【第24話】香薬師の勅命

「……分かった。君を、信じよう」

 リアンのその一言で、私たちの関係は、確かに新しいステージへと進んだ。

 彼は、私をただ守られるだけの存在ではなく、王である自分と並び立つ、唯一無二のパートナーとして認めてくれたのだ。その事実が、私の心の奥底から、凍てついていた自信を、ゆっくりと溶かしていくようだった。


 翌朝、テラスでの穏やかな、しかし少しぎこちない朝食の席で、その変化は、早速、具体的な形となって現れた。

 リアンの口から語られた、北のドラゴンの牙連峰へ派遣された遠征部隊の苦境。有毒な瘴気による、兵士たちの原因不明の体調不良。その報告を聞いた私は、ほとんど無意識のうちに、口を開いていた。

「リアン。私に、手伝わせて。その瘴気を防ぐための、香薬を、私なら、作れるかもしれないわ」

 私の言葉に、リアンと、そして、彼の隣に控えていた宰相も、驚いたように、目を見開いた。

「ルシエル、しかし……」

 リアンが、私を気遣って、何かを言いかける。だが、私は、彼の言葉を遮るように、続けた。

「私は、もう、守られているだけじゃない。あなたの、力になりたいの。あなたの、共犯者に」

 私は、まっすぐに、リアンの瞳を見つめ返した。

 私の瞳に宿る、揺るぎない決意を見て、リアンは、やがて、力強く、頷いた。

「……分かった。君を、信じよう」


 話は、そこから驚くべき速さで進んだ。

 リアンは、その場で、私を彼の執務室へと伴った。そこには、宰相だけでなく、騎士団総長、そして王宮の侍医長といった、国の重鎮たちが、既に集められていた。彼らは皆、突然現れた私を見て、訝しげな、あるいはあからさまに懐疑的な視線を向けてくる。無理もない。彼らにとって、私は、王を惑わす「素性の知れぬ女」でしかないのだから。

 リアンは、そんな彼らの視線を、一瞥で黙らせた。

「皆に、紹介する。彼女は、ルシエル。……私の、命の恩人であり、この国で最も優れた香薬師だ」

 その紹介の言葉に、私自身が、一番驚いてしまったかもしれない。

「本日より、北の遠征における、瘴気対策の全権を、彼女に一任する」

「へ、陛下! `お待ちください!」

 たまらず声を上げたのは、侍医長だった。白髪の、プライドの高そうな老人だ。

「この者が、いかに優れた香薬師であったとしても、相手は、我々医師団ですら正体をつかめぬ未知の毒気。それを、このような若い女性一人に任せるなど、あまりにも……」

「無謀だ、と?」

 リアンの声が、氷のように冷たく響く。

「では、侍医長。君に、何か、有効な手立てがあるのかね」

「そ、それは……現在、全力で調査を……」

「調査、か。その間に、兵士たちは、一人、また一人と倒れていくのだぞ。私には、そんな悠長な時間はない」

 リアンは、玉座に座ると、冷たく言い放った。

「これは、決定だ。異論は、認めない。……これより、ルシエルの言葉は、私の言葉だと思え。彼女の要求は、王の勅命として、最優先で、かつ迅速に、実行するように」

 その、絶対的な王の宣告に、もはや、誰も何も言うことはできなかった。

 重鎮たちは、不承不承ながらも、私に向かって、臣下の礼を取る。

 私は、その光景を、背筋が伸びる思いで見つめていた。リアンは、私に、ただ機会を与えてくれただけではない。彼の権威そのものを、私に貸し与えてくれたのだ。その信頼に、私は、必ず応えなければならない。


 会議が終わると、私は、リアンに連れられて、再び、私の「店」へと戻った。

 そこには、既に、北の遠征隊から送られてきた、詳細な報告書が山のように積まれていた。

「……これが、現地の状況だ。兵士たちの症状、瘴気が発生する時間帯、場所の地理的特徴……。君が必要とするであろう情報は、全てここにある」

「ありがとう、リアン」

 私は、早速、それらの報告書に目を通し始めた。

 兵士たちの症状は、頭痛、吐き気、そして呼吸困難。特に、鉱物資源が豊富な岩場地帯で、症状が顕著に出るらしい。

「……これは、魔法や呪いの類ではないわね」

 私は、呟いた。

「おそらく、火山性の地熱によって、地中の特定の鉱物が気化した、天然の毒ガスよ。硫黄や、水銀、あるいは、もっと未知の鉱物が含まれているのかもしれない」

 私の見立てに、リアンは、黙って頷く。

「治療薬を作るには、まず、その瘴気そのものを分析する必要があるわ。現地の空気、そして、汚染された土壌のサンプルが、どうしても必要よ」

「分かった。すぐに、早馬を飛ばそう。だが……」

 リアンは、そこで言葉を濁した。

「サンプルを採取しに行く、その兵士の安全は、どう確保する?」

「それも、考えてあるわ」

 私は、自信を持って、彼に言った。

「瘴気の効果を、一時的に無力化するための、〝防護の香り〟を、私が作る。それがあれば、安全にサンプルを持ち帰ることができるはず」


 私は、すぐに調合に取り掛かった。

 必要なのは、呼吸器系を守り、毒素を中和する効果のある香りだ。

 私は、棚から、ユーカリとティーツリーの精油を取り出した。この二つは、強力な殺菌作用と、気管支を広げる効果がある。瘴気の侵入を、物理的に防いでくれるだろう。

 そして、毒素を分解するための、鍵となる香り。私は、レモンとシダーウッドを選んだ。レモンの持つ強い酸性は、鉱物性の毒を中和する力がある。そして、シダーウッドは、古くから、悪しきものを浄化する神聖な木として、扱われてきた。

 これらの香りを、私が独自に編み出した調合技術で、一つの香油へと昇華させていく。

 それは、私が今まで作ったどの香りよりも、複雑で、そして、明確な「力」を宿した香りだった。

 清涼で、しかし、決して揺らがない、力強い意志の香り。


 完成した香油を、私は、小さな革袋に染み込ませた。

「これを、兵士の首から下げさせて。そして、瘴気が濃い場所に入る前に、一度、この香りを深く吸い込むように、と伝えて。効果は、半刻(一時間)ほどしか持たないけれど、その間なら、瘴気の影響を、最小限に抑えられるはず」

 私は、その革袋を、リアンに手渡した。

 リアンは、それを受け取ると、まるで、初めて見る奇跡でも見るかのように、驚きの目で、私を見つめていた。

「……君は、本当に……。私の、想像を、いつも超えてくる」

 彼は、そう言うと、私の手を、強く、握りしめた。

「ありがとう、ルシエル。……頼りに、している」

 その言葉と、手のひらから伝わってくる熱が、私の心を、勇気で満たしていった。


 その日のうちに、私が作った〝防護の香り〟は、最速の伝令によって、北の最前線へと届けられた。

 私は、もう、ただの籠の中の鳥ではない。

 王の隣に立ち、その知恵と技術で、国の危機を救う、秘密の香薬師。

 私の戦いは、まだ、始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る