第2話「荒地の開墾~農民との絆」

 数日間の過酷な旅路の果て、エレオノーラとイザベルはようやくクラヴィス領に到着した。領都と呼ぶにはあまりにも寂れたその町は、叔父の悪政の爪痕を生々しく残していた。かつて父が治めていた頃の活気はどこにもなく、崩れかけた家々、痩せこけた家畜、そして何よりも人々の瞳から光が消えていた。


 領主の館も例外ではなく、庭は荒れ放題、建物もあちこちが傷んでいた。出迎えたのは、数人の年老いた使用人と、不安げな表情を浮かべた農民の代表者たちだった。


「エレオノーラ様……ようこそお戻りくださいました」


 農民の一人が、か細い声で言った。しかし、その言葉とは裏腹に、彼らの目には「また高慢な貴族が来た」という警戒心と不信感が滲んでいた。無理もない。彼らは長年、貴族に搾取され続けてきたのだ。


「皆、出迎えご苦労様です。今日から私がこの領地を治めることになりました、エレオノーラ・クラヴィスです」


 エレオノーラは毅然とした態度で挨拶したが、農民たちの反応は鈍い。彼らにとって、若い令嬢がこの窮状をどうにかできるとは思えなかったのだ。


 その中で、一人だけ、まっすぐな視線をエレオノーラに向けている若者がいた。日に焼け、たくましい体つきをしたその青年は、名をルカと言った。彼はこの領地で生まれ育ち、誰よりも農業に情熱を燃やしていたが、現状に絶望しかけていた。


「領主様、本当にこの土地を何とかしてくださるおつもりですか?」


 ルカの問いは、他の農民たちの心の声を代弁していた。


「ええ。私には考えがあります。まずは、この土地の土壌を調べ、改良することから始めましょう」


 エレオノーラは、前世の知識を思い出しながら、具体的な計画を語り始めた。土壌分析、輪作の導入、有機肥料の作成――農民たちにとっては聞き慣れない言葉ばかりだったが、エレオノーラの真剣な眼差しと論理的な説明に、少しずつ耳を傾ける者が出てきた。


「まずは、この痩せた土地に緑肥となる作物を植えます。クローバーやレンゲソウのようなマメ科の植物は、空気中の窒素を土壌に固定し、土地を肥沃にする効果があります」


 エレオノーラは、自ら鋤を手に取り、荒れた畑の一角を耕し始めた。その姿に、農民たちは度肝を抜かれた。まさか公爵令嬢が、泥に塗れて働くとは夢にも思わなかったからだ。


 ルカは、最初こそ半信半疑だったが、エレオノーラの的確な指示と、何よりその行動力に心を動かされた。彼は率先してエレオノーラを手伝い、他の若い農民たちにも声をかけた。


「エレオノーラ様の言う通りにやってみよう! どうせ、このままじゃ飢え死にするだけだ!」


 ルカの言葉に、少しずつ農民たちの心が動き始める。エレオノーラは、彼らに肥料の作り方を教え、水路の簡単な整備を指示した。かつて「傲慢な貴族」と恐れられていた令嬢は、今や農民たちと共に汗を流すリーダーとなっていた。


 そんな中、一つの事件が起こる。侍女のイザベルが、王都の貴族連合に密書を送ろうとしていたことが発覚したのだ。イザベルは、エレオノーラの父である前公爵に恩義を感じていたが、同時にエレオノーラの横暴な振る舞いに辟易し、貴族連合に情報を流すことで、彼女が改心するきっかけになればと考えていたのだった。


「申し訳ございません、エレオノーラ様……!」


 床に額をこすりつけて謝罪するイザベルに対し、エレオノーラは静かに告げた。


「あなたの気持ちは分かります。今までの私なら、あなたを罰したでしょう。でも、今の私には、あなたを罰するよりも、あなたの力を借りたいのです」


 エレオノーラはイザベルを許し、これからの領地復興に協力してほしいと頼んだ。その寛大な処置と、変わりつつある主の姿に、イザベルの心は激しく揺さぶられた。彼女は涙ながらにエレオノーラへの忠誠を誓い、以後はエレオノーラの最も信頼できる側近の一人となった。


 数ヶ月後、エレオノーラたちが丹精込めて育てた小麦と豆類が、初めての収穫の時を迎えた。黄金色に輝く小麦の穂、豊かに実った豆のさや。それは、決して豊作とは言えなかったが、長年不作に苦しんできた農民たちにとっては、希望の光そのものだった。


 収穫祭の日、農民たちはささやかながらも祝いの宴を開いた。エレオノーラもその輪に加わり、農民たちが作った素朴な料理を口にした。その味は、王宮のどんな豪華な食事よりも美味しく感じられた。


「エレオノーラ様、ありがとうございます!」


 ルカが、少し照れくさそうに頭を下げた。農民たちの顔には、久しぶりに笑顔が浮かんでいた。エレオノーラは、彼らの笑顔を見て、胸が熱くなるのを感じた。


(これが、私の第一歩……)


 荒れ地の開墾はまだ始まったばかり。しかし、エレオノーラは確かな手応えを感じていた。前世の知識と、農民たちとの絆。それこそが、彼女の最大の武器なのだ。復讐への道は遠いが、その足元には確かな希望の芽が育ち始めていた。

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