第4話

 寝返りを打って、片手だけ毛布の外に出し、サイドテーブルからスマホを掴んだ。


 「……えっ?! じ、十二時……!」


 (やっちゃった……週末だからって、寝すぎた!)


 伸びをしながら、ゆっくりとベッドから足を下ろす。


 「……ん?」 


 まだぼんやりとした目で振り返り、何気なくベランダの方を見た。


 「外は島……変わってない、ってことはないか」


 昨日、植えた五本のレモンの木が高さ二メートルくらいになっている。枝葉も生き生きと伸びていて、その間から小さな白い花が可愛らしく顔を出している。


 (この調子だと、明日にはもうレモンが収穫できるかもしれないな)


 昨日は遅くまでミッションを頑張って、ようやくチュートリアルをクリアした。体力的にもメンタル的にもへとへとで、そのまま布団に倒れ込んだから、その後のことはよく覚えていない。


 ふかふかの布団でたっぷり眠ったおかげで、今日はなんだか体が軽い。


 「よーし、今日は久しぶりに買い物にでも行こうかな」


 キッチンに行って、冷蔵庫に残っていたもので簡単にサンドイッチを作って頬張りながら、ついでに他の食料品の在庫も確認する。その時、ふと昨日のミッションで教わった魔法のことを思い出したんだ。


 習得した収納スキルは二つある。インベントリとパントリー。


 説明によると、倉庫の役割を持つインベントリは物を最適な状態で保存してくれるが、温度をそのまま保つことはできない。そのため、出来上がった料理をそのままの状態で保存できるのはパントリーだけらしい。


 サンドイッチの最後の一口を飲み込み、昨日のうちにパントリーにしまっておいたオレンジジュースとアイスクリームを取り出してみる。


 「おー、ちゃんと冷えてる! アイスも全然溶けてない」


 収納スキルは、レベルアップすることで容量や性能が向上するらしい。具体的な説明は書かれていなかったから、どれくらい増えるのか不明。


 「よーし、冷蔵庫の中のものを全部パントリーに移動させちゃおう」


 そう思って冷蔵庫を開け、何を入れるかざっと見渡した。


 昨日散々練習させられて、今は目線だけで画面を操作できるようになった。これで目を閉じれば、誰にもバレずにこっそり操作できる。


 「よし、こんなもんかな」


 空になった冷蔵庫を閉め、今度は常温で保存している乾麺や缶詰、非常食なども、次々とパントリーへと移していく。


 「よし、全部入った」


 パントリーの画面を開いて食料品リストを確認すると、現在十八種類の食品が収納されている。リストの下には『18/100』という数字が表示されている。


 (まだまだたくさん入るんだ! これで、これからの買い物がすごく楽になりそう)


 「財布と鍵とスマホ……あっ、そうだ、バングルは見えないよう移動させて……よし、これで出発!」


 手首に着けていたバングルはチュートリアルのクリア報酬だった。このバングルがサブスペースと連結していて、外にいる時も魔法を使えるようになったのだ。


 外せないように作られているこのバングルは、サイズ自動調整機能が付いているので、見られたくない時に二の腕に移動して服の下に隠せる。


 「行ってきます」


 インベントリとパントリーがあるから、普段はあまり行かない大型の会員制スーパーまで足を伸ばしてみることにした。


 カートには、小麦粉、米、調味料、バター、お茶、コーヒーなど、普段は買わないような大容量のものがどんどん入っていく。一人暮らしになってからは敬遠していた肉類やパンも、思い切ってカートに放り込んだ。


 その後、日用品と衣料品コーナーでカートがほぼ満杯になった。


 「結構、時間経っちゃったな……」


 家電や家具のコーナーも、ついぶらぶらと見てしまう。特に買う予定はなかったのに。


 長いレシートを握りしめてずっしりと重くなったカートを押しながら駐車場へ向かう。

三時間で半年分以上の生活費を使ってしまった。

 

 予想はしていたけれど、やっぱり支払う時には手が震えてしまった。


 広い駐車場の端で、周りに誰もいないことを確認してから、素早く荷物をインベントリとパントリーに収納した。別に悪いことをしているわけじゃないのに、なぜか心臓がドキドキしてしまう。


 「ふー、いっぱい買った」


 そして手ぶらで帰る。最高!



* * * * *


 

 気がつけば、空はもうすっかり日が傾き始めていた。


 (そりゃあ、昼の十二時まで寝ていれば、こうなるよね)


 食材が大量にあるので、二週間分のおかずを作ってパントリーに入れた。これで朝もう少し寝ても大丈夫そうだ。


 料理中にうっかり火傷してしまった指が、じくじくと痛む。


 (確か、ヒールの魔法なら……いけるかな?)


 小さくヒールと唱えてみた。


 すると、一瞬で腫れが引き、赤みも痛みも消え去った。


 「わっ、治った!」


 『ヒールを習得した』


 (これは本当に助かる! 小さな火傷でも、意外と痛いんだよね)


 それから、クリーン魔法で部屋の隅々まできれいに掃除をして、暗くなった無人島で、適性の低い火魔法でどうにか小さな焚き火を作った。


 「はあ……はあ……、疲れた……」


 ほんの三秒しか『着火』を維持できないから、二時間近くも格闘してしまった。なんとか焚き火はできたけれど、もう体はぐったりだ。優雅に火を見つめる余裕なんて全くなく、重い足を引きずって部屋に戻った。


 「はあ……はあ……、適性の低い人には重労働だ」


 この疲れは覚えている。睡眠不足の時によく似ている。でも、今日は昼までぐっすり眠れたから寝不足のはずはない。


 (となると、やっぱり魔法を使いすぎたのが原因? 魔力が足りなくなってしまったのか?)


 「魔力は……どこかに表示されていないのかな? 確認できる?」


 適性とスキルは確認できるけれど、ステータス画面には魔力の表示が見当たらない。


 『ステータスは現在使用できません』


 「ダメか……ん?」

 急に指先に温かい何かが触れた気がした。


 ソファに横たわったまま、手のひらの方に目をやると、自分の手がキラキラとした粒子に包まれているのが見えた。昨日、不思議な輝きを放っていた木の葉から流れ出ているものだ。


 「綺麗……?!」


 そっと手を開いてその粒子を掴んでみると、それはまるで生き物のように手のひらに吸い込まれ、体の中へと入ってきた。慌てて手を引っ込めようとした瞬間、体が金縛りのように全く動かせないことに気づいた。


 「ひっ、う……うーん……?」


 すると、少しずつ体のだるさが消えていき、体の奥底からじんわりとした力が湧き上がってくるのを感じた。やがて体は解放され、ソファから起き上がって手足を動かしてみる。


 「……えっ、回復した……?」


 まだ若干の疲れは残っているけれど、体が嘘みたいに軽くなっている。


(この感覚……やっぱり、これが魔力なんだ。この木から、魔力が生まれているのか?)


 葉は相変わらず白く輝いている。確信はないけれど、あの葉の表面に浮かんでいた白い粒子は、魔力そのものなのかもしれない。


 「ありがとう、助かった!」


(これからは、無闇に魔法を使いすぎないように気をつけなくちゃ)


 「……ん?」

 ふと、ある考えが頭をよぎった。


 変な夢を見て寝不足になったと思っていたけれど、もしかしたら、あれは魔力不足のせいだった? 寝ている間に無意識に魔法を使っていた……?そもそも、あの時から、既に私は魔力を持っていた……?


 不可解なことばかりで、一体どこから考え始めればいいのか、全く分からない。


 「あ〜〜〜……もう、そろそろ寝ようかな」


 時計を見れば、日付が変わろうとしている。今考えても分からないことは、また明日にしよう。


 スマホを取り出して、お兄ちゃんにメッセージを打つ。


 【兄様、お布団の寝心地は大変良かったです。おかげさまで昼までぐっすり眠れました。心より御礼申し上げます。 昼まで寝ちゃった妹より】


 すぐに返信が来た。


 【やめろ、気持ち悪い……】


 失礼な!


 

* * * * *



 次の日も、昼過ぎまで寝てしまった。


 「マジか…!さすがに寝すぎだよ……!」


 (三連休があっという間だった!睡眠だけは充実していたよ)


 体のだるさも眠気もすっかり消えて、嘘みたいに軽い。 


 (もしかして、一度魔力不足になると、完全に回復するまで時間がかかる説?)


 ぶるぶる、ぶるぶる。

 スマホが振動した。


 「あ、凪紗からだ……!」


 【実和、午後二時、忘れないで!】


 (やばっ!すっかり忘れてた!この三連休で唯一の予定だったのに!)


 寝癖も直さないまま、慌てて洗面所に駆け込んだ。


 出かける前に、ちゃちゃっとお腹を満たしておこうと、パントリーからおにぎりと味噌汁を取り出した。


 おにぎりはパントリーの中に一緒に入れておいたお皿の上に乗っており、味噌汁もお椀の中に入っている。


 「へえー、パントリーって、自動的に食器に入れてくれるんだ。温かい!いただきます……あっつ!」


 贅沢かもしれないけど、適温調整機能が欲しい!熱々の味噌汁を冷ましながら、切実に思った。


* * * * *

 

 「ごちそうさま!」


 使い終わったお皿とお椀にクリーンをかけて、パントリーの中に戻す。


 「うん、お財布にも地球にも優しいね!」



 待ち合わせの場所へ向かう時だった。


 ぶるぶる、ぶるぶる。

 スマホが小さく震えた。


(凪紗からのメッセージじゃなくて、電話だ。ちょっと珍しいかも。)


 「もしもし、実和! 今どこにいる??」


 「え? もうすぐ南口の公園だよ。凪紗は?」


 待ち合わせまで、まだ三十分もあるはずなのに、凪紗の声はなんだか焦っている。


 「今行くから、実和はそこで動かないで!」


 「え? 分かった。公園の入り口で待ってるね」


 そう言うと、凪紗はすぐに電話を切っちゃった。


 (どうしたんだろう? あんなに慌てて……)


 凪紗の慌てぶりに少しだけ胸騒ぎを覚えながら、公園の入り口近くのベンチに腰を下ろした。 


 ぶるぶる、ぶるぶる。


 (今度はお兄ちゃんからのメッセージだ。……んん?何の話?)


 スマホの画面に首を傾げていると、すぐ横から息を切らした凪紗の声が飛び込んできた。


 「実和っ! 掴まって!」


 慌てて振り返ると、そこにいたのは、見たこともないくらい焦った顔の凪紗だった。数歩手前から、必死に手を伸ばしてくる。


 「えっ、どうしたのっ ……ええ?!」


 さっきまでベンチに座っていたはずなのに、自分の体が小さく光って、ふわりと浮き上がっていくのが分かった。


 「何これっ?! な、凪紗っ!」


 昼間の公園は、結構人が多いはずなのに、この光景に気づいているのは凪紗だけのようだ。みんな、スマホを見ながらとか、友達と話しながら何事もなかったかのように通り過ぎていく。


 「実和! 早く掴まって!」


 凪紗の声で、やっと我に返った。慌てて手を伸ばして、凪紗の差し出した手を掴む。


 「よっし、引っ張って」

 「え? 凪紗が引っ張ってよ」

 「いいから! 引っ張って、お願い!」

 切羽詰まった、いつもの余裕のない凪紗の勢いに、言葉を失う。


 「わ、分かったよ」


 腹を括って、必死に手を伸ばしている凪紗の手を握り返し、精一杯自分のほうへ引っ張った。でも、足が浮いているせいで、全然力が入らない。


 「えいっ!……危なっ!」


 その瞬間、凪紗が勢いよく飛び込んできて、ふらついた私の体をぎゅっと抱きしめてくれた。


 「良かったー、間に合った!よーし、準備できた。では、行ってきます!」


 凪紗は、どこかホッとしたような笑顔で、空に向かってニッと笑った。

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