第4話 いじめを防ぐには
ぼくが最も長く在籍していた高校は総合学科の高校で、一年生の段階ではほかの学校と変わらないクラス単位の授業が展開されますが、二年生からはほとんどが選択授業となり、課目によっては三年生といっしょに授業を受けたりもします。
そのかわり、二年生と三年生ではクラス単位で受ける授業はほとんどなく、クラスというのは行事のために集まるメンバーといった感じでした。
いじめが問題になるたびに、ぼくはその総合学科を思い出します。というのも、一年の段階ではちょっとしたいじめに近いことが起こりかけたりするのですが、二年生以降は、いじめ問題というものはほとんど起こりませんでした。
これには明らかな理由があると思います。それは人と人との距離が適度に開いているということです。一日中同じメンバーとしか顔を合わさないことで、クラスのメンバーとの距離感は縮まりますが、その分軋轢も出てきやすくなると思うのです。
ぼくの嫌いな言葉に「同調圧力」というものがあります。皆が同じ方向を向いているべきだという考え方は、とても危険なものだと思うのです。「十人十色」と昔から言われるように、全く同じ人間などいません。多種多様な人間がいて、その違いを認めることで、人は成熟していくのだと思います。選択科目で時間ごとに顔ぶれが違うということは、それだけ多種多様な人間と顔を合わせるということになります。週に二時間ほどではありますが、その中で学年やクラスを越えた人間関係を構築していくのです。
ぼくはいじめは人間関係が閉塞しているからこそ起こるんだと思います。一日中同じ顔触れで生活するのは社会に出てからでいいのです。高校時代に様々な人間と接する経験をしていたら、社会に出た時に、特定のものだけに攻撃を加えるということも少なくなるでしょう。
ぼくは元同僚が校長になった学校に在籍していました。その校長はぼくとの距離が近いと思ったのでしょう、人がやりたがらない仕事をぼくに振ることが多かったのです。それ以外の初めて顔を合わせる校長は、たいていある程度の配慮をしてくれたものです。
困難なことは、彼にとっては依頼しやすい、つまり遠慮の必要のないぼくに振るのは楽です。しかし、適材適所というものがあります。ぼくが断ると、その校長は「あんたならできる」と何の根拠もなしに断定しました。彼にとって、他の先生から嫌われるのは嫌だったのかもしれません。だから、「気心が知れている」と彼が思いこんでいるぼくなら多少しんどい仕事でも振りやすかったのでしょう。
大人になっても人間関係の距離の置き方はそれくらい難しい。
子どもならなおさらです。
いじめは根絶することは難しいと思います。しかし、選択科目をうまく使い、多種多様な人と接するという機会を与えることで、いじめは起こりにくくなるのではないか。
起こってしまったいじめを収束させるのは難しいことです。だからこそ、いじめが起こりにくい状況を作ってやることが大切なのではないでしょうか。
いじめの起こりやすい環境を人工的に作ってしまう。ぼくが学校を好きでない理由のひとつです。
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