第25話

 サブスペースから移動中の馬車に戻ると、凪紗は体を八の字にして爆睡していた。体が半分床に滑り落ちていたのに、穏やかな寝息を立てていた。


 (この体勢で寝れるの?!適応力が高っ!)


 起こさないよう、豪快に投げ出された手足を避けながら、反対側の席に座った。


 幼稚園のバスでも校外学習のバスでも、出発するやいなや爆睡していた凪紗は今も健在だった。本人はいくら抗おうとも、いつも眠気に負けてしまう。  


 サラから目的地まで馬車で片道半日以上かかると聞き、移動途中にサブスペースに戻ることにした。そしてバレないように、昼休憩の前に馬車に戻ってきた。  


 「馬車は任せて!」と凪紗は意気込んでいたが、異世界に来ても凪紗はいつもの凪紗だった。


 馬車の先頭に座っていたサラの声が響いた。


 「アイザワ様、イチノミヤ様、まもなくラピスという町に到着いたします。こちらでお昼休憩を取る予定でございます。町を出ますと、討伐の野営地へ向かいますので、物資の調達はここが最後の機会となりますよ」


 「分かりました、ありがとうございます」


 馬車のスピードが緩やかになり、外から人の声も聞こえてきた。  


 「凪紗!お昼だよ、購買部…」  

 「はっ、揚げパン!」


 瞬時に目が覚めた凪紗は、自分の大好物を叫んだものの、周りを見てがっくりした。


 「揚げパンはないけど、もうすぐ町に到着するよ」  


 床から起き上がった凪紗は、不満そうに口を尖らせた。


 「もー、揚げパンの口になっちゃうじゃん!」


 「…私は購買部しか言ってない」


 「それはもう確信犯だよ!」


 「凪紗を起こす時にそれより効く言葉はないからね」


 「そんなことない!焼きそばパンもいけるはず!」


 コン、コン、コン。

 「アイザワ様、イチノミヤ様、もう着きましたよ」


 いつの間にか馬車は止まっていた。私たちは顔を見合わせ、急いで馬車を降りた。


 ラピスはオータム王国の南に位置する中型の町で、王都の食糧庫であり、一番近いダンジョンの所在地でもあった。そのため、町の中は冒険者で賑わっていた。


 「こちらは冒険者ギルドの食堂と宿でございます」


 サラはすぐ近くにある三階建ての大きな建物を指さした。一階の大きな窓からは、お酒やちぎられたパン、スライスしたチーズなどがテーブルに所狭しと並び、席についた冒険者たちが楽しそうに肉の塊にかじりついていた。壁越しでも食堂の盛況ぶりが分かった。


 (…これは、入りづらい。女神の加護セキュリティが発動したら大惨事になる)


 「サラさん」


 凪紗も同じことを考えたのか、普段になく真剣な表情でサラに向き直っていた。


 「私はパン屋に行きたいです!パン屋の場所を教えてください!」


 「そこ?!」


 ブレない凪紗にあっさりと肩透かしを食らった。


* * * * *


 ほぼ全種類のパンを買い込んだ私たちは、馬車の中でひたすら試食していた。ありがたいことに、先輩の異界賢者のおかげでこの世界にも馴染み深いパンがあった。味には多少違いがあるけれど、普通に美味しかった。


 少し渋みのある砂糖をまぶした揚げパンを食べたことで、凪紗の胃袋は一旦落ち着いたようだ。


 馬車はさらに南へ二時間ほど進むと、冒険者ギルドの出張テントに到着した。そのすぐ横には大きな医療テントが張られていた。


 「こちらは冒険者ギルドの臨時受付カウンターと医療班のテントでございます。今回の討伐はこの拠点を中心に三方向へ進む予定になっています。イチノミヤ様にはこちらで待機していただきます」


 サラは医療班のいるテントを示した。


 「そして、アイザワ様には一緒に前方へ討伐班と合流していただきます」


 「分かりました。ちょっと時間をください」


 凪紗は真顔で頷いてから私に向き合った。


 「実和、心配はいらない。広範囲な魔法でどんどん倒すから、安心してここで待っていてね」


 「それが心配なのよ!コントロールできる範囲でやって。それと、森だから火魔法はやめてね」


 「えーー、火魔法は一番早いのに」


 「延焼するのも早いのよ?ここで待ってるから、いってらっしゃい」


 「うん、行ってくる!」


 少しワクワクした表情を浮かべた凪紗が、サラと一緒に森へと入っていくのを見送った。そして、私はそーっとマッピングスキルで凪紗のピンを作成し、居場所を追跡した。


 凪紗は怪我はしないが、何らかの理由で拠点に戻れなくなる可能性だってゼロではない。


 (凪紗とはぐれるだけは避けたい)


 マッピングスキルが問題なく作動しているのを確認して一安心した。


 私は言われた通りに医療班のテントに入った。

 「こんにちは。お邪魔します」


 テントに入った途端、一人の女性と目が合った。清潔な白いエプロンをつけた三十代くらいの女性だった。ハーフアップにしたブラウンヘアーを頭の後ろに一つのお団子にまとめ、優しそうなグリーンアイが大きく開き、私を見つめている。


 「あ、イチノミヤ様ですよね!初めまして、私は今回の医療班の班長のミーヤです。お話はフェネル様から伺いました。拠点は基本的に安全ですので、安心してお過ごしください」


 「ミーヤさん、初めまして。私はミワ・イチノミヤです。討伐の間、こちらで待機させていただきます。私ができることがあれば何でも言ってください」


 医療班の仕事を邪魔しないようにテントの一角にある椅子に座り、ポーションや清潔な布などをせっせと運び入れる人々を眺めていた。


 ミーヤと同じ白いエプロンをつけた女性が他にも何人かいた。みんなテキパキと運ばれてきた物資を使いやすいように棚やテーブルに整然と並べた。


 「ちょっと、君!初心者じゃないか!どうしてここにいるの?今回の討伐は初心者は参加できないはずだよね?」


 新たにテントに入ってきた医療班の女性が私を見るなり、目尻を釣り上げた。


 今日は冒険者ギルドが支給した初心者用の紺色ジャケットを着ていたから、初心者であることは一目でバレた。


 「こら、ジェーン!フェネル会長の指示でイチノミヤ様は医療班テントで待機することになっている。朝の会議で話したでしょう?」


 ミーヤは慌てて彼女の前に飛び出した。


 「初心者だなんて聞いてないよ!ここに座っているだけで依頼ポイントをもらえるなんてずいぶんといい身分だね。どこかの貴族か知らないけど、冒険者としてここにいるなら、みんな平等だよ」


 「ジェーン!」


 このジェーンという人はなぜ私に突っかかるのか分からないが、一つだけどうしても訂正したい。


 「私は討伐依頼を受けていないから、不正にポイントをもらうことはありません」


 「はぁ?じゃあ、なぜここにいる?ここは医療テント、関係者以外の人は立ち入り禁止のはずだ」


 「ジェーン!だから…」


 「ミーヤさんもミーヤさんです!頼まれたからって、見知らぬ人を医療テントに入れるなんてリスクが高すぎます!」


 彼女はミーヤに不満な表情を見せてから、私を睨んだ。


 「討伐依頼を受けてない?なおさら怪しいじゃないか!ねぇ、君は一体何しに討伐についてきた?」


 そう言いながらつかつかと近づいてきた彼女を見て、私は焦って思わず低い声で彼女を止めた。


 「そこに止まれ!これ以上近づくな!」


 普段あまり使わない厳しい言葉が口から飛び出した。


 驚いて少し目を見開いた彼女はすぐに怒りで顔を赤く染めた。再び口を開こうとする彼女に、私はもう一度警告した。


 「いいですか?私に近づかないで、話しかけないで!でないと、後悔するのはあなたです!」


 剣呑な空気が漂わせることは不本意だったが、それ以上に女神の加護セキュリティを発動させるのが怖い。


 (引っかからない可能性もあるけど、こればかりは賭けられない)


 「申し訳ございません!彼女によく言い聞かせますので、お許しください!」

 ミーヤは前に出て私に頭を下げた。


 「…ミーヤさん!なんで…」


 代わりに謝ったミーヤを見てジェーンは動揺したせいか、さっき見せた勢いをなくした。


 「ミーヤさん、謝らないでください。私は怒っていません。ただ、その状態で私に近づかないでほしいです」


 ミーヤはもう一度頭を下げてから、すっかり萎れたジェーンの手を引っ張ってテントを出ていった。


 いきなり訪れたのせいで背中に冷や汗が止まらなかった。


 (人が多すぎるし、この初心者ジャケットが目立ちすぎる!)


 私も医療班テントから出て冒険者ギルドのカウンターに向かった。臨時のカウンターには顔見知りの本部の職員がいた。


 「すみません、皆さんのお仕事を邪魔しないので、冒険者ギルドのテントで待機させてもらえないでしょうか」


 苦笑いを浮かべながら職員に尋ねてみた。


 「イチノミヤ様?!も、もちろんですよ!なんならカウンター内に入ってください。仕切りもありますので、外からは見えません」


 本部の職員は驚いたが、快く迎え入れてくれた。


 その後、ちょうど私を探しにきたミーヤと話し合った。部外者が医療テントにいるのは確かに不適切だと私も思っていた。


 (凪紗のおまけみたいな形で討伐現場についてきただけなんだから、待機場所はどこでもよかったはずだ)


 ミーヤは申し訳なさそうな顔で頷いてくれた。


 「あの子…ジェーンは貴族のことをよく思っていないところがあります。イチノミヤ様にはきつく当たってしまって本当に申し訳ございません」


 ミーヤは難しそうな顔で説明した。その声に滲み出た心配を隠せなかった。


 (??…私は貴族じゃないけど)


 凪紗と私について、フェネルはどう説明したのか分からないので、訂正もできなくてとりあえず苦笑いで誤魔化したのだ。

 

 

 

 

 


 

 

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