わたしのことが気になります?



 放課後、ふと「屋上に行け」という天啓を得た気がしたので、暇つぶしに屋上に寄ることにした。


 人気のない階段をぺたぺた登っていく。この学校の屋上は開放されている。が、どうやら掃除されてないので割と汚い。


 別にベンチとかが置いてあるわけでもない。夏は暑いし冬は寒い。ので、屋上に来る人間というのは春頃の新入生か暇な人間、あるいは天望部員くらいなものだ。



 天望部、という部活は他ではあまり聞き馴染みがないかもしれない。うちの学校独自の部活といってもいい。


 元々は天文部だったらしい。部員数が減って部活動から同好会に格下げされそうになった当時の部長が、「廃部になるくらいならいっそ活動範囲を広げて部員を確保しよう」と思いついて「天を仰ぎ見、あらゆる事象を観測すること」を活動内容とした天望部に改めたそうだ。俺はなかなかセンスあると思う。


 また、当時存在していたバードウォッチング同好会と合併し部活動として必要な人数を保ったらしい。ちなみに部活動は部室や少しの予算が与えられる。バードウォッチング同好会にとっても悪い話ではなかったのだろう。


 俺もその天望部であるため屋上には割と頻繁に出入りしている。天体観測が好きというわけでも鳥を見るのが特別好きというわけでもない俺が天望部に入った理由は、第一に親に部活動に所属することを義務付けられたから、第二に昔から空に浮かぶ雲を眺めるのが好きだったからである。


 先代天望部部長は寛容な人で「空を眺めるのが好き?ならオールオッケーよ!」と言って入部させてくれた。


 ちなみに天望部の部員は三年生がゼロ人、二年生が俺含めて五人、一年生が暫定一人である。去年卒業した先輩は七人いた。部活動として成り立つために必要な部員数は八人。二個上の大所帯が卒業してしまった為同好会格下げの危機が再び訪れているのだが危機感を感じているのは部長ただ一人だ。


 この学校は丘の上に建っているのもあって屋上からはほとんど全天を見渡すことができる。空というものは人間主観だと、全く地物に遮られていない状態があまりない。いつもなにかしら建物とか木とか山に遮られ隠されてしまう。


 例えば、この町の場合どこに行っても北側は山地に遮られて地平線近くは見えないし、東側は海が広がっているけど大きな島が水平線を途切れさせている。南側も海が広がっているが手前に大きな工場があるせいで空が見えづらい。西側にも遠くまで山々が連なっていて北側と同様だ。


 とはいえ、住宅街の路上なんかよりも屋上の方が見える空は断然広い。見る場所によって空の見え方は変わるものだ。


 俺はこうして放課後時々空を眺めに行く。

 放課後に色んな部活が活動している学校を上から眺めるのが好きだったりする。誰かに共感されたことはない。


 そんなことを考えながら屋上の鉄扉の前に到着。今日はどんな雲が広がっているだろうかなんてぼんやり考えながらドアノブを捻る。授業中に窓の外を見上げた時は刷毛で描いたような上層雲が広がっていた。


 ギィーと音を立ててドアが開いた。


 …………。


 俺は無言でドアを閉めた。


 なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして咄嗟に扉を閉じてしまったのだ。


 ……空には綿菓子のような雲、積雲がいくつか浮かんでいるのが一瞬見えた。しかしそれよりも目を引くものが屋上にあった。


 見慣れない机が置いてあって、その机の上にこの学校の制服を着た女の子が知らない歌を歌いながら座っていた。


 ドアを開けていたのは一瞬だったが、ばっちりと目が合ってしまった。歌はもう聞こえない。


 どうして屋上に机が?とか、机に座るんじゃねぇよ、とか何をしてるんだ?とか、掛けるべき声を頭の中の辞書から探した。


 ……よし、もう一度確認だ。このままUターンして帰るわけにもいくまい。


 そうして押した鉄扉はさっきよりいくらか重くなったように感じた。


「なんでテイクツーやったんですか」


 俺が口を開く前に彼女の方から話しかけてきて驚く。


「あーいや、まーそういう気分だったんだ」


 そう答えると彼女は一瞬ひどく驚いたような顔になったがすぐ元に戻った。


 彼女は机に腰かけて足を組んでいた。華奢な太ももが露わになっていて……あまり見ないように努めた。肩まで伸びたストレートの黒髪、二重まぶたのぱっちりとした目。学校指定の白いワイシャツが絵になる容姿をしていた。上履きの色が青色だからおそらく一年生だろう。


「……てっきりわたしと目が合って気まずくなって逃げ出したのかと思いました」


「ははは。まさか」


 正解だった。


「君は、こんなところで何をやってるんだ。その机は?」


 話を俺が気になっている方に逸らした。あのまま話が続けば俺が小心者であることが露呈しかねない。


「わたしのことが気になります?」


 ……なんか腹立つ言い方だった。下唇に人差し指を当てるようにして自分を指差しながら、あからさまに可愛い子ぶってるかんじ。実際かわいい。かわいいにはかわいいのだが、こういう女子が俺は苦手だ。


「いや別に、ただ俺は屋上に暇潰しにきただけだから」


「じゃあ暇なんだったら試してみますか?」


「何を試すんだ?」


「この机です」


 ……話が噛み合っていない気がする。机を試すってなんだ。何かこう、俺の知らない机の座り心地みたいな概念が今の若者の間では流行っているのだろうか。……そんなわけあるか?やっぱり相手にするべきじゃなかったかもしれない。


「む、今失礼なことを考えましたね。わたしにはわかるんですよ」


 彼女は机からひょいと降りて手招きした。


「こっち来てください」


 机の向こう側(座る時の手前側)に彼女は立っている。


「机の中、覗いてみてください」


「机の……中?」


 俺は向こう側に回り込んで机の中を覗き込んだ。


「うわ!なんだこれ!?」


 その、机の中にあったものに驚いた。というか訳が分からなかった。自分の頭がおかしくなってしまったのかと思った。(事故で頭を打ったから頭がおかしくなった可能性は十分ある。)


 なんとその机の中には“空”があったのだ。空っぽの空ではない。スカイの空だ。


「えっ、なに、なんだ?3Dプロジェクター的な?近未来技術?なんだこれ!?」


 まるで本物にしか見えない青空が机の中に広がっている。


 手を入れて触れてみようかと右手を伸ばしたが、俺の中のなにか本能のようなものがそれをぎりぎりで押し留めた。


 この空に触れるとよくないことが起こる気がする。


 そもそも空に触れるという言葉自体おかしい。空とは人間には手が届かないものだろう。右手が空の手前で止まって少し震えた。


「えいっ」


 といういたずらっぽい声が背後から聞こえると同時にどんと背中を押された。もちろん女子生徒に。


 右手が机の中に入った。


 手が机の中の空に触れた。


 そして俺の体は奇妙な感覚に襲われた。






 気がつくと屋上で仰向けになって空を見つめていた。知ってる屋上だ。西の方に山の三倍ほどの高さに浮かんだ薄く灰色がかった雲が見える。


 あの机の中の空に触れた直後、右腕から順に腕全体が目に見えない油のような泥のようななにかに包まれていく感触があった。次に全身が溶けて液体になってしまったような気色の悪い感覚と共に机の中に引き摺り込まれるような感覚があった。そしていつの間にかここに寝そべっていた。


 さっきと同じ場所だがあの女子生徒がいない。机はある。恐る恐る中を覗いてみると空っぽでそこにはただの“机の中”があった。なんだったんだ。


 ……嵌められたか。あの女子生徒と誰かが共謀していて、俺が机に気を取られている隙に後ろからぶん殴ったのかもしれない。


 おいおいやめてくれよ、俺次頭打つと死ぬかもって言われてるんだぞ。


 でも、ポケットの財布は無事だ。なんなんだ一体。


 立ち上がって当たりを見渡してもやっぱりあの机はない。まさか白昼夢でも見ていたというのか。


 一連の出来事は全て俺の頭が作り上げた幻だったのか?……事故で頭打ってるせいで否定できない。


 屋上からグラウンドを見下ろすとサッカー部と陸上部が部活動に励んでいた。いつもの風景。違和感は、特にない。


「…………」


 まぁ、帰るか。家に帰ってから考えよう。





 しかし校舎に入るとすぐに異変を感じた。


 向こうから廊下を歩いてきた生徒が俺の目の前まで来ても避けようとしなかったのだ。ぎりぎりで俺が避けなければぶつかっていただろう。


 歩きながらなにか別のことに意識を向けているようには見えなかった。そしてぶつかりかけたにも関わらず俺のことを一瞥もしなかった。まるで俺のことが見えてないみたいに。



 似たようなことが、五回続いた。


 胸騒ぎがする。


 廊下の喧騒が遠い。


 まさか。そんなことが、あり得るというのだろうか。


 「誰も俺のことが見えていない、のか?」


 周囲に聞こえるくらいの声量で呟いた。


 廊下にいる人間は誰一人反応しない。


「嘘だろ……?」


 見回しても誰も俺のことなんて気にしちゃいない。


「あーあれだろ、テレビのドッキリ企画。盛大な企画してくれちゃってよ。『学校全員で一人の生徒が見えないふりしてみた』ってか?ふざけんじゃねぇぞ。素人相手にやるドッキリじゃねぇよ」


 …………


「なぁ、もういいだろ。ドッキリ大成功だぜ!はいはいすっかり騙されちまったよ!」


 やはり誰一人反応しない。本当に俺の姿が見えてないみたいだ。俺の声も聞こえていないみたいだ。

……医者の言葉を思い出す。


——もう一度強く頭を打ったら死ぬかもよ。


…………


……俺、死んだ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る