第四章 プリマヴェーラ【3】

「ちょっとしたもんだったでしょ?」

 アリスは得意げにロンを見た。

「ま、二度目にしちゃ上出来、っていう程度だな。まだまだ、俺ひとりでやったほうが正確だし、速いぜ」

 ロンは尊大な口調で言い返してきたが、少しは負け惜しみが混じっているようだ。

「素直じゃないなあ、おじさん」

「船長と呼べ、船長と」

 メモリア号はプリマヴェーラ第二宇宙港へ向かって順調に降下中だ。二度目、というのは、着陸操作のことだった。アリスは実にスムーズにやり果せたのだ。

 もっとも、デオラⅢの時とは違い、プリマヴェーラの誘導電波は強力で指向性も強く、捕捉するのが簡単だったから、ジャイロの数値補正も余裕をもってやれた。その代わり、インタラプターの出力を最大にしないと、耳鳴りで操作どころではなかったが。

 第二宇宙港付近はちょうど薄暮の時間帯だった。フロントシールドを通して、管制センターの後ろへ沈もうとする太陽から、夕暮れの光が優しくブリッジに忍び込んでくる。

「あれは人工太陽だけどな」

 ロンは額に手をかざした。

「プリマヴェーラの回りを公転してるんだ。実際の大きさは衛星並みだ。どこかの小惑星をつかまえてきて、熱核融合炉を埋め込んだらしい。生活に必要なエネルギー総量は地熱だけで賄えるんだが、やっぱり地上生活には日光がないとな」

 ほどなくメモリア号は、宇宙港のホバーパッドの上に着陸した。

 アリスとロンが搭乗用ハッチから地上に降り立つと、作業員を乗せたイオノクラフトが静かに接近してきた。ロンは「よお」と片手を挙げた。顔なじみらしい。

「久しぶりじゃねえか、ロン。干されてたな」

 格闘家のような体つきをしたスキンヘッドの作業員が、ニヤッと笑いながらクラフトを降りた。近くで見ると山脈のような巨漢だ。アリスは、思わず二歩ほど下がってロンの後ろに隠れた。

「まだ生きてたか。しぶとい男だ」

 ロンは相手のみぞおちに軽く拳を食らわせた。

「しかし、相変わらず、でかいな」

「でっかいのは、おめえの肝っ玉のほうだろう。派手にやらかしたそうじゃねえか。聞いたぜ。驚いたのを通りこして、笑っちまった」

「ほっとけ」

 ロンが唇を歪めると、巨漢はガハハハハと大笑いした。食い殺されるんじゃないかとアリスは思った。

「ま、心配はいらねえと思うぜ。もう、ソクラテスが動き始めてたみてえだからな」

「助かるな、それは」

「それじゃあ、あとはやっとくぜ。とっとと事務所へ行って来いや」

「荷降ろしが済んだらな。さ、やるか」

 ロンはジャンパーの袖をまくり上げた。

「こっちでやっとくさ。ソクラテスがお待ちかねなんだよ、おめえを」

 巨漢は管制センターへ向けて右手の親指をひねった。

「悪いな」

「いいってことよ。さっさと行け、このノロマ野郎」

 目を細めて言い、それから、初めて気づいたようにアリスを見下ろした。

「なんだい、その可愛らしい嬢ちゃんは」

 こちらへ向けられると、視線といい声といい、のしかかるような迫力だ。アリスはロンのジャンパーの背中をぎゅっとつかんだ。

「ああ、臨時で雇った船員だ。ってのは冗談だが、ちょっとした行きがかりでな」

「取って食うんじゃねえぞ、ロン。ひとり者だからって、節操守れよ」

 巨漢は下品に笑った。

「おまえじゃあるまいし。じゃあな」

 ロンは巨漢のすぐ脇をすり抜けて、管制センターへ向かう。アリスは大急ぎで後を追った。

 胸を押さえた。心臓が高鳴っている。

「どうした」

 ロンはアリスの顔を覗きこむ。

「あの人、おじさんの会社の人?」

「下請け業者だ。立場は俺とおんなじさ」

「怖かったぁ」

「ああ見えても繊細で気弱なんだ、あいつ。趣味はドライフラワー作りらしい」

 ロンが言った。ずいぶんと楽しそうだ。

 立ち止まって振り返ると、さっきの巨漢は両腕をぶんぶん振り回してクレーンを呼び寄せていた。同時に、彼をめがけて数人の作業員が集まってくる。沈む寸前の人工太陽に照らし出されて、船も機械も人も、長い長い影を地上に横たえていた。

「おい、行くぞ」

 ロンが呼ぶ。

「待ってよ」

 アリスは小走りに追いかける。

 管制センターの事務棟でロンがいくつかの手続きをしている間、アリスはロビーのベンチで待っていた。

 油汚れの目立つ作業服を着た若者や、工具箱を抱えた修理工、ロンとよく似た雰囲気の二人連れの男などが、アリスの目の前をひっきりなしに通ってゆく。

 これがロンが暮らしている世界なのだ、とアリスは実感した。

「待たせたな」

 ロンが戻ってきた。メタルコーティングされたカードを携えていて、それをアリスに手渡した。

「一時滞在査証だ。なくすなよ」

 プリマヴェーラ第二宇宙港には、ヘレネを含めて四つの運送会社がオフィスを構えている。宇宙港には都市が付随しているが、そこは四社の共同管理によるいわば自治区となっており、いずれかの会社が発行する査証がなければ立ち入ることができない、とロンは教えてくれた。

「これからどうするの?」

 ベンチから立ち上がりながらアリスは尋ねた。

「ともかく、例の件の事後処理だ。ソクラテスに相談しないとな」

「ソクラテスって、なに?」

「ヘレネのエージェントだ。簡単に言えば、揉めごとの処理係だ。若造だけど、頼りになる男さ」

 運送会社四社のオフィスは、宇宙港の敷地内にあった。ヘレネは管制センターから最も近いビルだ。小さな建物だが、会社のオフィスというよりは軍の基地のような佇まいだった。

 最上階――といっても三階だが――のいちばん奥の部屋が、ソクラテスのオフィスだった。ロンは自動ドアの前に立ち、スロットに自分のカードを差し入れた。

 両開きのドアが左右に分かれた。部屋の中には数多くの端末機がところ狭しと置かれていて、足の踏み場もないほどだった。

 機械に埋もれるように背中を丸めてカタカタとキーボードを打っている男。これがソクラテスなのだろう。

「やあ、来たね」

 顔も体も端末機に向けたまま、眼球だけをじろっと動かしてロンを見た。手は休めない。二十歳を少し越えたぐらいの年ごろだろうか。何を考えているのか読み取りづらい種類の顔立ちだ。

「話は聞いたよ。ま、かけたまえ」

「かけろって、どこにだよ」

 ロンが笑った。

「確かに、君の言うとおりだな。じゃ、立ったまま話を聞いてくれ」

 ようやく手が止まり、顔も体もこちらを向いた。

「君の連絡を受けて、すぐに調査してみた。僕が調べた限りでは、デオラ宇宙軍が正式の作戦を発動した形跡はないね。極秘作戦も含めてだ。かつ、君の船と軍の巡視艦が交戦した記録も、軍のコンピュータには登録されていない。したがって、君の船は軍のお尋ね者になどなってはいない。これが結論だよ」

 ひと息に喋り終えた。

「すると俺は、メモリア号を放棄する必要はない、ってことだな」

 逆にロンは、ひとことひとこと、確かめるように言った。

「そういうことになるね」

「助かったよ」

 ロンはため息混じりに呟いた。しんそこ安心したらしい。

「ただ、デオラ星系内で仕事する時は、ほとぼりが冷めるまで、ダミーの船名を使ったほうがいいかもしれないね。クローレ大尉だっけ? 僕が収集したデータによれば、軍人魂のかたまりみたいな女性だよ。君に雪辱するために、個人的に付け狙ってこないとも限らないからね」

 ソクラテスは端末機に向き直った。

「何か、お好みの名前があるかい? すぐ登録するよ」

「そうだな」

 ロンは一瞬だけ考えた。

「〈ウィンストン号〉とでもしておいてくれ」

「了解。ウィンストン、と」

 軽やかにキーボードを叩く。

「カードを貸してくれたまえ」

 その言葉に応じてロンが自分のカードを手渡すと、ソクラテスはそれを端末機に挿入した。データ書き込みを行なっているらしい。

 ジジジ、とかすかな音がして、端末機はカードを吐き出した。

「これでよし、と。認識番号とコールサインもダミーで追加付与しておいたから、必要に応じて使い分けてくれ。めったなことはないだろうけど」

「ああ、心がけるよ」

 ロンはカードを受け取り、それを大事そうにポケットへしまい込んだ。それから、

「すぐ来いってあんたが言ってる、って聞いて、こりゃいよいよダメかと思ったよ」

「少しでも早く安心させてあげたくてさ。大切な船なんだろう?」

「まあな」

 ロンは耳の後ろを掻いた。

 ソクラテスは、ちょっと考え込むような表情を見せた。

「さて、ついでだけど……次の仕事、どうする? 確か、素寒貧なんだろ? 遠距離便の依頼、けっこう来てるよ」

 端末機を操作する。

「〈リューベック〉行き、〈タス・タス〉行き、〈ソア〉行き。もちろん、例のヤツもあるよ」

「例のヤツ、な」

「一発で稼ぐには、そっちがいいと思うよ。優良企業ヘレネのエージェントとしては、表だっては斡旋できないけどね」

「じゃ、入札票をこっそり床に落としておいてくれ。あとで黙って拾うさ」

 二人の男は意味ありげに笑い合った。アリスは、仲間外れにされたみたいでいい気はしなかったが、何の話題なのかはそれとなく察しがついた。非合法な仕事のオファーが来ているのだろう。

 ロンは受けるつもりなのだろうか。金がほしいと盛んに言っていたから、受けるのかもしれない。

 しかし、ひとしきり笑ったあと、ロンは真顔になって、言いにくそうに、

「全額前払いの仕事はないかな。真っ当な」

 と切り出した。

「ないことはないけど、支払率は悪いよ。そんなにせっぱ詰まってるのかい? 今回の仕事の分は、もう入金があっただろう?」

「そうなんだが、来る途中で船を修理してな。その支払いが残ってるから、あんまり余裕がない。それに、この子を」

 アリスを振り返った。

「デオラⅨまで帰してやりたいんだ。定期船の運賃が要る」

「わけあり、って感じだね。だったら……」

「船長、あたし急がなくてもいい」

 アリスは慌てて口を挿んだ。船長、という単語に力を込めて。

「どうした?」

 不思議そうにロンが聞く。

「何か所か回ったら、そのうちデオラに戻るんでしょ。だったらそれまで、船に置いてよ。ダメ?」

 思い切って言ってみた。

 プリマヴェーラに着いてから、ロンの表情が活き活きしている。アリスにとっては少々おっかないけれど、これが大人の世界というやつなのだろう。もうしばらく、そこに身を置いていたくなったのだ。

 デオラⅨに戻れないのは心細いけれど、ヒルベルトの言った「広い世界を見て」というのは、案外こういうことなんじゃないだろうか、と思い始めていた。

 しかしロンは、

「いずれは帰るが、いつになるかわからんぞ。それに、おまえの先生だって、心配してるだろう」

 と、やんわり拒絶する。

「えー、でも、お手伝いしたらまだしばらく乗せてくれる、って」

「あれは、言葉のアヤだ」

「けち。けちけちけち」

「おまえ、船長に向かって」

 二人が睨み合うと、ソクラテスが仲裁に入った。

「待ちたまえ、君たち。ここでケンカはよしてくれないか」

 ほんとうに困り果てたような口調に、アリスは謙虚に反省して口を閉ざした。ロンも同じらしかった。

「ともかく、適当なオファーをいくつか見つくろっておくよ。それを見てから相談するといい。まだ、ここにいるんだろ」

 ソクラテスがそう続けた。

「たぶん、二日ぐらいはいるつもりだ」

「僕から連絡するよ。いつものホテルだね?」

「ああ。手間をかけるな」

 話は、それでけりがついたようだった。

「それじゃ、な」

「お疲れさま、ロン」

 ヘレネのオフィスのビルを出ると、空はとっぷりと暮れていた。

「さあ、メシでも食いに行くか。久々に、まともなメシをな」

 ロンが底抜けに明るい声を出した。もちろん、アリスに異存はない。

 少し歩くと街灯りが見えてきた。

 歩く道々、ロンが説明してくれた。プリマヴェーラはさして大きな星ではないが、安定したLPが付近に四対もあるから、物流業者にとっては重宝なところで、自然と物資輸送や交易の中継点となる。物資の集積地になれば、それを活用しようと工場が進出してくる。人が増える。商業活動が発達する。娯楽が必要になる。

「だから、活気があるのさ」

 ロンが指さす先には盛り場の入り口を示すアーチ型のゲートがあって、その向こうは降って湧いたような明るさと賑わいだった。

 ゲートの傍らには案内板が立てられている。どこに何があるのか、絵地図で示したものだ。飲み食いの店、雑貨屋、メカニカルパーツの店、貴金属商、情報提供業者、娯楽施設、よく分からないが「交換所」と書かれた店、ホテル、それから、明らかにアリスには縁のなさそうな場所。いろいろな種類の店がパッチワークみたいに入り乱れているが、おおむね入り口から奥へ進むに従っていかがわしさが増すようだ。

 一歩足を踏み入れると、コンスエロでもお目にかかったことがないような喧騒だった。互いの話し声も聞き取りにくいほどだ。アリスはロンにしがみつくようにして、人いきれの中を歩いた。

 あちこちの星系から人が集まってきているのだろう、装いも違えば話し言葉も微妙に違う。みんな、自分のアイデンティティを確認し、あるいは主張するかのように、声高に話す。うるさくて仕方がない。

 でも、音や声でうるさいのは、苦痛ではなかった。出力が大きいとか、波長が干渉し合うとか、そんな電磁波の洪水で引き起こされる耳鳴りのことを思えば、心地よいとすらアリスには感じられた。

「おっ」

 ロンが何かに目をとめ、立ち止まった。

「メシはちょいと我慢しろ。先に、あれだ」

 それは、女性向けのファッションブティック――というほど洒落たものではないようだが――だった。

 メモリア号にもぐり込んでからというもの、アリスは教育センターの制服を着たままだった。予備の船員服をロンが貸してくれたのだが、あまりにぶかぶかで、寝巻きとしてしか使えなかったのだ。

「買ってくれるの?」

「おまえが、な。俺はここで待ってる。あんな店に一緒に入る趣味はない。ムダ遣いはするなよ」

 そう言って、カードを手渡してくれた。

「おじさん、ありがと!」

 アリスは喜び勇んでその店に駆け込んだ。

 もちろん、ロンの懐具合をじゅうぶんに考慮して、値段の安いものばかり選んで、それでも四品ほど買うことにした。服を買えば靴もそれに合わせないとおかしいと思ったので、それも買った。

 そのうちのひと揃いを店内の試着室に持ち込んですっかり着替えた。教育センターの制服は、他の商品といっしょに、店からもらったバッグに詰め込んだ。

 薄いブルーのワンピースとサンダル姿になって、アリスは店を出た。ロンは街灯のそばで退屈そうに待っていた。

「お待たせ!」

「おう、化けたな」

「似合う?」

 アリスがくるっと一回転してみせると、ロンは一瞬だけ視線を逸らせた。すぐに向き直ったが、アリスは見逃さなかった。

「さあな。俺にはわからん」

「つまんないの」

「うるさい。さっさと行くぞ」

 足早に歩き出す。アリスは跳ねるように追いつき、ロンの腕にぶら下がった。

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