第23話

 オータム王国所属の騎士はそれぞれ得意な能力を伸ばし、使い慣れた武器で戦うのが主流だそうだ。そのため、騎士の街と呼ばれているサルトゥスは、武器と防具の店が多い。


 武器と防具を興味津々に眺める凪紗と、手に取って使い勝手を試すサラをよそに、私は店の外にあるベンチに腰を下ろして人の往来を見ている。


 私の得意な能力は補助魔法の光と闇で、戦えないので武器と縁はない。最強で最恐な女神の加護セキュリティが付いているので防具もいらない。


 目の前を通る騎士たちは長い剣や曲がった刀、自分の身長よりも大きな弓など、様々な武器を背負っていた。磨かれた白銀のような装備をしている人がいれば、赤や白といった派手な色の動物の皮を纏う人もいる。


 騎士たちは背中に麦穂とユニコーンを描いた紺色のマントを風になびかせている。その堂々とした様子に、思わず目を奪われた。


 (映画のワンシーンみたいにかっこいい。…けど、やっぱり現実だと思えなくてちょっとへこむよね…)


 何度目か分からないため息が出る。


 本当に異世界に来てしまった。分かっているつもりだが、心のどこかがまだ受け入れていない。これほど大量な証拠を見せられると、現実から目を逸らせなくなる。


 意外と馴染みの物が多いこの世界では、魔物という脅威が存在するものの、不便だと思うことはあまりなかったけど、どうしても慣れないところがある。


 埃が舞いやすいことだ。凪紗とサラが入っていた店の床にも埃が溜まっている。しかし、この世界の人々はまるで気にしない。誰も掃除をしないし、埃を避ける人もいないのだ。


 女神の森にあるコテージと本部の客室は簡潔で掃除が行き届いている。外は多少埃が舞ってもしようがないと思うけど、街の中までこれほど汚れているとは思わなかった。


 今も近くにある鍛冶屋のドアから埃が漏れ出している。袖で軽く鼻を押さえながら、黒い埃を見詰める。匂いはないけれど、体の奥からぞわっと湧き上がる不快感で生理的に近寄りたくない。


 眉を顰めて埃を見ていると、その中に激しく動き回るものがあることに気づいた。キーキーと鳴きながら、体を大きく回転させ、苦しそうに藻掻いている。

 

 (えっ、なんかいる!)


 思わずおろおろと立ち上がり、どうしようかと迷って中腰になった。目を凝らして埃の中の正体を見分けようとするも、すぐその動きが弱々しくなり、ぴたりと止まった。


 (しっ、しん…だ?!)


 愕然となって動かなくなった物体を見ていたら、急にそれがこっちを向いた。禍々しく揺れる不気味な赤の目と、黒い埃でできた歪んだ輪郭。それがじっと私を見ているような気がするる。


 魔物だと頭では理解できたが、目の前の出来事がショックで、両足はまるで根が生えたかのように動けない。


 「おい!ダークラットが出てきたぞ!撃って!」


 「あっ、外へ逃げようとしてる!」


 「まずい!はよう倒せ!」


 鍛冶屋の中から男性の慌てた大声が聞こえた。中からガタンガタンと物が倒れる音がして、数匹のダークラットがドアから飛び出し、一斉に私に向かって走ってきた。


 「実和!」

 「イチノミヤ様!」


 背後から凪紗とサラの声が聞こえ、誰かが私の二の腕を掴んで後ろへと引っ張ろうとした、その時だった。


 大きく跳ね上がり、黒い埃を巻きつけて私へ飛びかかろうとするダークラットたちが、女神のシールドに触れた。燃え尽きたかのように、煙のようにゆらりと消えて少量の砂になり、地面にバラバラと散っていった。


 一瞬のことなのに、スローモーションのように見えて、鮮明に、はっきりと頭に焼き付いた。


 「お嬢ちゃんたち、大丈夫か?!」


 「お怪我はありませんか?」


 気づけば、私の目の前に凪紗の背中があった。そして横には杖を構えたサラがいた。安堵して無意識に止めていた息を吐き出し、大きく呼吸をする。手足が小さく震え出し、心臓がどくどくと強く脈を打つ。


 「あー、大丈夫です。全部倒しました。怪我もしてません」


 凪紗は何事もないように手を振って返事した。


 「よかった。最近街中でも魔物が増えてしまって、本当に困ったもんだ」


 「騎士団は巡回を増やしているけれど、お嬢ちゃんたちも気をつけたほうがいい」


 「ちょうど騎士団の方が見えました。念のために、今の事を報告したほうがいいと思います」


 サラはそう言って鍛冶屋の人と一緒に説明に向かった。


 「実和、何かあった?顔が真っ白だよ」


 鍛冶屋の人とサラが離れたのを確認し、凪紗は私をベンチに座らせて心配そうに口を開いた。


 女神のシールドがあるから、怪我はありえない。凪紗も同じ女神の加護セキュリティを持つため、当然そのことを知っていた。ダークラットを見るのも倒すのも初めてではない。だから、私の様子がおかしいことにすぐ気づいたのだ。


 女神のシールドは頑丈だ。急に現れた魔物には驚いたものの、慌てたりはしなかった。しかし、今回は理由が違う。

 

 「…ねぇ、凪紗」今思いついた仮説を確かめるため、ストレートに凪紗に尋ねることにした。


 「凪紗は、地面の埃を見える?」


 「埃?塵や汚れのこと?うーん…」


 凪紗はキョロキョロと見回し、私が指差した方向の埃を探した。


 「ほら、あの仕立て屋を見て。扉の前に埃が舞っているのが見える?」


 凪紗は私の指した方向をしばらく見つめた。


 「ごめん、何も見えない」


 目を細めて見ていた凪紗は諦めたかのように首を横に振った。


 (やっぱりそうだったか!!)


 「見えるのは、私だけってことか……」

 

 人には見えないものが見える。これは決していいことではない。


 「え?実和にだけ見える埃ってこと?」凪紗は微妙な表情を浮かべながら、小首を傾げる。

 

 「埃だと思っていたけど、さっきのラットはその埃に包まれてダークラットに変わった」


 動物を魔物に変えることができるのは、瘴気だけだった。


 「…実和は、瘴気が見えるんだ」ピンときた凪紗は目を丸くし、ぼそっと呟いた。


 「…なんのための能力だろう。見えるからといって、対処できるわけじゃないし」


 一見すれば実用的に思える能力だが、具体的な使い道が思いつかない。


 (そもそも、魔物を倒せる火力なんて持ってない。女神のシールドで叩き潰せってこと?)


 「どの属性の魔法なの?それとも、スキル?」


 凪紗の質問に答えようと思ったが、女神の加護セキュリティで口がぎゅっとして開かないため、その代わりに頭をぷるぷると左右に振った。


 瘴気を可視化する魔法やスキルなんて持っていなかった。ステータスにも表記していなかった。


 「…本当に、説明不足ですよ。女神様?」凪紗は呆れた目で空を見上げた。


 「そんなものは、最初からなかった。」


 不足なんてレベルではなかった。


 「とりあえず、この件も誰にも言わないほうがいいかもね」


 お馴染みのセリフを言った凪紗は乾いた笑い声をこぼした。


 「ああ、すっかりミステリアスな女になっちゃったな」


  むしろ、怪しさ満載だ。


 「また追っかけが増えるかもしれないぞ」


 「…モテる女はつらいわ」


 一度も言ったことのないセリフを口にしてみた。


 凪紗はぷっと笑い出した。


 「そのキャラはやめてーー」


 沈んだ空気を笑い飛ばし、前向きにこれからの話を始めた。この能力を付与された意図は分からないが、せっかく得たものだ。有効活用したい。


 「近づいても体に影響はなさそうだし、他の人には見えないから、近づいてみようと思う」


 「確かに実和が言わない限り、誰も気づかないだろう。ただ、瘴気の濃い場所から強い魔物が出る可能性が高いから、近づかないほうがいいかもしれない」


 「お待たせいたしました。魔物の件は騎士団に報告しました。」


 騎士団のもとから戻ってきたサラの表情は、あまり芳しくなかった。


 「騎士団の話によると、街の内外に現れる魔物が例年よりも多いそうです。その原因はまだ突き止めておりません。そのために、怪我人も増えて現在ヒールの使い手が足りないようです。念のために治癒ポーションを持ち歩いたほうがよろしいかと」

 

 「治癒ポーション!」


 思わず前のめりになった。


 不遇をかこっていたポーションの出番が来たのだ。インベントリに眠る薬草を使い、ポーションを生産する絶好の機会だ。


 魔力ポーションよりも、手軽に生産できる治癒ポーションのほうが、ポーション作りの練習には向いている。貰い手がいるならなおさらだ。


 「ポーションの瓶を大量に卸してくれる店はありますか?」

 治癒ポーションの材料が溢れて使い道がないと散々嘆いていた私のことだから、凪紗はすぐにこれがチャンスだと気づいた。


 「ポーションの瓶なら本部の倉庫に大量にあると思います。イチノミヤ様とアイザワ様は、ポーションをお作りになりますか?」


 「材料はあるので、簡単なポーションから練習したいです」


 作り方は、本部の図書室にある初心者用の本に詳しく書いてある。


 「では、ギルド本部に帰る前にポーション作りに必要な物を揃えましょう」

 

 「はい!ありがとうございます!」

 サラのありがたい提案に賛成する。


 自立するためのさらなる一歩を進むことに。

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