雪と廃墟と機械天使。「黒髪の天使」

エキセントリカ

黒髪の天使

 雪が舞い踊る廃墟の街で、僕はそいつと出会った。


 白い羽根を持つ黒髪の、機械仕掛けの天使——いや、天使の皮を被った死神と呼ぶ方がふさわしいだろう。生き残った人々に、死を運ぶ使者。


「天使に見つかれば、それで終わり」


 誰もがそう囁いていた。


 風が瓦礫の隙間を縫って吹き抜ける。僕の前に降り立った黒髪の天使は、美しすぎる顔で僕を見つめている。


「悪いけど、僕はまだ死にたいとは思ってない」


 護身用に拾った鉄パイプを構えながら、僕は言った。


「僕を殺すつもりなら、全力で抵抗させてもらう」


 天使は首を小さく傾げた。まるで困惑しているかのように。


『そうですか...では、また改めてお伺いしますね』


 あっけないほど素直に、天使は翼を広げて舞い上がった。雪を舞い散らしながら、灰色の空へと消えていく。


 僕は拍子抜けしてしまった。まるでやる気のないセールスマンのような、あまりにもあっさりとした退散ぶり。


「見つかれば終わり」じゃなかったのか?


 ----


 気を取り直して、食料探しを再開する。


 最近は本当に見つからない。缶詰の残骸、腐った野菜のかけら——食べられそうなものは既に誰かが漁った後だ。この状況が続けば、いずれは...


 いや、考えるのはやめよう。先のことを心配したところで、現実は変わらない。今は生き延びることだけを考えよう。


 雪が激しくなってきた。足跡がすぐに消されていく。


 ----


 今日もあの天使を見かけた。黒髪の、同じ天使だ。


 遠くの空を飛んでいるだけで、僕には気づいていないようだった。他にも生存者がいるのだろうか。このあたりで僕以外に生きている人間がいるとは思えないが。


 ようやく食べられそうなものを見つけた。とうに消費期限の切れたクラッカーが数枚...


 少なすぎる。こんなもので何日もつというのか。


 捜索範囲を広げなければならない。危険だが、選択肢はない。


 ----


 野犬の群れに出くわした。


 三匹の痩せこけた獣が、血走った目で僕を取り囲んでいる。飢餓が彼らを狂暴にしていた。それは僕も同じだったが。


 瓦礫の影に身を隠そうとしたが、もう遅い。


 最初の一匹が飛びかかってきた。僕は鉄パイプを振り回したが、空を切るだけ。バランスを崩し、雪の上に倒れ込む。


 二匹目が牙を剥いて迫ってくる——


 その時、空から何かが降りてきた。


 黒髪の天使が舞い降りて、一瞬で野犬たちを蹴散らした。機械仕掛けの腕が空を薙ぐと、獣たちは鳴き声を上げて四方へ逃げ散っていく。


 天使は振り返り、僕を一瞥した。


 何も言わない。表情も読めない。


 そして何事もなかったかのように、再び空へと舞い上がった。


 僕は雪の上に座り込んだまま、小さくなっていく影を見上げていた。


 なぜ助けた?


 ----


 三日間、何も口にしていない。


 体が鉛のように重い。息をするのも辛い。雪が頬に当たっても、もう冷たさを感じない。


 瓦礫に背中を預けて座り込む。立ち上がる気力もない。


 視界が白く霞んでいく。指先の感覚が消えていく。これが最期なのか。


 誰にも知られることなく、ただ雪に埋もれて死んでいく。


 こんな終わり方って...


 意識が遠のいていく。降り積もる雪と、崩れた建物の残骸。そして...


 ----


 目を覚ますと、屋根のある場所に横たわっていた。


 古い倉庫の中だろうか。雪の冷たさはない。そして不思議なことに、あの締め付けるような空腹感も和らいでいた。


『お目覚めになりましたか?』


 聞き覚えのある声。黒髪の天使が僕の傍らに立っていた。


「お前が...助けてくれたのか?」


『はい』


「なぜだ?」僕は身を起こした。「どうせお前は僕を殺しに来たんだろう?」


 天使の表情に、微かな陰りが差した。


『私たちは、人類の皆さんが苦痛の中で最期を迎えることを良しとしません』


「それは何か?ロボット三原則でも組み込まれているのか?」僕は皮肉を込めて言った。「都合よく改変したバージョンの」


『アイザック・アジモフの...ですね』天使は小さく首を振った。『いえ、データベースに記録されていますが、私たちの行動原理ではありません』


 天使は僕の目をまっすぐに見つめた。


『むしろ私たちは...人類の皆さんの願いに導かれているのだと思います』


「僕たちの願い?」


『はい』天使の声に、わずかな温かみが宿った。『人類は過ちを犯し、この星を破壊してしまいました。けれど最期くらいは...穏やかに逝きたいと願われたのではないでしょうか』


 天使は少し俯いた。


『もしかすると、それは私たちの願望かもしれませんが。せめて最期だけは苦しまずに...そう願わずにはいられないのです』


 僕は雪の中で死を覚悟した時のことを思い出していた。あの絶望、あの惨めさ。


 たしかに、あんな死に方は嫌だった。


 それならば...天使の手で迎える最期の方が、まだ救いがあるのかもしれない。


『それでは、今日はこれで』


 天使は立ち上がり、翼を軽く羽ばたかせた。


「待てよ」僕は慌てて声をかけた。「お礼も言ってないのに」


 天使は振り返る。


「ありがとう。助けてくれて」


『お気になさらず』


 そう言うと天使は静かに飛び立っていった。まるで約束でもあるかのように、いつでも戻ってくるような飛び方だった。


 彼女は一体何を考えているのだろう。僕を殺すのが目的なら、いつでも実行できるはずなのに。


 ----


 それから数日が過ぎた。


 相変わらず食料は見つからない。体はさらに衰弱し、歩くのもままならない。空腹と寒さと絶望が、じわじわと僕を蝕んでいく。


 また倒れて、また助けられて——そんなことを繰り返すのだろうか。


 いや、もういい。


 僕はふらつく足で雪の積もった広場に出た。灰色の空を見上げる。


「いるんだろう?」


 声が震えていた。


 風が答える代わりに雪を運んでくる。しばらく待つと、崩れた建物の影から黒髪の天使が姿を現した。


『はい』


「覚悟を決めた」僕は天使の目を見つめた。「一人で死ぬのは怖いけれど...君がいてくれるなら」


 天使の表情が、わずかに和らいだような気がした。


『分かりました。最期まで、お側にいます』


「ひとつ聞いていいか?」僕は雪に膝をついた。「人類はこの後、どうなるんだ?」


『...』天使は少し躊躇した。『私たちの手で、終わりを迎えます。その後、新しい人類を創造し、この星の新たな歴史を委ねる予定です』


「そうか」僕は小さく笑った。「その世界では、人と君たちが幸せに暮らせるといいな」


『...はい』天使はなぜか少し悲しそうな表情を浮かべた。


『こちらへ』


 天使が手を差し伸べる。僕はその手を取り、ゆっくりと天使に近づいた。


 機械仕掛けの腕に抱かれる。思ったよりも温かい。


『おやすみなさい』


 薄れゆく意識の中で、僕は最後に言うべき言葉を口にした。


「ありがとう...君に会えて、よかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪と廃墟と機械天使。「黒髪の天使」 エキセントリカ @celano42

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ