第22話

 薬師組合に追われて一週間後、凪紗と一緒に最寄りの町・サルトゥスに来た。同行するサラに案内されて門番のカウンターで入国手続きをする。


 冒険者専用の水晶板に自分の手を翳すだけの作業。犯罪歴の有無と名前が水晶板に浮かび上がる。


 「後にいる人達は…お連れの方ですか」


 担当の門番がチラと十歩ほど離れている薬師組合の人を見た。


 「いいえ、あれはストーカーです。この子達を付き纏っています」


 サラは顔を顰めてストーカーを睨み付く。薬師組合のしつこさに本部の職員と一部の冒険者も苛立っていた。それで草叢や建物の陰に身を隠す人をうっかり蹴飛ばすことが多発しているようだ。


 本部に通う人みんな監視されている状態なんだから、仕方がない。


 「ほう…」

 

 担当の門番は目を細めて薬師組合の人を頭から足まで眺め、同僚に目配せをした。裏からガタイのいい騎士が出てきた。顔色が真っ白になって弁解しようとしているストーカーたちの肩を掴んだ。


 「手続きしてやるから、お前達はこっちだ」


 「ひぃっ、ち、ちが…」


 薬師組合の人が連行されていたのを見てホッとした。これで暫く自由に行動できそうだ。


 (まあ…凪紗が側にいる時は寄ってこないけどね)


 「手続きはこれで終了です。ようこそサルトゥス、この街から先はオートン王国の領土となります。困ったことがあったら騎士団と相談するといいですよ」

 

 「「ありがとうございます」」


 「よっし、買い物だ、買い物ーー」

 初めての街なので、凪紗もウキウキしている。

 

 サルトゥス、オータム王国の第三騎士団の駐屯地であり、騎士の町と呼ばれている。ここから王都まで馬車で二十分ほど、いつでも駆けつけられる距離である。


 綺麗に敷き詰められたレンガは歩行者専用の歩道。すぐ横にあるのは一段低い、石畳を平坦に舗装した馬車と馬用の道。サルトゥスの中心にある大きなラウンドアバウトから四方向に騎士団、騎士寮、訓練所、商用施設に分けられている。


 近くに冒険者ギルド本部と王都のシトリン支部に挟まれたこの騎士の町に冒険者ギルドはない。普通の冒険者にとってこの町はあまり魅力はなかったが、酒場や飲食店、市場が賑わっている。


 「いらっしゃいませ!」


 「採りたて野菜はいかがですか」


 「開店記念セールの最終日でございます!」


 キョロキョロと店の商品や人の表情を観察しながら、市場を見回る。人混みが苦手な私たちは好奇心に負けて絶賛異世界ツアー中。


 色とりどりの野菜とフルーツ、ほんのり甘い匂いのする焼きたてパン、鼻の奥をくすぐるスパイス、普通の牛一頭分よりも大きな肉の切り身。


 商人達はどこにでもある動きやすそうなシャツやロングパンツ、ロングスカートを眺めていると、やっぱりどこか違和感がある。

 

 「実和、あの肉スライスしてもらってステーキにしようよ…ねぇ?実和?」


 ぼーっと人の服を見つめていたら、急に凪紗の声がした。


 「え?…あー、あの巨人の肉?フライパンしか持ってないから、結局小さく切っないと焼けないよ?」


 大きくて焼けないし、肉も正体不明だし、全く食べる気が起きないのだ。


 「えーー、あの大きさがいいんだよね…。で、今何を見てるの?」


 「んーー、私もよくわからないけど、なんとなく違和感がある」


 首をひねながら往来する人々をこっそり観察する。そして自分のロングパンツを見下ろす。


 「…デニム?…デニムだ!」


 街に出かけるので今日は私服。マントの下にあるのは普段着のシャツとホワイトデニムロングパンツ。いつもこのような格好でコンビニやスーパー、地元の商店街で買い物していた。


 でもこの異世界の商人はデニムのエプロンをしている。荷物運びのおじさんもデニムパンツを履いている。


 「…ここは一体どこだ?」


 実は地球にいるという説がある。


 「あーー、本当だ!見慣れている物だから気づかなかったよ!」


 凪紗も驚いて目を限界まで開いた。

 

 自分がよく知っている物が身近にある。安堵よりも驚きの方が大きかった。


 「馴染みのものは意外と多いよね」


 美味しそうな匂いが漂う近くの屋台を見つめる。出来立ての焼きそばを求めて客が長列になっている。


 綿あめにりんご飴、お好み焼き、焼き鳥、まるでお祭り。味は同じかは分からないけど。


 「実和!ラーメンだ!せっかくだから、食べてみない?」


 ラーメンの絵が描かれた看板がぶら下がる店から、お馴染みの味噌と豚骨の香りが鼻の奥をくすぐる。


 女神の加護セキュリティで空腹感をなくしたはずなのに、お腹が空いた気がする。


 「サラ、この店に入ってもいいですか」


 「もちろんです。ラーメンも異界賢者が広めたものの一つです。店によって使用する食材が様々なので、ぜひお好みに合う店を見つけてみてください。」


 「いらっしゃいませ!空いている席へどうぞ」


 窓際のテーブルに座って、壁のメニュー表を眺める。メニューはとてもシンプルで、味噌、豚骨、醤油、野菜の四種類だけだった。


 凪紗は豚骨ラーメン、サラはヘルシーな野菜ラーメン、そして私は定番の味噌ラーメンを注文した。


 これは、この世界に来てから初めての食事だ。どんなラーメンが運ばれてくるのか、とても興味がある。


 「お待たせいたしました。豚骨ラーメン、野菜ラーメン、それから味噌ラーメンでございます」


 デニムエプロンをつけた店員が、慣れた手付きで上手にトレイを使ってラーメンを運んできた。


 ラーメンの上にどんと乗せられていたのは、まるで漫画から飛び出してきたかのような骨付き肉だった。どんぶりからはみ出した肉の下にキャベツやもやしなど、馴染みの野菜が見える。


 「チャーシューじゃなかった。こ、これは、どうやって…?」


 具材だけでなく、どんぶりも一回り大きかった。山盛りのラーメンに、どうやって手を付ければいいか分からなかった。


 「…誰かの肋がラーメン上に乗っているよ」

 凪紗が頼んだ豚骨ラーメンの上には、どんぶりよりも大きなスペアリブが乗っている。


 「それは、沼地のスワンプバードの腿肉と、砂漠に生息するデザートベアの肋です」


 そう説明してくれたサラの野菜ラーメンには、唐辛子がこんもり盛られていた。サラは顔色一つ変えずに唐辛子を次々と口に投げ込む。


 ラーメンはラーメンだけど、異世界の独特なアレンジが視覚と味覚に直撃する。


 骨付き肉を手に持ち、豪快に一口かじった。香辛料の香りが引き出した肉のうまみが口いっぱいに広がり、歯に触れただけで肉はほぐれ、そこから溢れる肉汁が五臓六腑に染み渡っていく。


 濃厚な味噌スープが野菜のさっぱりとした甘みと相まって、もちもちした太めの麺と絡み合うことで、くどさのない、優しい舌触りの絶妙な味わいを生み出した。


 「…美味しい」


 インパクトのある見た目に少し食べるのを躊躇したが、シンプルに美味しかった。しかし、この量はもう一つ胃袋がないと収まりそうにない。


 「うまっ!この豚骨スープは、クリーミーでコクがあるのにとてもあっさりとしている。熊のスペアリブも、外側がカリッと焼かれて中はジューシーだ。少し熊の存在感が強いけど、これくらいならぺろりと食べられそうだ」


 凪紗は片手に、かじりかけのスペアリブを持ち、もう片手で勢いよくラーメンをすすっている。


 これは、この世界での正しいラーメンの食べ方なのかもしれない。


 サラは野菜ラーメンの唐辛子を平らげた。その下に隠れていたベビーキャロット、ベビーコーン、そしてベビーオニオンを、今度はシャキシャキと音を立てて食べ始めた。どんぶりの中には色とりどりのミニ野菜がそのままゴロゴロと入っており、見た目にもとても賑やかだった。彼女の反応から見て、これもこの世界での『普通』なのかもしれない。


 食べきれそうになかったので、店員に肉を四等分に切ってもらい、かじった部分以外はすべてパントリーに収納することにした。


 お腹をパンパンに膨らませ、満足げな表情を浮かべた凪紗とサラと一緒に店をあとにした。


 「実和!いちご飴があるよ!次はデザートだ」


 満腹だったはずの凪紗は、今度はスイーツ屋台に一直線だった。実和は思わず苦笑いを浮かべた。もうお腹いっぱいのはずなのに、凪紗の食欲はブラックホールのようだ。


 「私はもう一口食べたら、ここで弾け飛ぶ自信がある」


 お腹は限界だ!


 「イチノミヤ様、お持ち帰りもできますよ。せっかくだから、寄っていきませんか」

 

 サラは珍しく乗り気だった。この世界の女子も、やはりスイーツには弱いのかもしれない。


 (まあ、いっか。私は大容量の胃袋を持ち合わせてないけど、パントリーならある!)


 「…スイーツを網羅して帰るぞ!」


 「えーー、引くーー」


 ニヤニヤする凪紗にすかさず言い返した。


 「あなたが言うか!」


 「いちご飴、りんご飴と綿あめを3つずつください」


 私たちのやり取りを横目に、率先してスイーツを注文したサラが一番抜け目なかったかもしれない。

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