第41節:長老の「鑑定」

「エララ様……しかし、こやつらは……」


 ジンが悔しそうな声で反論しようとする。


「分かっておりますよ、ジン。あなたのその鋭い感覚は正しい。そして里を守ろうとするあなたのその強い想いもまた尊いものです」


 エララは静かにそう言うと、その見えない瞳をまっすぐにアグネスへと向けた。


「そこのお嬢さん。あなたの魂は確かに鉄の十字架の冷たい光を纏っている。だがそれはもはや過去の残光に過ぎない。あなたの信仰は美しい器のように砕け散り、その破片があなたの魂を今も傷つけ続けている。しかしその砕かれた器の底から今溢れ出しているのは教義ではない。ただ一人の傷ついた若者を守りたいという、非合理でしかしあまりに力強いあなた自身の光です。その光に偽りはない」


 次にエララはカインへと向き直った。


「そしてそこの若者。あなたの魂が抱えるのは確かに飢えた虚無、全てを飲み込み無に帰そうとする恐るべき混沌。だがその混沌の中心であなたはただ怯え震えている。その力は世界を喰らおうとはしていない。むしろ自らがその力に喰われ消え去ってしまわぬよう、必死にその魂の檻に閉じ込めている……。あなたの魂は悪意に満ちているのではなく、ただあまりに深すぎる悲しみと罪悪感に満ちているだけじゃよ」


 エララの静かな言葉は二人の誰にも明かしたことのない心の真実をあまりに正確に言い当てていた。アグネスは言葉を失いカインは思わず顔を伏せる。


「立ちなさい、ジン。この者たちは敵ではありません。嵐に翻弄されそして我らと同じように、世界からその居場所を奪われた迷い子に過ぎないのです。お客様をお迎えするのですよ」


 その一言で全ては決した。ジンは納得のいかない表情を浮かべながらも黙って立ち上がり、その石の腕を下ろした。他の戦士たちもそれに倣い槍の穂先を下げる。張り詰めていた殺意の空気が急速に霧散していった。


 アグネスとカインはエララに導かれ島の奥深くへと進んでいった。そこにはまるでおとぎ話のような光景が広がっていた。巨大な樹木の上に家が建てられ、崖の洞窟を住居として利用している。夜の闇は発光する苔やキノコが放つ柔らかな青白い光で照らされていた。そこは自然と完全に調和し、教団の石と鉄の文明とは全く異なる法則で動いている隠れ里だった。


 里の人々は遠巻きに二人を見つめていたが、その視線には警戒心よりも純粋な好奇心が宿っている。彼らの中にはジンのように身体の一部が変質した者や、植物を操る者、動物と会話する者など、教団が「異端」として断罪するであろう様々な能力を持つ者たちが当たり前のように暮らしていた。


 やがて三人は里で最も高い樹の上にあるエララの質素な住居へとたどり着いた。そこでエララは衝撃的な事実を二人に告げた。


「若者よ。あなたが海の上で聞いたあの声、それはこの島そのものに宿る古き守護精霊の声じゃよ。その荒ぶる神はあなたの魂が持つ虚無の気配……同じ混沌の匂いに共鳴し、おまえをここに招いたのじゃろう」


 そして彼女は静かに続けた。


「我ら異端の民に古くから伝わる言い伝えがある。世界の始まりと終わり、そして神々の真実の全てが記された一冊の禁書、『原初の理』。それさえあればあなたの呪いもこの世界の歪みも解き明かすことができるやもしれぬ、と」


 カインの瞳に初めて希望の光が宿った。だがエララはその希望を打ち砕くかのように悲しげに首を横に振った。


「じゃがその本はもうどこにもない。数百年も昔にこの島を襲った教団の審問官たちによって奪われ、聖都で焼き払われたと聞く」


 絶望。カインの心に再び影が落ちる。しかしエララはその懐から古びて黄ばんだ一枚の羊皮紙の断片を取り出した。


「本そのものは失われた。じゃがその本が奪われる直前、古代の写本師がその一部を写し取り、そして未来への鍵として我らの祖先に託した。これこそがその最後の一片。……じゃがそこに何が書かれているのか、我らには誰一人として読むことができぬのじゃよ」


 エララはその断章をカインの前へと差し出した。カインは震える手でそれを受け取る。そこに描かれていたのは彼がこれまで見たこともない複雑でそして神々しい古代の文字だった。だが彼はその文字を見た瞬間、自らの魂がそれに激しく共鳴するのを感じていた。


 写本師である彼にしか解読できない最後の希望。彼の旅の本当の意味が今この瞬間に始まったのだと、彼は確信した。

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