第一章 コンスエロ【2】

 皿を持ち上げて、残りの生野菜を口の中へかき込んだ。

 この夕食が終われば、数日は味も素っ気もない船内食が続く。せいぜい噛みしめておこう。世の中、うまいメシを食うことぐらいしか楽しみはない。

 もっとも、シティ郊外の貨物港に寄りそってほんの申し訳程度に賑わっているに過ぎない小さな盛り場の、そのまた外れの古びた料理屋で出される食事を有り難がって押しいただく客など、そうはいないだろう。船内食でも、長距離旅客船で出されるものなら、この店のメニューよりよほど豪華でうまいに違いない。

 ま、どうでもいいことだ……。

 コップの水を干し、ロンは腰を上げた。ジャンパーの内ポケットに右手を突っ込み、左手で耳の後ろをぼりぼりと掻きながら、支払いカウンターへ立つ。

「六〇〇クレジットね」

 ポーシャがカウンターの中に入りながら言う。店の女主人で、固太りの中年女だ。

「これで頼む」

 ロンはポケットからカードを取り出し、ポーシャに手渡す。彼女は受け取り、カルキュレーターのスロットにそれを差し込んだ。

 ジ、ジ、と小さな音がした後、カルキュレーターの機械音が愛想のない口調で咎め立てしてきた。

『ロナルド・シーカー様。残高が不足しています。ロナルド・シーカー様。残高が不足しています』

 どんなアナウンスでも必ず二回繰り返すのは、マシンが旧式だという証拠だ。

「空っぽだよ、ロン」

 ポーシャは薄笑いを浮かべた。

「しかたないな」

 ロンはズボンの尻ポケットをまさぐった。

「連邦の正規通貨で払ってもいいか?」

「ありがたくないけど、税法上は使えるんだから、イヤとは言えないね。出しなよ」

「すまん。うっかりしてたんだ。積み立て用の口座には残ってるんだが、十日前までに申し込まないと下ろせない」

 弁明とともに、ロンはすっかり黄ばんだ連邦共通カードをポーシャに差し出した。

「十年ぶり以上だよ、連邦のカードを使うなんてのは。よく残ってたもんだ」

「きつい仕事で荒稼ぎしてる割には、いつもピーピー言ってるんだね、あんた」

 支払い処理をしながらポーシャが揶揄した。

「船の維持費が高くてな。あと、先月はたまたま仕事がなかった」

「あんたの船、故障ばっかしてるからね。ああ、このカードもそんなに残高はないよ。積み立てを解約するしかないんじゃない?」

 ポーシャが頷く。

「ま、今日からはしばらく仕事続きなんで、ひと息つけるさ」

「船、買い換えたらどう? お金貯めてさ」

「何年かかることだか」

 ロンは自嘲気味に笑った。ポーシャはカウンターに両手で頬杖をついて、ロンを見上げる。

「買い取りじゃなくて、リースって手もあるじゃない。どうしても今の船を維持したきゃ、個別の請負じゃなくて、〈ヘレネ〉と専属の契約してもらうんだね。話は出てんだろ?」

「ああ。出てる」

 ロンは答えた。気乗りのしない返事になった。

「じっくり考えな。あんたももう若くはないんだし。いつまでも独身ってわけにもいかないよ。四十だろ?」

「失礼だな。まだ三十八だぜ」

「同じようなもんじゃないか。ちゃんと人生設計しなきゃダメだよ」

「考えてみるさ。じゃ、行ってくる。今度は、ちょっと長いと思う」

「そりゃ、せいせいするよ」

 憎まれ口を叩きつつも、ポーシャは柔和な笑顔を浮かべて軽く手を振った。

「気をつけて」

「ああ」

 ロンは店を出た。出る寸前にちらっと店内を見渡したが、他に客の姿はなかった。

 外は少々肌寒かった。ロンは上着の襟を立てた。ゆったり着られるし、ポケットも多くて便利なジャンパーだが、やや薄手なのが難点だ。

 貨物港への道を歩き出す。

 空にはみごとな満月だ。ピンと張り詰めた弦のような今夜の空気によく似合っている。

 自分は、死ぬまでにあと何度、この満月を見るのだろう。ロンはぼんやりとそんなことを思った。

 ポーシャにはああ言ったが、人生設計などという言葉にさして興味はない。専属契約の件も、もう何度も持ちかけられていたが、そのたびにロンは断っていた。

〈ヘレネ〉は、銀河系のこの界隈では、まあいちおう大手に数えて差し支えのない運送会社だ。専属になれば定期的に仕事を割り当ててもらえるから安心だし、仮に仕事がなくても一定の賃金は保証される。

 今の契約形態のままだと、あまりいい仕事は回ってこないし、回ってきてもその都度請負料金を折衝して決めなくてはならない。確かに報酬は専属より割高だが、自分と同じ立場の個人営業の連中と仕事を取り合うことになるからダンピング合戦になったりするし、保険の掛け金だって専属より高く設定されるから、結局のところ手もとに残る金はさほど多いわけでもなかった。

 しかし、今のやり方がロンには合っていた。何より専属はいろいろと煩わしい。例えば、割り当てられた仕事は気に染まなくても断ることができないのだ。

 それにこの業界、正規の運送契約だけで成り立っているわけではない。何やら曰く付きの横流し品とか、もうあからさまに違法な荷物とか、そんなものは日常茶飯事だ。専属になれば、おいそれと手を出すわけにはいかない。他ならぬヘレネの監督員たち自身がそういう仕事を裏で営んでいるにも関わらず、だ。

 また、細かいことだが、専属の運送業者は原則としてヘレネの中継基地を活動拠点とすることを求められる。ロンも、コンスエロを離れなくてはならなくなるだろう。そしてポーシャの店は貴重な常連客をまた一人失うというわけだ。

 ひとつ、くしゃみが出た。

 時計を見る。指定された出港時刻まであまり余裕がない。ロンは足を速めた。

 コンテナの積み込みはいつもの業者に任せておいた。もう終わっている頃だ。今回の荷主は〈トロメア・ファルマ〉社。新薬の販売促進用サンプルだと聞いている。何の薬かは知らないが、少なくとも非合法なものではない。

 普通の荷物を、普通に運ぶ。安全第一、納期厳守。面白くも何ともない、当たり前の仕事だ。

 貨物港の事務棟は閑散としていた。今夜は、出港する船も少ないらしい。

「ぼつぼつ、出るよ」

 ロンは入出港管理係の窓口に声をかけた。

「あいよ」

 顔なじみの係官が間延びした返答を寄越す。ロンは頷き返し、事務棟のホールを突っ切って、繋留エリアのほうへ抜け出ようとした。

 すると、係官が思い出したように呼び止めた。

「あ、そうだ。ロン、今、出られないよ」

「何かあったのか?」

 足を止めて聞き返した。

「なんか知らないけど、軍が来てさ。足止め食わされてる」

「軍が?」

 ロンは顔をしかめた。

 係官は端末機のディスプレイに視線を移した。

「ロン、今回の行き先は、星系外か」再びロンを見る。「LIP到達に遅刻すると厄介だな」

「ああ」

 何があったか知らないが、時間どおりに出港しないと面倒なことになる。入出港の管理とLPの経由許可管理とは、まったく無関係だからだ。不測の事態で出港が遅れても、LP管理局のほうではそれを考慮してくれはしない。

 LPとは、〈リープポイント〉のことだ。超光速航行を可能にする特異点である。LPからLPへと高次空間をジャンプすることで、事実上、無制限の長距離を航行できるのだ。

 人類発祥の星である地球から外宇宙への移住が可能になったのは、LPが発見されたからだった。

 すでに理論的には存在が予言されていたLPは、長期間にわたる探索の末、冥王星軌道の外側で実在が確認された。ひとつ発見されると、複雑な理論計算により、付近のLPの座標が割り出せる。あとは、LPから高次空間へ安全に入るためのシステムと、行き先のLPの座標へと確実にナビゲートする航法とを実用化するだけだった。この二つは総合して、HLAつまり〈ハイパー・リープ・アストロゲーション〉と呼ばれる。

 ただひとつ、理論予測と違っていたのは、LPは常に二個一対で存在していたことだった。LIPとLOP、つまり〈リープイン・ポイント〉と〈リープアウト・ポイント〉である。

 前者は高次空間への入り口、後者は出口だ。両者は、宇宙的なスケールで見ればごく近接した位置にあるが、人類の常識からは途方もなく離れている場合も多かった。また、対になっているLIPからLOPへジャンプすることは不可能であることが判明した。このため、最初にHLAの航行実験に赴いた宇宙船〈アダム〉は、太陽系へ帰還するために随分な苦労を強いられたという。

 ともあれ、こうして外宇宙への航行が実用化され、人類の植民移住が開始された。

 通常航行でLIPへ到達し、LOPへHLAでジャンプ。ジャンプ先からは通常航行で、移住可能な惑星を持つ恒星系を探す。それが見つかれば、植民が始まる。

 これを繰り返して、いわばLPの飛び石伝いで人類は勢力範囲を拡大しつづけた。

 九つの惑星からなる恒星系〈デオラ〉に到達したのは、約百五十年前のことだ。

 デオラ近辺には、LPは一対しかない。最外郭惑星デオラⅨのほど近くにLOPが、恒星をはさんでそのちょうど対蹠点にLIPがあり、重力バランスの関係で、どちらもデオラⅨの公転とシンクロして公転している。

 利用できるLPが一対しかないため、デオラ政府は、星系宙域への出入りに厳しい制限を課していた。あらかじめ申請して許可を受けた時間帯に到達しなければ、リープインやリープアウトをさせてもらえない。遅刻すれば即座にキャンセル待ちへと回されるのである。

 実際、ロンは過去に何度も遅刻したことがある。大半は宇宙船の不調のためだ。

 しかし世の中、どんなことにも裏と表がある。LP管理局に対してそれなりの「誠意」を見せれば、あっという間にキャンセル待ちの順位が繰り上がり、スムーズにHLAに入れるのだ。ロンの口座が時として空っぽなのは、これがその原因の一つでもある。

 コンスエロからLIPの現在位置まで、通常航行で百六時間。余裕を見て、出港後百十時間で到着する、と申請してある。ぶっ飛ばせば百時間まで短縮できるだろうが、それでも余裕は十時間しかない。

 軍による貨物港封鎖がそれ以上続けば、約束の納期に間に合わない。荷主に違約金を払う羽目になる。LP管理局に誠意を見せようにも、あいにく口座には金がない。

 積み立て用の予備口座には、いくら貯まっていただろうか? しかし、解約しても入金されるのは十日後だ。やれやれ、どっちにしてもこの仕事、赤字になる危険性が高い。

 今はとにかく、さっさと軍が引き上げてくれるのを期待するだけだ。封鎖のことを別にしても、軍とは関わり合いになりたくない。

 同業者らしき風体の二人連れの男がホールに入ってきた。窓口に顔を出し、さっきのロンと同じようなやり取りをしている。それほど出発を急いでいないのか、何ごとかを言い残してそのまま外へ出て行った。

「封鎖が解けたら連絡をくれ、ってさ」

 係官が肩をすくめた。

「これで五組めだ」

「お疲れさん」

 ロンは言い、再び繋留エリアへ目を向けた。

 一個小隊ぐらいの人数が、何かを捜索しているような気配だ。

 いやな予感がする。

 ロンの表情を見て、係官が小声で話しかけてきた。

「やばい荷でも引き受けたのかい?」

「いや、今回は正規の仕事なんだが……」

「だったら、損金が発生したら、軍に請求してみなよ。ムダかもしれないけど」

「そうだな。考えてみるさ」

 そう答えておいたが、考える気にもならなかった。

「なんか、事故でも起きたのかな」

 係官の顔から不安が消え、あっさりした口調になった。ロンたち運送業者の出港が遅れても、彼には実害はないのだから、無理もないだろう。

「事故?」

「ほら、ストームが近いだろ。おかげで、電波状態もときどき悪くなるし。防衛艦隊に事故でも起きてさ、緊急着陸でもするのかな、とか想像してるんだけど」

「ストームか。前のときはガキだったから、覚えてないな」

 ロンが言うと、係官は何やら自慢げに、

「こっちは生まれてもいなかったよ」

 若いんだ、と言いたいらしい。

 恒星デオラの活動周期の影響で、この星系内には約三十三年に一度、猛烈な電磁波の嵐が吹き荒れる。〈デオラストーム〉と呼ばれていた。

 今年は、その年に当たっている。ストームは、あと数日で来襲するはずだった。

 ストームの本体は数時間程度で通過してしまうが、その前後の期間は、さまざまな影響がある。通信状態の悪化もそのひとつだ。

「けど、軍用艦はそれほどヤワにはできていないぜ。それに、緊急着陸なら、真っ先に繋留してる船を全部、退去させるだろ」

 ロンが言うと、係官は、

「そうかもね」

 と興味なさそうに答え、新たに入ってきたさっきとは別の二人連れの男と、また同じような会話を交わしはじめた。

 ロンは繋留エリアへ足を踏み出した。様子を見に行くつもりだった。

 作業員や船の乗組員たちは、繋留エリアのそこかしこで数人ずつ固まって、兵士たちの行動を見守っていた。

「何があったんだ?」

 手近な作業員に聞くと、

「わからない。急に大勢で乗りつけてきたんだ。ただ、何か探してるみたいな感じだ」

「そうか」

 予感は当たっていた。

 何を探しているのだろう。ロンはさらに歩を進めながら考えた。

 テロリストとか、軍内の反乱分子とか、そんな手合いが逃げ込んだのだろうか。

 違う。そんな奴らは、まず間違いなく旅客港へ行くはずだ。人込みに紛れて逃亡するにも、何か騒ぎを起こすにも、そのほうが簡単だし適切だからだ。

 それとも今、この貨物港に、軍やテロリストなどが関心を持つような何かを隠し持った船が停泊しているのだろうか。

 これなら、ありそうな話だった。

 何しろ、ロン自身がそれに該当する。

 まさか?

 自然と足が速まった。路面に行儀よく並んでいる赤い誘導灯をまたいで自分の船へと急ぐ。

 すぐ近くで男の叫び声が上がった。兵の一人だろうか。仲間を呼び集めている。

 ロンは駆け足になった。

 ようやく船のそばまで来た。依頼しておいた積み込み作業は、ちょうど終わったばかりのようだ。ロンの目の前で、船底にある貨物の積み下ろし用ハッチが今まさに閉じ終わろうとしている。

 見たところ、船に異常はない。

 一応はほっとしたが、船内を点検しないことには安心はできない。

 ジャンパーのポケットから操作キーを取り出し、搭乗用ハッチをリモートで開けようとした時だった。

 後ろで、声がした。

「動くな」

 肩越しに後ろを見ると、火のように赤い短髪を逆立てた若い女が、厳しい表情でロンの船を睨みつけていた。宇宙軍の制服を着ている。

「これは、きさまの船か」

「そうだが」

「調べさせてもらう」

 女の背後や周囲には、彼女の部下と思われる十数名の兵士が、それぞれ腰のパルスガンに手を添えた姿勢で集結している。

 ロンは、天を仰いだ。満月は中天に差しかかろうとしていた。


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