第一章 コンスエロ【4】

 コンテナブロックを脱出するのには二十分を要した。

 内側と外側から同じ箇所を同時に破壊すれば早かったのだが、コンテナの中は完全な闇であり、両面からの破壊は事故につながりかねないため、断念せざるを得なかったのだ。

 閉じ込められたあと、核融合エンジンらしき振動が感じられたから、あの男が何をするつもりかはすぐに察知できた。あらかじめ身構えていたから、地上に落下したときも一同に負傷はなかった。

 傷がついたのはプライドのほうだ。

 デオラ宇宙軍に入隊してから五年、シンディ・クローレ大尉にとって、これほどの屈辱は初の体験だった。

 だから、隔壁を焼き切ってくれた配下の兵士を代表して副官のダニエル・リンツ曹長が「ご無事ですか」と駆け寄ってきた時、シンディは思わず、

「うるさい! 自分に構うな!」

 と怒鳴り散らしてしまった。

 夜空を見上げた。

 貨物船メモリア号は、とっくに可視高度を超えて逃亡してしまった。

 それでも、冷たい風になぶられているうちに、冷静さが取り戻せた。

 誰のせいでもない。自分自身の油断が招いた結果だ。

「すまなかった」

 ダニエルに対して素直に詫び、全員を呼び集めると、念のために港内をもう一度念入りに捜索するよう命じた。

 結果、アリシア・ローゼンバーグの姿は、どこにも発見できなかった。シンディは報告を確認し、港の封鎖を解除するよう管制センターに伝えさせた。

 やはりアリシアはメモリア号に乗っていたのだ。

「追跡のための艦を手配しますか」

 ダニエルが聞く。

 警務隊には、即時進発できる宇宙船がない。しかし、他の部隊、たとえば首都防空連隊やデオラⅡ―A守備艦隊の応援を仰ぐわけにはいかなかった。

 シンディの負っている任務は、デオラ宇宙軍公式のものではない。それどころか、軍に対して叛旗を翻すようなことだ。

 それに、他の部隊をおおっぴらに巻き込んだりすれば、アリシアを取り逃がしたことが同志たちにも知れ渡ってしまう。自己責任とはいえ、シンディにはそれは耐えられなかった。

 必ず、自力で、穏便に解決せねばならない。

 計画の発動まで、あと六日。それまでにアリシアを確保して、連行するのだ。

 シンディは、ちょっと考えてからダニエルに命じた。

「手配は、誰かにやらせろ。曹長は、自分といっしょに来てくれ」

 ダニエルが部下に指示を出すのを確認してから、シンディは事務棟に向かって早足で歩き出した。ダニエルも続く。

 追跡の前に確かめておかねばならないことがあった。メモリア号の所有者である、あの男のことだ。

 あの男とアリシアとは、どういう関係なのだろうか。

 アリシアがなぜ特殊教育センターから脱走したのか、シンディには見当がつかなかった。極秘裏に進められてきた計画をアリシアが察知できたとは考えられない。彼女は計画に不可欠なピースの一片ではあるが、それだけにかえって、本人には知られないよう慎重に進めてきたのだ。

 しかし、計画実行直前になって姿をくらまそうとしたのは、やはり何か知っていたと考えるほうが自然だろう。それには、彼女自身の能力もさることながら、あの男が何らかの形で介在していた可能性も否定できない。

 実のところシンディは、あの男には最初から関心を持っていた。

 一見すれば、ただ毎日の暮らしにあくせくすることで精一杯の平凡な男だ。伸ばしている、というより単に切りそびれているだけのような長髪、覇気のない顔色、髭の剃り残しが目につく顎、だぶだぶのジャンパー、履き古した靴。まったく冴えない風体だった。

 しかし、安物の服装の内側は、バランスの取れた筋肉とよく鍛錬された姿勢を保っているように見受けられた。身のこなしもどこか洗練されていたし、いざという時の動作も機敏だった――直接見たわけではないが、そう感じられた。

 加えて、シンディの階級章をちらりと見ただけで大尉だと言い当てたし、所属と官姓名を要求するなど、抜け目もなかった。どことなく、自分と同じ体臭のようなものを感じさせる。

 おそらくあの男は、元は軍人だ。

 それに、あの船。

 外装はかなり手が入っていたし、おまけにあちこちガタがきていたようだが、貨物船には不釣合いなフォルムと外壁装甲を持っていた。かなり古い型ではあるものの、軍用艦を改造したものに違いない。確認はできなかったが、船体上部には連装の砲塔が目につかないよう巧みに格納されていたようだ。

 さらには、あの行動だ。

 シンディがメモリア号の中を捜索しようとしたのは、アリシアが逃げ込んだように見えたからだ。確証はなかった。計画のことを知られるのはまずいから、詳しい説明を伏したまま問い詰めたわけだが、あの男は必要以上に警戒したあげく、自分たちをまんまと騙まし討ちにして逃走した。

 何も後ろ暗いものがなければ、素直に協力してもよさそうなものなのに。

 何よりあの男は、こう言ったではないか。

 ――あんたらの探し物は、そこにある。こうなった以上、逃げも隠れもしないさ。

 アリシアを確保できたという安堵感で冷静な判断を見失ってしまったのは失敗だったが、あの台詞は、彼が最初からアリシアのことを知っていた何よりの証左だ。よって、アリシアがメモリア号に逃げ込んだのも、単なる偶然だとは考えられない。

 あの男のことを調べなければならない。

 シンディとダニエルは貨物港の事務棟へ足を踏み入れた。

 入出港管理係の窓口へ向かう。担当の係官は、封鎖が解除されたことでそれなりに忙しいようだった。

 シンディは官姓名を告げた上で、

「さっき緊急発進したメモリア号という船の船主について知りたい」

 と要求した。

 係官は、軍の制服を着たシンディからいきなり質問されて、しどろもどろになりながらも答えた。

 ロナルド・シーカー。個人営業の運送業者。大手物流企業〈ヘレネ〉の下請けで生計を立てている。年は三十八、家族はなし。共同経営者や仕事上のパートナーもおらず、独りで船を運営している。

「他には?」

 シンディがなおも問うと、係官は首をすくめた。

「勘弁してください。特別に親しいってわけじゃないんですから」

「あの男が元軍人だったという話は聞いたことがないか」

「ないです」

「デオラⅨに係累がいる、というような話は」

「ありません」

 嘘ではないようだ。

 シンディが考えあぐねていると、ダニエルが横から助け舟を出した。

「行き先の届け出が出ていないか、確認してみましょう」

 言われて、シンディは眉を開いた。

 そうだ。脱走したアリシアの行き先は、限られている。ロナルドという男とアリシアとに何らかの繋がりがあって、示し合わせて脱走したのだとすれば、アリシアの逃亡先に合わせてロナルドの仕事の便を設定してあるはずだ。

 そしてそれは、九分九厘、デオラⅨにちがいない。だとすれば、話は簡単だ。

「メモリア号の今回の運行先は、どこだ」

 シンディの質問に、係官は即答した。

「LIPの経由申請が出てますから、星系外です」

「なに?」

 耳を疑った。

「出先のLOPは?」

「それは、わかりません。こちらでは、星系内の移動しか把握してないんですから」

 シンディは唇を噛んだ。

 星系外に逃げられると厄介だ。メモリア号が出ようとしているLOPが分からない以上、LIPから先の動きは闇の中ということになる。

 仮に行き先が判明したとしても、星系外ではデオラ宇宙軍はうかつに手出しができない。他の星系国家の版図でデオラの軍が行動すれば、その国家との武力衝突を招きかねない。場合によっては、星系国家連邦の平和維持軍が乗り出してくる可能性がある。

 人類の勢力分布が銀河系全体に広がるにつれて、当初は強力な中央集権体制を誇っていた連邦も徐々に弱体化してきた。今では、いくつの植民星系国家が実在しているのか、正確な数すらもつかんでいないと言われる。

 それでも、連邦の勢力下の宙域で揉めごとは起こしたくなかった。いかに弱体化しているとはいえ、連邦を敵に回すわけにはいかない。

 すでに〈マドリガル〉を失ってしまったデオラには、これ以上の対外戦争を戦い抜く余力はない。トラブルは、極力避けねばならない。

 つまり、アリシアが星系外に脱出してしまえば、シンディは事実上、身動きが取れなくなってしまうのだ。

 あの男、ロナルドなら、そこまで計算していたとしても不思議はない。

 デオラⅨではなく星系外へ向かっているということは、ロナルドがアリシアを計画実行の日まで匿おうとしていることを裏書きしているのではないだろうか。

 メモリア号がLIPに到達する前に捕捉せねばならない。HLAに入られたら一巻の終わりだ。

「大尉」

 ダニエルが袖を引いた。シンディは頷き、

「邪魔をした」

 と言い置いて、窓口を後にした。

 封鎖が解かれた繋留エリアは、活気を取り戻していた。もっとも、今夜はそれほど出港予定が入っていなかったらしく、活気といっても慎ましやかなものだったが。

「大尉」ダニエルが改めて呼びかけた。「ブランドル大佐に、報告しましょう」

 シンディは即答した。

「できない。われわれ自身の手で解決する」

 視線を天頂へ向ける。見えるはずもないメモリア号を睨みつける。

「クローレ大尉!」

 ダニエルは、今度は名前つきで呼んだ。

「冷静に考えて下さい。これは、楽観視のできない状況です」

「そんなことは言われなくてもわかっている」

「いえ、敢えて申し上げます。大尉の見識や手腕を疑うものではありません、ですが万が一、計画実行の日までにアリシアを確保できなければ、取り返しがつかないことになります!」

「案ずるな。メモリア号がLIPへ到達するまでに捕捉すればいい」

「敵がそれを察して、星系内を逃げ回ったら、われわれだけの力でそれを捕捉できますか? 至急、大佐に上申し、総力をあげて全デオラ星系内に包囲網を敷くべきです」

「きさま……」

 上官に逆らうのか。そう言おうとして、言えなかった。ダニエルの、こんなに悲壮な表情を、今までに見たことがなかった。

 しかし、シンディには、頷くことはできなかった。

 ブランドル大佐の計画に賛同し、一年前に指示を受けたときのことを、今でも克明に思い出す。

 ――クローレ大尉、君の任務はアリシア・ローゼンバーグを監視し、能力開発の進捗状況をつぶさに報告し、最後には計画発動に合わせてアリシアを確保し連行してくることだ。もっとも重要な任務を任されたのだと理解してほしい。

 その時の自分は、まるで初恋を自覚した少女のように紅潮していたと思う。

 警務隊になど、希望して配置されたわけではない。宇宙軍の兵士たるもの、防衛艦隊の乗員として宇宙で活躍するのが本道だ。たとえ今は〈スパイダー〉のために冷や飯食いの立場に甘んじさせられているとしても、やはり防衛艦隊は憧れの対象だった。

 シンディの父親は、防衛艦隊所属の軍医だった。〈マドリガル戦役〉に従軍し、そして戦死した。シンディがまだ言葉も喋れない赤ん坊だった頃のことだ。長じてその話を聞かされたシンディは、攻撃部隊の一員として防衛艦隊に所属し、父親の仇を取る日のことを夢見るようになった。それ以外の将来は考えられなかった。

 地べたを這いずりまわる警務隊など、くそくらえだと思っていた。

 しかし、まさに警務隊所属であったがゆえに、シンディは計画の最重要部分を委ねられたのだ。警務隊の本部所在地が開発技術局のすぐ近くだったという単純な理由ではあったけれど。

 ――警務隊の同志を探していたのだよ。これで私の計画は完全なものとなる。

 大佐にそう言われ、自分の運命に感謝した。

 デオラを食い物にし続ける〈トライアングル〉を打ち倒し、デオラ二十二億の愚昧の民を目覚めさせるために集った同志。その行動開始の狼煙ともいうべき計画の、もっとも重要な部分を任されたのだ。

 どの面下げて、「アリシアを取り逃がしました」などと報告できるというのだ。

 死んだほうがましだ。

 欺瞞に満ちたトライアングル。父が殉じたマドリガル戦役をも踏みにじり、デオラ国民を愚弄し続けるトライアングル。そして、愚弄され続けることに馴れきってしまったデオラ国民たち。これらの現実を一挙に打破し、デオラに新時代を築く計画の第一歩が、他ならぬ自分の責任でつまずいてしまうなど、死んだほうがましだ。

 必ずや責任を果たし、胸を張って新時代を迎える。そのためには、自分の失態をブランドル大佐に知られてはならない。

 決して、知られてはならない。

 愚昧の国デオラを根本から改革する素晴らしい計画を、自分の不手際で潰えさせてはならない。

「曹長」

 シンディは、宣言するように告げた。

「再度、指示を確認する。われわれの責任において、アリシアを捜索し、確保するのだ。ただちに本部へ帰投する。追跡艦の手配が完了し次第作戦に移れるよう、必要な準備を行なう。総員、集結させろ」

 ダニエルは一瞬の躊躇の後、踏ん切りをつけるように「了解しました」と答え、シンディのそばから兵士一同のもとへと駆けて行った。

 一人になったシンディは、再び空を見上げた。満月は中天を過ぎ越していた。気温が下がってきている。シンディはひとつ、小さな身震いをした。

 武者震いだと思った。

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