都合のいいゾンビライフ
渡貫とゐち
第1話
「か、噛まれちゃった……っ」
――ゾンビで溢れた東京。
血と腐敗の匂いに慣れてきたところで油断してしまった。
長い黒髪は汚れ、毛先までさらさらだった面影は一切なく――。
さらには制服は破れ、見るも無残なボロボロ具合だった。
彼女は噛まれた二の腕を片手で押さえながら……。
これからやってくる絶望に不安を感じ、体が小刻みに震えていた。
噛まれたのだ、このままだといずれ彼女も周りと同じようにゾンビになってしまうだろう。
「あ、ワクチン! 早くワクチンを打てば、わたしも助かる――誰か……ッ!」
しかし、一緒に逃げていた仲間に見捨てられたばかりの彼女は単独行動中だった。
人の流れに乗って逃げている内に、池袋の駅構内――その地下にいた。
仲間はもちろん、頼れそうな人もいなかった。
幸い、逃げ道がないわけではない。
地下は不利だと思いがちだが、地上の方がゾンビばかりで見つかりやすいのだ。比べればまだ、地下の方が安全……と言っても、危険なことには変わりないが。
彼女の周りにはゾンビしかいなかった。ワクチンどころか今日の食事だって渡してくれる相手ではない。逆に、彼女自身がゾンビの餌である。
お皿の上の料理が歩いて近づくようなものだった。
「あ、終わった……わたし、このまま死ぬんだ……そ、そうだよね……――ゾンビになって別の子を噛んで、ゾンビを増やしちゃうんだよね……。わたし、わたしってやっぱり、世界にはいらない子なんだ……っ」
どんより、と黒いオーラが溢れ、彼女の周りだけがまるで影を作ったみたいに暗くなっていた。ネガティブ思考に偏っているが、こんな世界でポジティブに生きられる方が珍しい。
前向きに、このゾンビワールドからの脱出を考えている人間は、まだ生き残っているのか。正義感が強い人間ほど目立つから――つまり同時に発見されやすくもなる。
ゾンビからしても光は眩しく映るから――よく視界に入るだろう。
先頭集団にこそドラマがある。
ゆえに生死のやり取りも多いのだ。その中で生きられる主人公は、今更、浅草みにこのことなど助けない。彼女は、自分が何周も遅れていることを自覚しているのだから。
ヒーローはもう、こんな序盤の町にはいないのだ。みにこが自分自身でどうにかするしかなく……、どこに安全地帯があるのだ? 探すしかなかった。
「……もう、いいか……寝ちゃおう。気づいたらゾンビになっていた、が一番いいと思うし……」
寝ている内に。
苦しまずに死ねたなら本望だった。
彼女はぐっすり寝るため、近くのデパートの家具売り場へ向かった。
ゾンビを避けながら――ふかふかベッドを見つけて横になる。
水を吸って重たかったブレザーを脱いで、ついでにスカートも脱いでしまおう。熟睡するためなら服装は最低限でいい。
備え付けの枕に頭を沈めて……あっという間だった。
す、と眠りに落ちる――――
数時間後、深い眠りから起きた。
起きても、寝た。
また起きて、また寝た。寝過ぎたせいか頭が痛くなってきたけど、それでも寝た。
寝て、寝まくって、寝過ぎた後で――――気づいたらゾンビの気配がなかった。
体を起こす。寝る前以上の体調不良の中、みにこは違和感に気づいた。だって……、寝る前と変わっていなかったからだ。
体調不良にこそなっているものの、人間のままだった。
――そう、ゾンビになっていなかった。
ゾンビにならず、寝汗をかいていた。当然、数日前からお風呂に入っていないので体臭が気になる匂いだった。
……夢だったのかと思って二の腕を見るが、やはり、そこには確実に噛まれた傷があった。……間違いないのだけど、ゾンビになる気配がなく……みにこは戸惑うしかなかった。
なりそうな兆候さえない。
……もしかして、ゾンビにならない……?
「それはそれで不安だけど……だってっ、いつゾンビになるか分からないじゃん!」
仮に、彼女を匿ってくれる組織があったとして。
いつゾンビになるか分からない彼女を置いてくれるかは分からない。いや、逆の立場で考えてみれば、答えは明白だった。置いてくれないのが普通の感覚だろう。
誰だって、リスクは最小限にしたいはずだから。
数秒後にゾンビになるかもしれない人間を、保護してくれるわけが――――
「君ッ、大丈夫か!?」
救助隊がやってきた。
もちろんゾンビではなく――ごついガスマスクをはめ、徹底して殺菌済みのアーミー部隊である。彼らは両手で、大きく物騒な拳銃を持ちながらも、みにこのことを排除する気はなかった――隊列を組んで近づいてくる。
「もう大丈夫だ」
「ダメ、です……わたし、噛まれてるんです! いつゾンビになるか分かりませんけど!?」
言わないわけにもいかず、みにこは素直に告白した。いっそのこと痛みもなく額を撃って殺してくれたら楽だったけれど……アーミー部隊の先頭のひとりが静かな声で、
「少し待っていなさい……。舌を出すことはできるか?」
「え?」
言われた通りに舌を出す。
遅れて、彼が持ってきた検査キットで唾液を採り、成分を調べてくれている……、結果が出たようだ。救助隊の数人が顔を見合わせ、こくんと頷いた。
「大丈夫だ。君の中にはもうウイルスはないよ」
「……え」
「君はゾンビ化することはないんだ。噛まれたとしても、ゾンビ化するかどうかは個人差がある。……君の場合、ゾンビ化する前に、体内でウイルスを駆除してくれたのだろうね……なかなかに強靭な体のようだ」
「え、え……ほんとに、ですか? そんなことって……」
「問題ない。実際、ゾンビになっていないのだからね。嘘をつく理由もない。もしもウイルスが検知されていたら迷わず撃っていたさ。が、そんなことをする必要がなかったんだ……安心しなさい。君のことを保護しよう。さあ、安全な場所へ――」
それから、浅草みにこは救助隊に抱えられて保護された。
想定外だったが、これでゾンビワールドから脱出できた……のか?
あんな簡易的な検査キットでなにが分かるんだろう、と思ったものだけど、その後、病院で本格的な検査を受け、入念に確認してもらったところ、やはりウイルスは完全になくなっていたらしい。気づかない内に体が耐性を得ていたのだろうか。
ゾンビワールドとなってから半年……、多くの犠牲者が出た。
ゾンビも増え続け――しかし、ワクチンが大量生産されてからは、ゾンビの処分は早かった。
救助隊の手で、ゾンビワールドは終焉を迎えたのだった……。
徘徊していたゾンビたちは駆除された。新たなゾンビも生まれることもなく……、その後の世界では定期検診が義務化された。
一ヵ月に一度、人によっては一週間に一度の検診を受けることになる。みにこは二週間の一度のペースで検査を受けている――結果、ゾンビになる可能性は低いとのことだった。
みにこだけではない。ゾンビになる可能性を秘めた者はいない、と国が正式に発表をした。
それだけ、ウイルスは体内で駆逐され、広がることもなかった……。
おかげで、ゾンビワールドが再建されることはなくなった。
ゾンビワールドの終焉、新しい日常が始まってから、十年。
みにこは大人となり、それなりに色気がある女性となった。
思春期の頃には年齢相応の恋をして、成人してから結婚し、子供を産んだ。
若くして母となり、さらなる年月を経て、孫までできた。今度も若くして祖母になってしまい――――、一人目の孫が大きくなってきたところで、彼女は八十二歳となった。その年齢にしては若々しい見た目だった。なにより、昔と変わらない長い黒髪と艶を維持している。
けれども、寿命というのは突然だった。
病気でもなく、彼女の限界はここであったかのように、眠るように、浅草みにこ――もとい、
死んだはずの彼女。なのに、肉体は確実に死んでいながらも、意識がはっきりとしていたのだった。目が、ぱちくり、と開いて――――
「え?」
病室のベッドの上で仰向けになっている母を見て、息子と、横にいる孫がぽかんと口を開けていた。
思わず出てしまった声。戸惑うのも無理ないだろう。医者でさえ驚いているのだ。……死体が動いている。それはまるで、かつて世界を混沌とさせたゾンビのようではないか、と。
――長い長い検査を終え、結果が出た。
どうやら彼女の体にはかつて駆逐されたはずのゾンビウイルスがあったのだ。……隠れていた? それとも再発したのか……。
ともあれ、老衰した後で、そのウイルスが体内で猛威を振るった。そのため、死後、彼女はゾンビとして蘇ったのだ――いやいや……え、今更? とみにこが苦笑する。
「遅いけど……、わたし、ゾンビになったみたいねえ……」
「おばあちゃんっ、手、つめたーい」
二人目となった小さな方の孫がみにこの手に触る。
「あ、触らない方がいいわ、一応、死体だものね……」
動いていると勘違いしてしまうが、彼女は死んでいる……ゾンビだから死体なのだ。
放置していれば、当然、腐っていくものである。
「……少し待っていてください。国に確認をしてまいりますので……」
――ゾンビだから殺処分します、とはならなかった。まあ、当然である。
ゾンビだが、意思があれば人間だ。肉体が死亡しているだけで、人権はあるのだと信じたい。
とは言え、やはり監視もせず放置とはいかなかった。
国からの検査がさらに増え、色々と調べられた。検査に時間を割いた人生だったのだ、今更、それがいくつか増えたところで嫌気が差すことはなかった。
国見みにこはゾンビだが、有害ではない、という診断だった。ウイルスも彼女をゾンビ化させるだけのものであり、外部へ影響を与えるものではなかったようだ。
今後は、彼女の肉体が腐らないように気を遣うだけで済みそうだ。
「でも……これだと死ねないわねえ」
不老不死。しかし、既に老いているので、不死であるだけか……いいや、死んではいるのだから、不老でも不死でもないのだ。じゃあなんなのだ? ――ゾンビである。
そして――、
さらに年月が経った…………
――小さかった方の孫の制服姿を見れた。
――遅れてしまったが、大きい方の孫の花嫁姿を見ることができた。
ひ孫の顔まで見れたのだから満足だった……けど。
ゾンビだから死ねないのだった。
記録上は死んでいるとは言え、本人からすれば生きているようなものだった。
ふくよかな猫を膝に乗せ、こたつに入ってのんびり過ごす。
腐らないようにしながら――、……ゾンビだって、生活するためにお金がかかるのだった。
食費はいらないけれど……、それでも、国にいる以上は払わなければならない。
ゾンビだろうと、税は遠慮なく取られていくのだった……。
… おわり
都合のいいゾンビライフ 渡貫とゐち @josho
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