第3話 中退ではなく卒業

 卒業判定会議というものをこれから卒業する生徒に対して行います。普通に出席していてそれほど評定が低くなければ、たいていは問題なく卒業できます。

 しかし、中学生で引きこもったり不登校になったりした生徒については、評価のつけようがありません。学校で授業を受けていないし、定期考査を受けていない場合もあるからです。

 もっとひどいのは、学校には来ないでそこらへんで遊び歩いたり、学校に来ても授業はもちろんわかりませんから憂さ晴らしのように教師に暴力を働いたりします。

 職員会議での卒業判定は当然「卒業不可」でした。ところが、ここで校長が動議を出すのです。

「この生徒は卒業させずに留年にするという判定を出したが、本校は義務教育であり、保護者には九年間、学校に行かせる義務がある。しかし、十年目以降に関しては保護者にはその義務はない。したがって、留年させても保護者が学校に来させなければ、今後も引き続きこの状態が続くであろう。よって、特例としてこの生徒は義務教育の九年間を経過したということで、卒業とするものとする」

 こんな理屈だったように思います。それを聞いた直後は、何を言っているのか理解できませんでした。しばらくして、それは違うやろうと思いました。

 留年させてもこの状態が続くことが予想されるのであれば、「卒業」ではなく「中退」ではないのか。ただ、校長の弁によると義務教育に「中退」はない。ということでした。

 これが不登校の生徒ならぼくは「卒業」させてもいいと思っています。保護者に課せられているのは「学校に行かせる義務」ではなく、「教育を受けさせる義務」なのです。

 漫画家の青木光恵さんが実体験をもとに描いた漫画に「中学なんていらない 不登校の娘が高校に合格するまで」(KADOKAWA)があります。不登校気味の娘さんに両親があの手この手でなんとか高校に合格させるまでを描いたものです。小田ゆうあさんの漫画「斎藤さん もっと!」(集英社)にも不登校に苦しむ保護者の姿が描かれています。 ※いずれも電子書籍で読めます。

 不登校生徒の保護者は、決して「教育を受けさせる義務」を果たしていないわけではないということが、これらの漫画を読むとよくわかります。何度も書きます。保護者の義務は「学校に行かせること」ではなく「教育を受けさせること」なのです。学校はその一つの手段でしかないと僕は思っています。だから、学校の成績が卒業単位を満たしていなくても、高校受験ができるように「卒業」を認めるべきだと思います。

 しかし、自分の意志で教育権を放棄し、保護者が教育を受けさせる義務を放棄している生徒に「卒業」がふさわしいとは思えません。「中退」にし、高校受験ができる資格を与えないようにするという、現実の厳しさを十五歳の段階でちゃんと突きつけるべきなのです。

 ぼくはエンパワメントスクールという高校で、中学校で不登校だったけれど、高校で学び直そうという生徒と接した経験があります。その生徒たちは(途中で息切れすることはありましたが)学びたいという意欲を持っていました。

 ぼくに「学校には遊びに来ている」と言い放った生徒は、中学校にも遊びに行っていたのでしょう。それでも卒業でき、高校受験もできた。高校は定員割れで、どんな成績でも入学できた。だから、どんな成績でも進級でき、どんな成績でも卒業できると思っているのではないかと思います。

 体裁を保つためにどんな生徒でも一律に「卒業」させてしまう、そんな中学校は、ぼくには好きにはなれないのです。

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