第14話 筆頭監査官の休日と市場調査

『国土開発・農業改革支援プロジェクト』の発表は、絶大な効果を発揮した。

あれほど強固に反抗していた『古き辺境伯』派閥は、完全に梯子を外された形となり次々と白旗を上げてきた。もちろん面子を保つため、表向きは「陛下の慈悲に感服した」という体裁を取り繕ってはいたが。


彼らは渋々ながらも新しい税制を受け入れ、滞納していた税金を納め始めた。私の監査チームが彼らの領地に入ることにも同意し、こうして内乱の危機は一滴の血も流れることなく回避されたのだ。


「いやあ見事見事! ミカ殿の手腕にはこの老いぼれも舌を巻くばかりですな!」


宰相閣下が私の執務室にまでやってきて、満面の笑みで私の手を握る。

王宮内での私の評価はうなぎのぼりだった。「救国の聖女」だとか「若き賢者」だとか、なんだか気恥ずかしい二つ名までつけられているらしい。


(うーん、でも実作業はこれからが本番なのよね……)


プロジェクトの計画を立てるのは得意だが、問題はその実行フェーズだ。実際に辺境伯たちの領地へ赴き、地質を調査し水路を設計する。現地の役人や民と協力して改革を進めていかなければならない。これは王宮の執務室にいるだけではできない仕事だった。


そんなことを考えていると、皇帝陛下から突然の命令が下った。


「ミカ嬢。三日間、休暇を取るように」


「……え? きゅうか、ですか?」


突然のことに私は素っ頓狂な声を上げてしまった。

この世界に来てから休むという概念が、すっかり頭から抜け落ちていたからだ。


「そうだ。君はここ最近働きすぎだ。心身を休めることも重要な仕事の一つだぞ。これは皇帝としての『業務命令』だ」


陛下の有無を言わせぬ口調。その金の瞳の奥には、私を気遣う優しさが滲んでいた。


「……ですが、プロジェクトが始まったばかりのこの時期に……」


「心配は無用だ。君が作り上げた完璧な計画書とマニュアルがあれば、現場は数日問題なく動く。それに……」


陛下は私の隣に立つレオン様に視線を移した。


「騎士団長もだ。君もミカ嬢の護衛にかこつけて、休みなく働いているだろう。休暇中は君がミカ嬢の『休日護衛』の任にあたるように。王宮から一歩も離れず、彼女の心身の回復に努めさせよ」


「はっ! 御意!」


レオン様が力強く答える。その声が心なしか弾んでいるように聞こえたのは、私の気のせいだろうか。

こうして私は半ば強制的に、三日間の休暇を与えられることになった。


とは言っても、やることはない。部屋でじっとしていても逆に落ち着かないだけだ。


「……レオン様。もしよろしければ、少しだけ王都の視察にお付き合いいただけませんか?」


休暇の初日。私は護衛として私の部屋の前に控えていたレオン様に、そう提案した。


「視察だと? 休暇中も仕事をするつもりか」

彼は呆れたように眉をひそめた。


「仕事と言いますか……市場調査ですね。これからのプロジェクトを進める上で、民間の経済状況や物流の現状をこの目で見ておきたいんです。机の上のデータだけでは見えないこともありますから」


「……仕方ないな」

レオン様は大きくため息をついたが、その口元は少しだけ緩んでいた。

「だが条件がある。今日はその堅苦しい監査官の服を脱いで、普通の街の娘の格好をしていくこと。それから俺のことも『レオン様』ではなく『レオン』と呼ぶこと。いいな?」


「えっ!?」

予想外の条件に私は目を丸くした。

騎士団長の彼が身分を隠して、私と二人で街へ? しかも呼び捨てで?

それはまるで――。


(……で、デートのお誘い……!?)


いやいやいや違う! これはあくまで護衛任務の一環であり、市場調査なのだ。

そう自分に言い聞かせながらも、私の心臓は勝手に早鐘を打ち始めていた。


簡素だが動きやすい街娘の服に着替え、髪を下ろして帽子を深くかぶる。

レオン様も騎士服を脱ぎ、上質な革のジャケットを羽織った旅人のような服装をしていた。いつもの威圧感は消え、ただでさえ整った顔立ちがさらに際立って見える。銀色の髪が陽光を浴びてきらきらと輝いていた。


二人で王宮を抜け出し王都の市場へ足を踏み入れると、そこは活気に満ち溢れていた。

野菜や果物を売る声、鍛冶屋が槌を打つ音、大道芸人の陽気な音楽。全てが新鮮だった。


私はさっそく市場調査を開始した。


「ふむふむ、南区のパンは中央区のパンより一割も高い……。これは小麦の輸送コストが価格に転嫁されている証拠ね。物流ルートの最適化が必要だわ」


「この鍛冶屋の農具、作りはいいけど鉄の質が悪い。騎士団で使っている鋼を少し回せば耐久性が三倍にはなるのに……。特許技術の民間転用も検討すべきね」


ぶつぶつと呟きながら、私はスキルで目に見えるもの全てを鑑定し、頭の中のデータベースに記録していく。

そんな私の様子をレオン――と心の中で呼んでみる――は、面白そうに、そしてどこか誇らしげに眺めていた。


「君は本当にどこにいても仕事のことばかりだな」


「すみません、性分なもので……。でも楽しいんです。問題点を見つけて、どうすればもっと良くなるか考えるのが」


私が笑いかけると、彼もふっと柔らかく微笑んだ。

「知っている。そういう君だからこそ、俺は……陛下も信頼しているんだ」


そのあまりにもストレートな言葉に、私はまた胸の奥が熱くなるのを感じた。


私たちは市場を一通り見て回った後、川沿いの小さなカフェで休憩することにした。

そこで私は一つの問題に気づいた。カフェで出される砂糖が驚くほど高価で、しかも質が悪かったのだ。


「これは……ひどい。こんな粗悪な砂糖がなぜこんな値段で?」


私が首を傾げていると、カフェの主人が声をひそめて教えてくれた。

「お嬢ちゃん、知らないのかい。この国の砂糖は全部、北方の『グラシエ伯爵』様が取り仕切っているんだよ。他の商人が砂糖を売ろうものなら、たちまち潰されちまう。独占販売ってやつさ」


グラシエ伯爵。

その名前は私のデータベースにも記録があった。『古き辺境伯』派閥には属していないが、中立を保ちながら巧みに私腹を肥やしている抜け目のない老貴族だ。


(なるほど。政治闘争には加わらず、経済で市場を支配するタイプね。これもまた国家レベルの『淀み』だわ)


新たな課題を見つけ、私の社畜魂が再び燃え上がり始めたその時だった。


「おや、見ない顔だね。お嬢さん一人かい?」


不意にいやらしい光を浮かべた目をした、チンピラ風の男たち数人に私たちのテーブルが囲まれた。

彼らは私のことしか目に入っていないようで、隣に座るレオンの存在には気づいていない。


「お兄さんたちと、いいことしない?」

下卑た笑いを浮かべ、男の一人が私の腕に手を伸ばしてきた。


その瞬間。


「――その汚い手をどけろ」


地を這うような絶対零度の声が、響き渡った。

声の主はもちろんレオンだった。

彼はいつの間にか立ち上がり、男の腕を鋼のような力で掴んでいた。その蒼い瞳にはもはや普段の穏やかさは微塵もなく、敵を前にした騎士団長の冷徹な光が宿っている。


「ひっ……!」

男たちは目の前の男がただの旅人ではないことに、ようやく気づいた。その圧倒的な威圧感に完全に怯えきっている。


「彼女に触れることは、皇帝陛下への反逆に等しいと知れ。……消えろ。二度と我々の前に姿を現すな」


レオンが掴んだ腕を、まるで汚れた布きれのように振り払う。

男たちは蜘蛛の子を散らすように、悲鳴を上げながら逃げ去っていった。

あっという間の出来事に、私はただ呆然としていた。


「……大丈夫か、ミカ」

私の前に屈み込み、心配そうに顔を覗き込むレオン。その声はもう普段の優しい響きに戻っている。


「は、はい……。ありがとうございます、レオン」

彼の名前を初めて、声に出して呼んだ。


すると彼は少しだけ驚いたように目を見開き、そして照れたようにそっと視線を逸らした。

その普段の彼からは想像もできない仕草に、私の心臓は今日一番大きく高鳴った。


この人は国を守る最強の騎士団長で、そして私を一人の女性として命を懸けて守ってくれる、ただ一人の騎士。


休暇のはずが新たな課題と、そして胸を焦がすような甘いドキドキまで見つけてしまった。

私の異世界ライフは、ますます予測不可能な方向へと進んでいくようだった。

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