争は継続しているのだと偽っておけば、ヴィットリオは大量に兵器を製造し、潤い続けることができる。そして、多大なリベートを政府に提供することにより、各種の規制融和や、軍需産業といういわば反社会的事業に対する批判的な世論の封じ込めなどの見返りを手にする。

 一方、軍上層部である幕僚幹部たちは、政府の指導のまま、不必要な兵器をヴィットリオから大量に制式調達したり、政策助言に名を借りたヴィットリオの軍事への介入に応じて、長期戦略をやすやすと変更したりしていた。

 彼らは、癒着の構造に自ら進んで深く踏み込むことで、先々、政界の枢軸に参画してゆく足掛かりにしようと企んでいる。軍人としての誇りを見失い、権力や金の亡者と化しているのだ。

 トライアングルは、デオラを食い物にする癌だ。

 それにもましてグレゴリーが耐えられないのは、デオラ国民たちの態度だった。トライアングルの欺瞞を見抜けず、ほしいままに利権をむさぼるのを止める手立てを講じようともしない。

 グレゴリーは思う。私はこんな国を守るために軍人になったのではない、と。

 モニターの画像を消した。

 軍服の上着の胸もとから手を差し入れ、首からかけた大ぶりなロケットを握りしめた。

 ロケットの中身は、家族の写真などではない。銀色のリングだ。

 ――自らの手で新時代を開く。

 あの日、グレゴリーはそう誓った。このリングに懸けて、誓ったのだ。

 モニクはトライアングルに殺された。

 デオラ宇宙軍には、バイオノードなど必要なかった。モニクはマドリガル戦役が終わった後の平和利用を志していたが、平和利用だけなら無理に開発を急ぐ必要などなかった。

 マドリガル戦役に投入するという大義名分のために、不完全なコピーでの実験が強行され、モニクは命を落としたのだ。本当はすでに終結していたマドリガル戦役のために。

 実験を中止、または延期しようと言い出す者は、誰もいなかった。トライアングルにとっては、成功の見込みがあろうがなかろうが、実験は行われなくてはならなかった。予算が残っていたからだ。

 新兵器の開発は軍の開発技術局の任務だが、実際に主導しているのはヴィットリオだ。開発のための予算は、そのままヴィットリオの血肉となる。だから、実効性の有無に関係なく、さまざまな開発プロジェクトが設立される。そして、そこに割り当てられた予算は、無理やりにでも使い切られるのだ。

 トライアングルは、バイオノードの実用化などどうでもよかった。失敗してもよかったのだ。当年度の予算さえ使い切れればよかった。使い切れば、次の年も、同じだけの予算を獲得することができる。

 実験は失敗、バイオノード開発は中止。

 それが結論だった。プロジェクトは閉鎖された。翌年にはまた別のプロジェクトが設置され、予算が立てられた。

 バイオノードの夢は、モニクの命とともに終わった。

 ――それじゃまた、あとで。

 そう言い残して控室を出て行ったわずか十五分後には、モニクは物言わぬ人形へと変わり果てていた。全脳死だった。

 グレゴリーは嘆き悲しみ、かつ猛り狂った。

 それなのに、あの男は、逃げた。

 ロナルド・シーカー。モニクが選んだ男。

 モニクが彼を選んだという、ただその一点においてのみ、グレゴリーはロナルドを認めることができた。いや、自分が求愛した女性がつまらぬ男を選ぶはずがない、と思っていたかった。

 入学当初から将来を嘱望され、わずかにひとつを除いてすべての教練科目に首席の成績を収めて卒業し、天才と謳われたグレゴリーにとって、ロナルドは歯牙にもかける必要のない存在だった。成績は常に平均以下で、しかもそれを苦にしていなかった。グレゴリーから見れば、ロナルドは最初から、人生の負け犬だったのだ。

 ロナルドは情熱家だった。情熱家の常として、自己の情熱をかたちにするだけの知恵を持っておらず、から回りばかりしていた。そんな部分がかえって人気を呼ぶらしく、いつも大勢の仲間に囲まれていた。

無鉄砲ラッシャーロン〉。それが愛称だった。

 コンピュータの上で戦艦どうしの戦闘シミュレーションを行なっていた時、ロナルドは愚かにもすべての火器エネルギーを使い果たして、戦闘不能に陥った。ところが彼は、戦艦そのものを武器にするのだと言って、敵艦の背後に自艦を背中合わせにつけ、推力噴射で敵艦の機関部を破壊する、という作戦に出た。

 そんなことができるわけない、と参加者一同はあざ笑ったが、戦闘シミュレーターは意外にも「有効」のジャッジを下した。しばらくの間、士官学校内の語り草になったものだ。

 どう見ても二流の人間でしかないロナルドがなぜそんなに注目を集めるのか、グレゴリーは不思議でならなかった。それでも、最後に勝利を収めるのは自分のような人間だと信じていた。

 モニクがロナルドと結婚を決めた時、グレゴリーは腹の底からの敗北感を味わった。過去三十八年の人生で、唯一最大の敗北だ。

 それでも、モニクが選んだ男だから、グレゴリーはロナルドを認めようと努力してきたのだ。

 それなのに、あの男は、逃げた。

 モニクが死んだというのに、そしてトライアングルが死の原因なのは明らかだというのに、抗議も告発もしようとせず、対決も復讐もしようとせず、枯れ木みたいに意気消沈して士官学校を中退してしまった。

 千年も前から定められていた運命を黙って受け容れるかのように、ロナルドは姿を消した。

 所詮、ロナルドは負け犬だ。そこまでの男でしかなかったのだ。

 自分は、違う。ロナルドのような腰抜けではない。必ず、モニクの仇を取ってみせる。トライアングルを打ち破り、愚かなデオラ国民どもを覚醒させてみせる。

 運命は自分で切り開くものだ。

 軍への正式任官後、グレゴリーは全力でのし上がった。密かに同志も募った。腐り切った軍上層部を打倒し、返す刀で政府を牛耳って、ヴィットリオを壊滅させるために。

 それから十五年。

 いよいよ宿願を果たす時がきた。

 が、計画はいきなり頓挫の危機を迎えた。

 アリシアの逃亡。行方不明。

 そして、彼女を保護しているのは、ロナルドだという。

 まるでグレゴリーの人生をつまずかせる星の下に生まれついたとでも言うように、ロナルドの姿が見え隠れする。

 今度こそ決着をつける。グレゴリーは決意を新たにした。この計画は、トライアングルに対するモニクの復讐であると同時に、ロナルドに対するグレゴリー自身の復讐でもあるのだ。

 復讐を果たし、かつ、デオラ二十二億の愚昧の民を目覚めさせる。それが可能なのは、誰でもない、このグレゴリー・ブランドルだけだ。

 グレゴリーはロケットを胸の中へしまい込んだ。

「同志諸君」

 席を立ち、ひときわ大きな声で一同に呼びかける。

「計画は思わぬ暗礁に乗り上げたが、悲観するには及ばない。あとまだ三日の余裕はある。それまでに、アリシア・ローゼンバーグは必ずや奪回できよう。そしてわれわれは、勝利の美酒に酔うのだ。肝に銘じよ。正義は、われわれにあるのだと」

「はっ!」

 ブリッジの部下たちが口々に答え、艦長席に対して敬礼をした。グレゴリーは力強く頷き、サイドシールドの外の宇宙空間に視線を移した。

 シールドの向こうで鈍い色に輝くスパイダーを、おのれの視線で射抜こうとするかのように。

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