第一章 コンスエロ【3】
何が欲しいわけでもない。
何をやりたいわけでもない。
人生に色気を出して頑張ってみたところで、結果はたかが知れている。
ただ、明日が今日になり、今日が昨日へと移り変わる単純な時間の流れの中で、適当に身を処していけたら、それでいい。
その代わり、誰にも邪魔されたくないし、面倒なことには関わり合いになりたくない。
そんなロンにとって最も考えたくない成り行きが、いま自分の身に起きていた。
なんとか切り抜けなければ。
しかし、目の前にいるのは政府の役人や惑星警察の下っ端ではない。軍だ。今までに経験してきたトラブルの相手とは勝手が違う。
まずは――まずは、時間稼ぎだ。
「待ってくれ」
ロンは両手を肩の高さに上げ、手のひらを相手に向けた。
「調べるって、何をだ」
「探し物だ。隠すと、ためにならないぞ。さっさと中へ通せ」
探し物。やはりそうか。観念しつつ、ロンは薮蛇を承知で尋ねた。
「どうして、俺の船を?」
「説明の必要はない」
女は鋭い口調で断言した。ロンは抵抗を試みる。
「荷主の企業秘密に関係したコンテナを積んでるんだ。荷主に断らずに船内を見せるわけにはいかない」
「きさま、軍に逆らうのか」
制服を誇示するように、女は胸を張る。
「あんたが軍人だという証拠がない。ニセ軍人かもしれない。所属と官姓名を名乗って認識票を見せるのが先だろう。ええっと」
喋りながら、女の胸の階級章を確認した。
「大尉さん?」
「こいつ!」
女の右横にいた若い男の兵士がいきり立ち、銃を抜こうとする。
「待て!」
女がサッと腕を開いて制した。
「この男の言うとおりだ」
部下の兵士をひと睨みすると、再びロンに向かい、認識票を提示した。
「デオラ宇宙軍コンスエロ直轄師団、警務隊第一小隊長、シンディ・クローレ大尉だ。現在の任務の内容を明かすことはできないが、デオラ市民としての協力を要請する」
「軍に関係するようなものは積んでないぜ」
ロンはやんわりと拒絶した。
「それを判断するのはわれわれだ」
クローレ大尉は、ロンの船をじっくりと観察するように見上げた。視線の行き先を手繰るように、ロンも自分の船を見た。
舷側に〈メモリア号〉と船名がレリーフされている。貨物船としては中型クラスだ。もうずいぶん古い船で、おまけに慢性的な整備不良だから、外見はかなりくたびれている。しかし、設計そのものは貨物船らしからぬ機動性を帯びたフォルムを備えていた。
「なるほど」
何か腑に落ちることでもあったのか、クローレ大尉が感心したように頷いた。ロンは気が気ではなかったが、それでも、あるアイデアを捻り出していた。
クローレ大尉が視線をロンに戻した。
「協力要請に応じないのであれば、強制的に接収することになる。好きなほうを選べ」
「しかたないな……協力しよう」
ロンは頭の後ろを掻きながら、ゆっくりした口調で答えた。返事に時間をかけたのは、しぶしぶながらもちゃんと納得し了解した、という態度を示すための演技だった。
「ただし、船の中に入るのは、必要最低限の人数だけにしてくれ。さっきも言ったが、荷主の企業秘密に関するコンテナがある」
軍が自分の身柄をさっさと拘束しないのは、まだ確証をつかんでいないからだ。ロンはそう判断し、現段階ではある程度の条件を出すことはまだ可能だと踏んでいた。
「配慮する」
クローレ大尉は小さく頷き、左右を見て、何人かの名を呼んだ。きびきびとした所作で、五人の兵が大尉のすぐ近くまで歩み寄った。
「開けろ」
「わかった」
ロンは先に立って歩き、メモリア号の船体を左右から挟み込んで地上に固定している厚さ二メートルのホバーパッド二基の間へ、大尉たちを誘導した。
遠隔操作キーを搭乗用ハッチに向ける。
船腹から、エアロック開放の作動音が聞こえてきた。次いでハッチが開き、収納されていたスロープが地上へ向かって伸長しながら降りてきた。
スロープは静かに接地した。
「案内しよう」
ロンが先導し、一同はスロープを昇った。
エアロックから船内通路に出る。ほとんど真っ暗だった。黒っぽい赤の非常灯がまばらに灯っているだけだ。
「灯りを点けろ」
クローレ大尉が厳しい声で命じた。唇の動きも見えない。目の白い部分だけがうすぼんやりと光って見える。
「船がボロでね。照明の回路がいかれてる。主機関を起動させないと電力が供給されないんだ」
嘘だった。
「では、起動しろ」
「ブリッジへ行ってもいいか? そこでないと起動できない」
エンジンを起動するための方便だった。
「誰かついて行け」
クローレ大尉が顎をしゃくり、兵の一人が銃を携えて進み出た。ロンは、その兵を従えてブリッジへ向かった。
ブリッジの区画への通路も照明はすべて落ちたままだ。手探りに近い状態で歩く。
エレベーターでブリッジへ上がる。
ブリッジの中も非常灯しか点いていないが、耐真空偏光スクリーンが張られたフロントシールドから貨物港の灯りが射し込んでいて、お互いの顔が判別できる程度には明るい。
貨物船にしては広いブリッジだ。正面中央奥に主操縦席、その左に副操縦席。左右のサイドシールドの前には機関士と通信士の席もあるが、すっかり埃をかぶっている。
ロンは主操縦席に向かい、立ったままで主機関の起動レバーを手前に引いた。
グン、という振動が船を貫いた。エンジンに予備動力が注ぎ込まれたしるしだった。
しかし、船内照明は消えたままだ。
「どうした」
監視の兵が不審の目で見た。
「照明の回路は船内の区画ごとに分かれててね。それぞれの場所ごとにスイッチを入れないと点けられないんだ」
当然のようにロンは答え、コンソールを操作してブリッジの照明を点けた。
エレベーターで船底のフロアに戻った。
クローレ大尉は待ちかねていた。
「遅い。さっさと灯りを点けろ」
ロンに向かって言い捨てると、配下の兵たちに対しては、
「照明が入ったら、散開して船内を探索しろ。自分はここに残って、この男が隠匿工作を行なわないように監視する」
チャンスだと思った。
ロンは、肺の中身をぜんぶ搾り出すような息を吐いた。
「観念したよ」
投げやりな声音を作って言う。
「何がだ?」
「あんたらの探し物は、そこにある」
ロンが指差したのは、船内通路の片隅にある可動式の隔壁だ。
「なんだと。本当か」
「こうなった以上、逃げも隠れもしないさ」
クローレ大尉は、「そこを動くな」と言い置くと、兵士たちを連れてそちらへ駆け寄った。
ロンは後ろ手に隠した操作キーで隔壁を開いた。中には、二重隔壁の内扉がある。それも開けた。あたかも、大尉が前に立ったから自動で開いた、というタイミングで。
「進め」
赤黒い非常灯のかすかな光がよどむ通路の奥で、クローレ大尉は鋭く号令をかけ、隔壁の向こうへ素早く身を躍らせた。五人の兵も続いた。
全員が突入したのを見定めると、ロンは操作キーでいきなり隔壁を閉じた。
「きさま、何をする! 開けろ!」
隔壁の向こうで大尉の怒鳴り声がした。そこは、非常灯すらない真っ暗闇のはずだ。
ロンは返事もせずに通路を駆け、エレベーターへ飛び込んだ。
ロンが兵士たちを閉じ込めたのは、船に造りつけのコンテナブロックだった。分割して運ぶことのできない大きな貨物、たとえば小型の宇宙艇などを格納するための、いわば巨大な箱だ。通常のコンテナとは違い、船底の専用ハッチを開いて、ブロックごと積み下ろしをする設計になっている。
過去にロンは、このブロックを一度だけ使用したことがある。コンスエロ南大陸近海に棲息する全長十五メートルの巨大肉食魚〈テロロディクティス〉を収めた水槽を運搬したときだ。
カタログスペックによれば、ブロックには中で爆弾が爆発しても破れないだけの強度がある。少なくとも、パルスガン程度で容易に焼き切れるものではない。
エレベーターを出たロンはブリッジへ駆け込み、主操縦席についた。
さっき手前に引いたレバーを、下へ押し込む。予備動力でじゅうぶんに暖まった核融合エンジンの反応炉が、フル回転を開始する。
推力回路、オープン。
船体が大きく揺れる。
出したままだった搭乗用スロープを格納し、ハッチを閉じる。
操舵桿を握る。垂直上昇開始。
いや、その前にすることがあった。コンテナブロックの投棄だ。
遠隔操作で専用ハッチを開放し、クローレ大尉とその配下五人を捕獲したまま、ブロックを地上へ落下させた。
ドゴン、と地響きがして、周囲の空気がビリビリと震えた。かなりの衝撃だが、たかが四メートル程度の高さだ。訓練された軍人がまさか死にはすまい。
ブリッジからは見えないが、下では残りの兵たちが泡を食っていることだろう。
あとは、一秒でも早く逃げるだけだ。
ロンは垂直噴射の出力を上げた。
しかし、上がらない。
航法コンピュータが警告を発した。
『位置制御ジャイロ、計測および設定未了。発進不能。数値の入力を要求します。位置制御ジャイロ、計測および設定未了。発進不能。数値の入力を要求します』
ロンは舌打ちした。焦りで、発進の手順を間違えてしまっていた。
宇宙船の発進や停止および通常航行中の針路変更の際には、船体の現在座標確認と姿勢制御のための演算が必要になる。でないと、航法コンピュータが指示を受けつけない。
もちろん、普通の船なら、そんなものは自動操縦システムに組み込まれている。操縦者が数値を割り出して入力する必要など、まったくない。
しかし、メモリア号はロートルでしかも整備不良だった。自動操縦システムの一部が壊れていて、手動で入力しなければならないのだ。
このためロンは、航法コンピュータが要求してくるたびに、副操縦席へ移って位置制御ジャイロを操作し、数値を割り出してそれを入力し、また主操縦席へ戻って推力を操作し、といった具合に、ブリッジの中をせわしなく走り回らされるのが常なのだ。
その作業は、面倒ではあるけれど、たかが貨物便の運行には支障はなかった。
しかし、今は一秒を争う。
地上には、まだ十人あまりの兵がいた。軍用車両もあった。車にはそれなりの武器が搭載されているはずだ。
つんのめりながら副操縦席へ飛び移る。
ばきばきとキーボードを叩きまくって数値を獲得し、次いでそれを入力する。
ひとつ打ち間違えた。
『不適切な数値です。再度の入力を要求します。不適切な数値です。再度の入力を要求します』
こんな時にまで二度繰り返す旧式マシンの苛立たしさ。
訂正、入力。
ようやく航法コンピュータがロンの意思を受けつけた。
転がるように主操縦席へ。
サイドシールドの向こうで、下から上へ鋭い光跡が走った。兵の発砲だ。
出力全開!
メモリア号は、核融合エンジンが生み出す推力をすべて垂直噴射に費やし、船体を急上昇させた。ホバーパッドが船側から離れ、地上に落下する。
再び、発砲。パルスガンなどではない、重火器のようだ。だが、光跡は見当外れの方向へ走った。メモリア号が垂直噴射を開始したため、兵士たちは船の真下から急いで逃げ去りながら射撃しているのだろう。
通信士席へ移れば下部監視カメラで地上の様子を確認できるが、ロンにはそんな余裕はなく、ひたすら操舵桿にしがみつき続けた。力を入れて握ったからといって最大推力が増すわけではないが、そうせずにはいられなかった。
主操縦席の通信機のランプが灯った。管制センターから直接モードでの入電だ。指定出港時刻はまだだ、とがなり立てる。こんな時にまで何をバカ丁寧なことを。
「不測の事態により緊急発進した。以上!」
それだけ言うと、ロンは通信をオフにした。
ロンが知る限りの、デオラ宇宙軍制式陸上兵器の最大射程高度を超えたところで、船の運動を垂直上昇から前進へ移行させた。
コンスエロの重力圏を脱出する時にはまた、例の数値入力が要求される。ブリッジの中で反復横跳びをやらなくてはならないが、ともかく、それまではひと息つける。
ロンは、操縦席に背中を預けた。
なんとか切り抜けられた。
しかし、面倒なことになった。事後処理が大変だ。この船はもう、軍のお尋ね者になってしまった。
こうなった以上、ヘレネを全面的に頼るほかはない。表向きはともかく、裏側ではいろいろと非合法なことにも手を染めているヘレネは、こういう場合の対処ノウハウも持っているはずだ。
艤装をそっくり取り換えたり、船名を変えたり、船籍IDを偽造して登録変更したり、追及を逃れるための手を打たなければならないだろう。
何より、当面の間は――もしかしたら半永久的に――この宙域では仕事ができないかもしれない。
これからのことを想像すると、暗澹たる気持ちになった。
最悪の場合、この船を捨てることも覚悟しなくてはならない。十年以上も生活をともにしてきたメモリア号をスクラップにし、ヘレネの斡旋でこぎれいな貨物船をあてがわれて、専属の下請け業者としてその船のリース料を払いつづけるためだけに働くのだ。
ロンはかぶりを振った。
確かに今だって、船の維持費を払うのでせいいっぱいの生活だ。仕事のために船を持っているのか、船のために仕事を続けているのか、ロン自身にも分からない。しかし、この船だから、それができるのだ。
何だってこんな羽目に……。
ブリッジの床を突き破って地の底まで体が沈み込んでいくような気分をロンが満喫していた、その時。
警報が鳴った。
しかも船内二級警報だ。すなわち、船内における爆発、有毒物質の漏出、または侵入者の存在。
ロンは目を開け、操縦席から体を起こした。
『後部船倉に移動熱源。侵入者の可能性あり。後部船倉に移動熱源。侵入者の可能性あり』
アナウンスが警報の内容を説明した。
兵は全員、コンテナブロックに押し込めたつもりだったが、まだ残っていたのか?
コンソール下部のダッシュボックスからパラライズガンを取り出した。敵を麻痺させるための銃だ。大した役には立たないが、ないよりはましだろう。
船内の全照明をオンにして、ブリッジを出た。
エレベーターと船内通路を経由して後部船倉へ向かう。
後部船倉は、ついさっき大立ち回りを演じたコンテナブロックの区画よりさらに船尾に近い。
警務隊の兵だったら、どうする? 殺すわけにはいかないが、生かしておくわけにもいかない。それより、本隊に連絡されてしまったら一段と厄介なことになる。
船倉の隔壁の前まで来た。側壁に背中をつける。
呼吸を整える。
隔壁を開けた。
同時に船倉へ飛び込み、銃を構える。
「抵抗するな!」
大声で叫んだ。殺傷能力のないパラライズガンでも、出力を最大にすれば敵の動きを完全に封じることぐらいはできる。
人の姿はない。どこかに潜んでいるのか。
目の前には、整然と積まれた三メートル立方のコンテナの山。
耳を澄ませた。
いちばん奥の山の裏側で、カサカサと物音がする。コンテナに背をつけたまま、横歩きでそちらへ近づく。
確かに、人の気配がある。荒い息遣いが聞こえる。
追い詰めた。袋のネズミだ。ただし、相手が警務隊の兵士なら話は別――
相手が動いた。
いきなり、コンテナの陰から飛び出したのだ。隣りのコンテナに隠れようとでもしたのだろうか。
ロンは本能的にそちらへ銃を向け、反射的にトリガーを引こうとした。
そして、本能や反射以上に深く体に刻み込まれた訓練の記憶によって、すんでのところで銃を収めた。
非武装ノ者、無抵抗ノ者、撃ツベカラズ。
「やだ……やだっ!」
飛び出した途端に足をもつれさせて転倒し、そのまま床にへたり込んで情けない泣き声を上げているのは、軍ではなくどこかの学校の制服を着た小柄な少女だった。
「おい……!」
ロンは声をかけた。
少女は頭を押さえている。ブロンドの髪は煤だらけだが、負傷している様子はない。ただ、軽合金製とおぼしきヘッドホン状の機械を頭から両耳にすっぽりと被っていて、それを気にしているようだった。
予想外の侵入者にロンは驚きつつも、少女に歩み寄った。
少女は、両耳のイヤパッドを交互に触っては、何かを確かめようとしている。それから、首からさげたペンダントにも触れた。
次いで、目の前に迫ったロンの姿を見た。
「きゃっ」
ひと声叫ぶと、壁際へ跳びすさった。
「撃たないで!」
懇願されて、ロンはようやく自分が銃を携えたままだったことに気づいた。あわててそれをズボンの腰に突っ込んだ。
突っ立ったままのロンと、壁に追い詰められた格好の少女とは、睨み合いになった。もっとも、涙目になっておびえている少女を睨みつけるわけにもいかず、ロンはただ困惑しきった目で斜めに見下ろすのが関の山だったが。
ちょうどそこへ、スピーカーを通して航法コンピュータの声がした。
『コンスエロ重力圏離脱します。位置制御ジャイロに数値の入力を要求します。コンスエロ重力圏離脱します。位置制御ジャイロに数値の入力を要求します』
二度繰り返して声は止んだ。
「……と、いうわけだ」
ロンは少女に語りかけた。言いながら、自分はいったい何を言ってるんだろう、と馬鹿らしくなった。
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