夫よ、早く死んでくれないか

@oka2258

妻の気持ち

「姉さん、お母さんの通帳見ると、そこそこお金残してくれていたみたいよ」


妹の新見アキコが母の遺品を片付けていた時に、通帳を見つけて姉の盛田カネミに渡す。


「どれどれ、ホントだ。

でももっとあるかと思っていたわ。

介護や治療でお金使ったからね」


母が長い病の末に亡くなった。

もうかなりの高齢であり、姉妹も覚悟はできていたため、ショックはあまりなかった。


葬儀が終わると、財産の相続をしなければならない。

今日は一人暮らしだった母の家の片付けに来ていた。

すでに父は亡く、相続人はカネミとアキコの二人姉妹のみ。


調べてみると母はそこそこの財産を残してくれていた。

二人はそれを二等分して相続することにする。


「相続税について税理士に相談した方がいいよ」


カネミの夫の祐介がそうアドバイスしたので、今日は、姉妹で税理士事務所に来て、待合室で待っていた。


「そうよね!」


待合室で新聞を読んでいたカネミは突然声を出した。


「どうしたの姉さん?」

隣りにいた妹のアキコはスマホから目を離し、姉に尋ねる。


「この生活欄の女性経済評論家のコメントを読んでご覧」


アキコが見ると、そこには【老後の女性の暮らし方】というタイトルで女性、特に専業主婦が老後をどう過ごすべきかの指南が書かれていた。

よく見る記事である。


「これが何よ?」


「亭主と離婚して年金を半分貰っても生活はカツカツで大変だけど、亭主が早死すれば年金も全額出るし財産も入って優雅な生活ができますと書いているわね。


うちは子供が独立したし、亭主が定年で退職金も出たら、離婚して退職金と年金の半分をもらって好きに生きようかと思っていたの。

でも、期待していた親の遺産も思ったほどではないことがわかったし、離婚したら長い老後は苦しいかと思って、やめておいたわ。

でもずっとあの人と一緒は嫌、うんざりするわ」


姉の言葉にアキコは驚く。

姉と夫の祐介は大学からの付き合いで、就職してしばらくして結婚した。

祐介はイケメンではなかったが、明るく元気な男であり、多少食い意地は張っているが、真面目に働くしっかり者である。

妻子を愛して、女遊びもギャンブルもせずに、子育てや家事も手伝っていると聞いていた。

夫婦仲はいいと思っていたが、何がそんなに不満なのか。


「祐介さん、悪い人じゃないと思うけど」


「まあまあの夫だろうけど、もう結婚して30年以上よ。

子供も巣立って二人きり。

若い時はまだすっきりした男だったけど、もう中年もいいところ。

小太りで髪も薄くなってきた冴えないおっさんと死ぬまで一緒なんて嫌。

まだ私は最後に一花咲かせられると思うの。

素敵なロマンスグレーのいい男と過ごす老後があるかもしれないわ」


(それはないわ。

努力はしてるみたいだけど、年には勝てない。

たるんできた皮膚とたるんだ二の腕やお腹を鏡で見なよ)


口に出すと姉が怒るのでアキコは心で姉に返す。


カネミはニヤリとして言葉を続けた。


「この間、友達に誘われて主婦合コンというのに行ってきたの。

同年代か少し若いくらいの男が優しくしてくれて、若い時のもててた時に戻ったみたいで、それは楽しかったわ。

その中の何人に連絡先を聞かれちゃった」


「まさか教えてないわよね!」


不倫かと驚いたアキコが尋ねる。


「もちろん教えたわよ。

その中で一番カッコいい男とデートに行く相談をしていたの。

ドキドキしながら勝負下着も買ったのよ。


そうしたら、これを企画した山口さん、不倫が旦那にバレて、激怒した夫に家を追い出されて離婚。

子供にも見放されて、惨めなことになってるって。

相手の男に頼まれて、かなりお金を渡したのでバレたらしいわ。

私もそれでこわくなって相手をブロックしたの」


「やっぱりいい男と暮らすなら、ダンナと離婚しなきゃ駄目なのよ。

でも、離婚してもその後に金持ちの男と再婚できなければ貧乏暮らしになると思って踏み切れなかったの。

だけど、そうよ、旦那に早く死んでもらえばいいのよね。

そうすればダンナのお金は全部私のもの」


カネミの言葉にアキコは仰天した。


「えっ、人殺しなんてやめてよ。

わたし、殺人者の妹なんて言われたくないからね」


「バカね。

そんな事するわけないじゃない。

ただ、不健康な生活をして、自然に早く死んでもらうのよ。


そうね、身体に悪いと言えば、酒とタバコと脂ぎった食生活、それに運動不足して太らせること。

よし、そういう生活をさせないとね」


カネミはそう一人で頷く。


「でも祐介さん、子会社に再就職して働いているんでしょ。

それに先日の葬儀で見たら、前よりスリムになっていたじゃない」


スリムと言うより、退職したせいか元気なくしょぼくれていたように見えたが、そこは上手く言い換える。


「再就職なんて大した稼ぎじゃないわよ。

痩せたのは、稼ぎが減ったから小遣いも減らして、食事も旦那の分は安くあげることにしたのよ。

飲みに行く回数も減り、粗食になって痩せたみたい。


うーん、太らせるとなると食費がいりそうね。

でも将来のわたしの幸せの為に仕方ないか」


税理士から呼ばれて姉妹の雑談はそこで終わったが、本気かしらとアキコは姉の真意を訝った。


それから1年後、法事でアキコは姉夫婦と会った。

驚いたことに、祐介は見違えたように艶々して元気いっぱいになっていた。


法事の後の食事会でこっそりとアキコは聞いた。


「祐介さんどうしたの。

見違えるようになったけど」


「ふふっ、あれから小遣いを増やして飲みに行かせて、家でも好物の油物を増やしたの。

タバコはいくら勧めても吸わないけど、お酒は高いものを買ってもいいことにしたら結構飲むのよ。


挙げ句に、わたしに感謝して、俺はいい妻を貰ってよかった、周りの友人は退職したら扱いが酷くなったと嘆いているのに、こんなに大事にしてもらって本当にありがたいなんて言ってるの。

笑っちゃうわね。


それであの人、5キロ太ったって。

このペースなら高血圧やコレステロールで心臓麻痺とかになるかな。

癌はなかなか死なないから、即死してくれるのがいいわ」


そう言うカネミも少し太ったようだ。


「姉さんも太ったんじゃないの」


「あの人が美味しそうに食べるのでついついこっちも食べちゃうのよ。

おまけに、会社の帰りによくお土産だって私の好物の甘味を買ってくるし。

お前に良くしてもらった感謝の気持だなんて言うの。

美魔女をキープするためには節制しないとね」


それからカネミは声を潜めて妹に囁いた。


「友達に誘われてホストクラブに行ったのだけど、若いいい男が膝まづいて奉仕してくれるの。

楽しいわよ。

それに特別料金を払えばホテルでサービスしてくれる。

アンタも行かない?」


主婦合コンの次はホストか、アキコは驚きを通り越して呆れた。


「うちはまだ子供が学生でそんなお金ない。

それよりホスト通いで借金とかやめてよ」


「わかってる。

ダンナが死ぬまではバレないようにたまにしか行かないわ。

でも、楽しいことがあると生活に張りがあるわね」


そんな話をしてると、祐介が立ち上がる。

「カネミ、そろそろ帰ろうか」


「はいはい。

アキコ、またね」


帰っていく姉夫婦を見ると、初老で小太りのお似合いのカップルだ。


(早く死ねとか言わずに仲良く暮らせばいいのに)

アキコはそう思いながら見送る。


それから毎日の忙しさでアキコが姉のことを忘れかけていた頃、カネミから電話がかかってくる。


「アキコ、ちょっと聞いてよ。

あの人、あれからなかなか太らないの。

健康診断の結果も悪くならないし、困ったわ。

いっそ毒でも入れてやろうかしら。

味噌汁に農薬でも入れたらいいかしら」


予想通りに進まないことに苛立ち、過激になる姉の発言にアキコは慌てる。


「毒殺なんてすぐにバレるに決まってるでしょ。

そうすれば残りの人生は刑務所行きよ。


死ぬほど不健康にするのはすぐにはできないでしょう。

でも気長に続ければ効果はあるから」


なんとかなだめなければと必死に言葉を並べる。


「確かに刑務所行きはいやね。

よし!

油物、高い塩分のもの、たくさんの炭水化物、そんなものをどんどん食べさせて、お酒も酌でもしてたくさん飲ませよう。


最近はパチンコにはまっているしね。

何時間も座っているのも身体に良くないだろうと思って、勧めたの。

もっと身体に悪いことないかしら」


「それだけやれば、そのうち効果が出てくるわ。

それより、ホストクラブは最近どうなの?」


「アキコ、聞いてよ。

一緒にホストクラブに通っていた友達がダンナにバレて、大喧嘩になったの。ホストに数百万貢いで、子供の大学費用が無くなって発覚したんだって。

子供が大泣きして、離婚。

その友達、行き先もなくなって失踪したわ。


近所で有名になって、ホストクラブに行く人はいなくなり、潰れちゃった。

もう、私の楽しみが無くなってがっかり。

早くダンナが死ねば、東京のホストクラブに通えるのに」


「じゃあ後でいいホストに通えるようにお金貯めておけばどう?」


「アキコ、あなた賢いわね!

そうね、田舎のホストよりも東京の一流ホストと遊んたほうがいいわ。

再婚相手にいい男も見つけなきゃ駄目だし。

よーし、将来の楽しみのため、しばらくお金貯めるわ」


アキコはいい加減にしてよと思いながら、なだめすかして会話を終える。


ちょうど外出していた夫が帰ってきた。


「さっき祐介さんにばったり会ったよ。

ジョギングしてて、見るからに元気そうだったな。


お義姉さんが、運動のし過ぎは身体に悪いと言ってるそうだけど、自分をこんなに大事にしてくれる妻のために長生きして稼がなきゃと健康管理しているんだと。


おまけに元気なところを見込まれて、前よりもずいぶんいい会社に転職して収入も上がったとか言ってたな。

でもお義姉さんには内緒でヘソクリにして温泉旅行をサプライズでプレゼントするそうだ。


祐介さんが言うには、飲みに行くのもパチンコもOK、おまけに高い酒を買ってもらい、好きな唐揚げやフライをよく作ってくれて妻に感謝しかないんだって、羨ましい。


ああ、でも最近はこんなに良くしてもらって悪いからと、祐介さんが掃除洗濯から炊事まで家事をできるだけやってて、義姉さんをあんまり働かないように配慮してるとか言ってたよ。


自分も再就職で仕事が減ったし、妻の主婦業も経験しないとなあだって。

よくできた人だ。


ところで、俺もパチンコと飲み代の為にお小遣いアップして欲しいんだけど」


夫がおねだりするようにアキコを見る。


姉と比較して、まるで自分が悪妻のように思われているようで、アキコは頭にきた。

姉の真意をバラしてやろうかと思ったが、それは不味い。


「うちは子供にまだお金がかかるの。

あなたはまずお金のかからないジョギングから始めたら。

あと、家事もやってもらえるとありがたいけれど」


「わかってるよ。

冗談だから、怒らないでくれよ」


夫は手を合わせて謝る素振りをする。


アキコはキッチンに戻る。

まだ子供は学生だ。

まだまだ夫には元気でいて稼いでもらわないと困る。


それはともかく、姉の計画は根底から失敗しているようだ。

でも、この話をしたら本当に毒を入れたりしそうで怖い。


アキコは姉には黙っていることにした。


それから1年後、深夜、アキコに電話がかかってきた。


「アキコさんですか?

盛田です。家内のカネミが倒れました。

温泉旅行に行っていて、露天風呂に入りに行ったところを心臓麻痺で倒れて即死です。


ウウッ

どうしていいかわからないけど、まずは一番仲の良かった妹のアキコさんに電話をと思いまして」


あとは涙声で言葉にならない。


(姉さん、あんなに考えたのにこんなことになるなんて。

まるで狩人罠に掛かるって諺そのものじゃない)


アキコは慌てて次の朝一番で行くことを約束しながらそう思う。


翌日連絡のあった病院に着くと、姉がベットに横たわっていた。

その姿は以前見たときよりもずっと太っていてアキコは驚いた。


「母さんにはもっと節制して痩せろとさんざん言ってたのに」

病室には祐介とカネミの2人の子供が付いていて、泣いていた。


夫の祐介はベットの横でやつれきった姿で、涙をにじませていた。

一晩中、泣いていたようだ。


「お父さん、そんなに泣いているとお母さんが安心して天国に行けないわよ。

お母さんはお父さんのことが大切だったのだから、まずは自分のことを大事にして」


娘が慰めている。


(いやいや、姉さんはそんなことは全然思ってなかったわ)

心の中の声は外には出せない。


ひとしきりお悔やみを言い、知っている親族や知人のことを話してアキコは病院を出る。

あれだけ夫に早く死んでくれと言っていたカネミが先に死ぬとは。

なんとなく、空の上で姉が怒り狂っている気がした。


姉の葬儀の後、アキコにも形見分けが来た。

聞くともなく聞いていると、姉の財産は祐介と子供で折半らしい。

思ったよりもたくさんあって、祐介が驚いていた。


(姉さん、祐介さんが死んだあとで、ホストクラブ通いと再婚相手を見つけるためにお金貯めていたのね)


祐介は自分の貯金にカネミの貯めていたお金を合わせるとかなりの資産家になった。

彼はやつれた面持ちで、姉のことを悼んていたが、年配の資産家ならば寄ってくる女もいるだろうとアキコは思った。



姉の三回忌が終わってしばらくして、駅で姪と会う。


「叔母様、お久しぶりです」 

しばらく世間話の後、思い出したように姪が言う。


「父が今度再婚するんです。仕事の関係で知り合ったそうです。

一回り下の人ですが、母を亡くして仕事一筋の父に惚れたとか。


父は母のことを想って渋っていましたが、一人になって毎日寂しそうで。

兄も私も自分の仕事があって面倒見られないし、どうしようかと悩んでました。


だから、父のことを母の代わりに支えとなる人がいてくれると良いと思って賛成しました。

父には、あれだけ父のことを大事にしていた母なら許してくれるわと言ったら、涙をこぼして、そうだなと言ってました。

叔母様もそう思うでしょう?」


「確かにそうね。

姉さんはいつも祐介さんのことを気にしていたからね」


アキコは笑いを堪えて、真面目な顔をするのが大変だった。


姪から見せてもらった写真は、美魔女というかその年代と思えない美人だった。

おまけに一生独身と思っていたので結構な資産家だそうだ。


(姉さんは見ているかな?

まさかこんなことになるとはね。

まあ、姉さんのやりたかったことを、あんなに愛してくれた旦那さんがやってくれるからいいんじゃない)


姪と別れて、アキコが遠慮なく笑うと、姉が怒ったのか、急に激しく稲光が光り、ゴロゴロッと大きな音でカミナリが鳴った。

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