第11話「心の中の“好き”を、まだ言えなくて」

 木々の葉がほんのりと色づき始めたある日、放課後の教室には、文化祭の準備に取りかかる声が響いていた。


「かるた部は展示参加ってことになったみたいよ。百人一首の札や競技の様子を、パネルにまとめて紹介するんだって」


 九条先輩が配ってくれた文化祭準備のプリントを見ながら、心菜はうなずいた。


「展示か……。だったら、試合の写真とか、解説も必要かな」


「うん、いいと思う! あっ、じゃあ、あたしパネル作り手伝うよ!」


 隣で元気よく手を挙げたのは愛花だった。最近の愛花は、どこか以前より表情が柔らかくなってきている。かるたに触れ、練習を重ねていく中で、少しずつ自信をつけてきているのがわかる。


「ありがとう、助かるよ。放課後、準備できそう?」


「もちろん! 心菜ちゃんと一緒なら、なんでも楽しいし!」


 その言葉に、心菜の胸がふわりとあたたかくなった。

 なぜか最近、愛花と過ごしていると、時間があっという間に感じる。かるたのことを話すとき、何気ない会話をするとき。ふと目が合って笑い合うとき。そのどれもが、少しずつ、心菜の中に積もっていく。


 ──どうして、こんなに嬉しいんだろう。


 その気持ちに、まだ名前はつけられなかった。


 ***


「これ、文化祭の飾り用に使えそうじゃない?」


「うん、いいね! あっ、でもこれ色合いが強すぎるかも……」


 放課後、文具屋に買い出しに来た心菜と愛花は、画用紙や飾りのリボンなどを手に取りながら、楽しそうにあれこれと選んでいた。


 店内の狭い通路で、手を伸ばした瞬間、二人の指がふと触れた。


「あっ、ごめん!」


「ううん、大丈夫……」


 触れたのはほんの一瞬。けれど、心菜の胸がわずかに高鳴る。

 隣を見れば、愛花も同じように頬を少し赤らめていた。


 ──どうしよう、なんだろう、この気持ち。


 手が触れた、それだけなのに。心菜はそっと胸に手を当てて、自分の鼓動の速さを確かめていた。


 ***


 帰り道、夕暮れが街を茜色に染めていく。二人はいつもの通学路を並んで歩いていた。普段よりも少しだけゆっくりと。


 そして、不意に、愛花がぽつりと口を開いた。


「ねえ、心菜ちゃんって……好きな人とか、いる?」


「……え?」


 急に聞かれて、心菜は驚いて立ち止まりかける。

 愛花は少し焦ったように言葉を続けた。


「あ、あのっ、変な意味じゃなくてね!? なんかさ、文化祭ってそういう雰囲気あるっていうか……」


 心菜は少し考えて、笑った。


「うーん……好きな人……かあ」


 そして、小さく首をかしげるようにして、答える。


「今は、かるたが好き。練習も好き。愛花ちゃんと話すのも、練習するのも、すごく楽しい。だから……そういうの、全部、好きかなって思う」


「……そっか」


 その言葉に、なぜか心のどこかがチクリとした。

 「そういうの」って、どんなの?

 「好き」って、どういう「好き」?

 そんな風に、言葉にできない気持ちが胸の奥でぐるぐると渦を巻いていた。


 ***


 夜、自室で布団に入った心菜は、愛花の言葉を思い返していた。


 ──心菜ちゃんって……好きな人とか、いる?


 何気ない会話のようで、なぜか頭から離れなかった。

 誰かを“好き”ってどういうことだろう。

 愛花といると、心が軽くなる。もっと一緒にいたいって思う。笑顔を見ると嬉しくて、悲しい顔を見ると胸が苦しくなる。

 それって、どういう“好き”なんだろう。


 そして、同じように、愛花もまた、布団の中でため息をついていた。


「……あのとき、“私が心菜ちゃんのこと好きだよ”って、言えたらよかったのにな……」


 でも、それがどんな“好き”なのかが、まだよくわからない。

 ただひとつ、確かなのは。


 心菜のことを考えると、心があたたかくなって、少しだけ泣きたくなるくらいに、愛おしいということ。


 ***


「おはよう、愛花ちゃん!」


「うんっ、おはよう、心菜ちゃん!」


 翌朝、部室で顔を合わせた二人は、少しだけ照れながらも、いつも通りに笑い合った。


 まだ言葉にできない気持ちは、胸の奥にそっとしまったまま。

 けれど、確かにそこにある。

 ゆっくりと、少しずつ、花がほころぶように。

 心菜と愛花、それぞれの「好き」は育ち始めていた。

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