第12話「見つけた私の一枚」
週が明けると、かるた部は一段と活気づいていた。
理由は明白。伏見先生が、地区予選前の「強化合宿」を提案してきたからだ。
「日程は、来月の三連休。場所は学校の研修施設を使わせてもらえるよう、手配してみます。体力、集中力、そして実戦力を底上げしていきましょう」
顧問のその言葉に、心菜や実結は目を輝かせていた。マネージャーの美沙希先輩も、「合宿仕様のメニュー、考えとくね!」とすでに気合十分だ。
だけど、愛花は、みんなの勢いにうまく乗れなかった。
(わたしは……このままで、大丈夫かな)
確かに、入部した頃に比べれば取れる札は増えた。少しずつルールも身体に馴染んできた。
でも、試合になると、あの初めての練習試合での記憶が蘇る。
――しのぶれど 色にいでにけり わが恋は
あの札を、心菜にすっと取られた瞬間。
悔しかった。涙が出るほど、悔しかった。
なのに今の自分は、あのときの自分と比べて、本当に強くなれているんだろうか。
(勝ちたいって、ちゃんと思えてる? わたし……)
そんな不安を抱えたまま、その日の部活が終わった。
***
帰り道、心菜と実結が前を歩いていた。
「ねえねえ、心菜ちゃんの“推し札”ってどれ?」
「え、難しいなぁ……いっぱいあるけど。うーん……“ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川”かな」
「おおー、有名どころ! やっぱりカッコいいよね! わたしは“難波津に”かなあ。音が跳ねる感じ、好きなんだ」
二人は楽しそうに、自分の“推し札”を語り合っている。
その後ろで、愛花はそっと目を伏せた。
(わたしには……そんな札、まだないかもしれない)
百人一首はまだ全部覚えられていないし、意味もちゃんと理解できていない。
でも、自分だけの札。好きって思える一枚。
そういうのが、あったほうがいいんじゃないか。
そんな思いが、胸の奥で小さく芽を出した。
***
その夜、愛花は机に百人一首の下敷きを広げていた。
一枚一枚の札を目で追っていく。声には出さない。でも、意味を読んで、想像する。
――この恋の歌は、どんな気持ちで詠まれたんだろう。
――この風景は、どんな季節だったのかな。
ふと、指が止まる。
「……こいすてふ わが名はまだき たちにけり」
藤原定家の、切ない恋の歌。
“恋している”と噂が立ってしまった――そんな、どうしようもない感情が、静かに心に触れた気がした。
愛花は、小さくつぶやいた。
「なんか……これ、好きかも」
***
翌日、伏見先生が「ちょっと面白いことをやってみましょう」と、部員たちに課題を出した。
「“かるた作文”。自分が好きな札をひとつ選んで、それにまつわる短い文章を書いてきてください。感じたことでも、解釈でも、詩でもOKです」
みんなは面白がりながら、どの札にしようかと騒ぎ始めた。
愛花は、迷わなかった。
家で見つけたあの札を、そっとノートに書き写した。
――こいすてふ わが名はまだき たちにけり
そこに続けて、言葉を綴った。
“まだ誰にも言えない気持ちが、心の中にある。
だけど、誰かがそれに気づいてしまったとき、どうしたらいいのか、わたしにはわからない。
それでも、恋って、ちょっとだけ、嬉しいかもしれないって思うの。”
ノートを閉じると、心がほんの少しだけ、あたたかくなった。
***
「この札、愛花っぽいね」
作文を読んだ心菜が、そう言って笑った。
実結もうなずきながら、「うん、すっごく可愛いよ!」と応援してくれる。
愛花は顔を赤らめたまま、小さく息を吐いた。
「……わたし、あの札、誰にも取られたくない。絶対、自分で取りたい」
それは初めて自覚した、心からの願いだった。
誰かの気持ちじゃない。憧れでもない。
“わたしの一枚”が、今、見つかった――。
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