第二話 私の心はてんてこまい

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 私の悲壮な声を無視して、峰雪さんはずんずん歩いていく。掴まれた腕が、ちょっと痛い。

「詳しくは、屋敷に着いたら話そう」

 屋敷? 今、屋敷って言った?

 何それ……豪邸に住んでるってこと?

 もしかしてこれって、玉の輿ってやつですか!?

「は、はい……」

 夢見心地で答える。思わず胸が高鳴った。

まさか叶うと思っていなかった、シンデレラストーリー。流石にこの歳になって夢見ていたわけじゃないけど、一度はいいなと思った経験がある。

 イケメンのお屋敷に永久就職。

 そんなこと、叶っちゃっていいの!?

 え、詐欺じゃないよね……。

 喜んだり、不安になったりを繰り返しているうちに、私はいつの間にか新幹線の座席に座っていた。

「あの、どこへ行くんですか?」

「行けば判る」

「私、身一つで来ちゃったんですけど」

 てか仕事着だし。

「着物でも洋服でも、好きな物を用意させる」

「させるって……」

 やっぱり豪邸だ。使用人が居るやつだ。

 心の奥でガッツポーズを決める私を押し込めて、現実的な思考をなんとか取り戻す。

 そもそも仕事中だし。いや、シフト的にはもう休みの時間だけど、抜ける挨拶もしてないし。

「仕事を抜けるって連絡しないといけないんです」

「そのことなら問題ない」

 問題ないってどういうこと?

 芽生えそうになった不信感は、すぐに摘まれた。彼の眼差しが、とても真剣で、まっすぐだったからだ。

 そうか、私、この人にプロポーズされたんだ。

 どきりとした。今までふわふわと浮いた心地でいたが、求婚されたことが現実味を帯び始めた瞬間だった。

「既に手を回してある」

 手を回して? どういうこと?

 口に出なかったその言葉は、顔に出ていたらしい。

 峰雪さんは「そんな顔をするな」と優しく微笑んだ。

 何その表情。駄目だって。イケメンの微笑みとかずるいって。しかもその優しい眼差し。もしかして、本当に私のことが好きなのかもしれない。いやいやいや、夢見すぎだって。

 絶対に何かの間違いに決まってる。屋敷に着いたら詳しく話すって言ってたな。その時、ちゃんと聞こう。ちゃんと話そう。……でも、話すって何を? 私の気持ちを伝えなくちゃいけないことは分かっている。しかし、今の私の気持ちといえば、イケメンの玉の輿!? 超ラッキー! くらいのものである。阿呆か。

 結婚ともなれば、人生で最大の決断と言えるだろう。そんなことを、こんな軽々しい気持ちで決めていいものか。

 そもそも、峰雪さんはどうして見ず知らずの私に求婚してきたのだろう。

 再び、どういうこと? という顔を彼に向ける。峰雪さんはそんな気持ちを知ってか知らでか、平坦に告げた。

「寿退社ということになる。それでいいな?」

「えっ、コトブ……」

 寿退社!?

 待って。ちょっと、待ってほしい。

 あまりにも衝撃的な言葉だった。でも、遠方で結婚するとしたらそうなる。

 分かってはいたけど、まだ理解の範疇を超えている。

 色々と落ち着けない事態を抱えて、私の心はてんてこまいだった。

 あわあわする私と、少ない情報量しか教えてくれない峰雪さん。

 状況は動かないまま二時間。流石に話し疲れた、否、聞き出し疲れた頃。峰雪さんはまた唐突に言った。

「ここだ」

 私は既に考えることを放棄していた。「あっ、はい」と気の抜けた返事をすると、彼の後について新幹線を降りた。

 豪邸かー……いや、お屋敷かぁ。どんなところなんだろう。

 ぼんやりしていると、目の前に一台のリムジンが停まった。

 うわぁ。すごい。やっぱり豪邸があるとなると、高級住宅地がある地域なんだろうな。どのへんなんだろう。ここは高いビルが多いから、ちょっと外れたところかな。

 とりとめもなく考えていると、峰雪さんがそのリムジンに向かって歩き出した。

「どうした。来ないのか」

「え……?」

まさか。まさかですけど。

「このリムジンって……」

「早く乗れ」

 えっ……ええ〜〜〜〜っ!?

 叫んでいる暇は無い。恐る恐る踏み出すと、峰雪さんが手を差し出してくれた。言葉は素っ気ないけど、やっぱり紳士だ。

 彼の手に、自分の手を重ねる。自然と頬が熱くなった。なんだこれ、馬車? 私、前世はプリンセスだったりする? 

 くだらない妄想を打ち消す。

 彼の方をそっと見上げた。「はい」と小さく返事をする。不安な気持ちを堪えきれず、声が少し震えてしまった。

 それをおかしく思ったのか、彼はつうっと目を逸らすと、一つ咳払いをした。

 心なしか頬が少し赤らんでいる気がするが、それもまた私の都合のいい妄想だろう。あー、顔が良い。

 目の下あたりを薄らと染めた彼は、うっとりと溜め息が出るほど美しかった。

「狛井、出していい」

 リムジンは走り出した。

 彼は景色を眺めるより先に、私に目を向けた。目が合う。つい見つめてしまっていた。いけないいけない。

 慌ててふいと顔を背けてから、冷たい態度を取ってしまったかなと心配になる。ちら、と目線だけ振り返ると、彼はまた優しく微笑んだ。

「愛い奴だ」

 どきどきしすぎて、今どこを走っているだとか、ちょっと外れた場所にしては暗すぎるだとか、そんなことは目にも入らなかった。

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