第2話

 最近この国では、奇妙な事件が続いていた。

 私腹を肥やす悪徳政治家あくとくせいじかや、黒いうわさのある実業家じつぎょうかなどが、次々と不審ふしんな死を遂げている。その時に度々目撃されているのが、一頭立ての白い四輪馬車だった。

 どこからともなく現れたその白い馬車を見ると死ぬだとか、魂だけ白い馬車に乗せられて連れて行かれるのだとか、謎めいた白い馬車は不吉な噂として人々の口に上った。


「噂になってるみたいだぞ、御主人」

 御者ぎょしゃのイゴルは、まばらなあごひげをでながら馬車内の主人に声をかけた。深く濃い霧は、真夜中の石畳を走る馬車の姿を闇と共におおい隠す。だがイゴルは迷わず、馬も怖れず、不思議な霧の中を進んでいく

「そうだろうな。この国には魂の美味い人間が数多いせいで、最近は晩餐ばんさん続きだった」

 馬車内から答えるのは、豪奢ごうしゃな白い服を着た銀の髪の少年だった。出会った頃と比べて加齢を重ねた中年のイゴルとは異なり、彼の主人はいつまでも少年めいた姿のままだ。

 イゴルの主人は、重罪人などの業の深い魂を好んで食べる悪魔である。イゴルはかつて牢の中で悪魔に出会った。だがその魂は彼の口に合う物ではなかったらしく、今ではこうして悪魔の従者として仕えている。

「残念だが、そろそろこの国も潮時しおどきか。目星を付けていた美味そうな魂も、まだいくつかあったが……」

「御主人は食い意地が張っているからな。さすがに気付かれても仕方ないだろ」

「なに、健啖家けんたんか美食家びしょくかなだけさ」

 イゴルの軽口を悪魔は笑い飛ばす。この機嫌の良さを見ると、今夜の魂は口に合う物だったらしい。

「美食家ねえ……」

 馬車は霧の中を一定の速度で進む。イゴルが悪魔に連れられて初めてこの「石畳」を通ったときのように、この道は悪魔の望む先へと続いている。今夜はこのまま住処へと戻るだろう。

「なあ、御主人。前から思ってたんだが」

「なんだ」

「悪魔を手助けする人間というのも、結構な業の深さなんじゃないのか」

 イゴルが問うが、返答に少しの間が空く。

「……それを知ってどうする?」

「そろそろおれの魂も、それなりに美味くなってる頃かと思ったんだが。御主人から見てどうだ」

「全く、だな。私が今夜食らった魂は美味かったが、その従者の魂にまで手を出すほどではなかった。そういうことだ」

 やっていることにそれぞれ違いはあるだろうが、やはり従者じゅうしゃ程度ていどの立場では主人ほどの業や因果はなかなか負わないということらしい。

「ああ……言われてみれば確かに、あんたは美食家だな」

「そう言っているだろう」

「いや、悪かった」

 イゴルは馬車の中の主人の様子をうかがう。さっきまでと比べて妙に大人しいが、特に機嫌を損ねたわけではないようだ。

「……お前に『あんた』と呼ばれたのは久しぶりだな」

 悪魔が不意にぽつりと呟いた。

「そうだったか?」

「そんな気がした。今夜のお前は急に自分の魂の業のことなどを訊くし、いつもと違うように思える」

 そうだろうかとイゴルは考える。自分では気付かないが、少なくとも長年の外見変化の見えない悪魔に比べたら、人間と言うだけで変化が大きいものなのかも知れない。

 だが悪魔が続けた言葉は意外なものだった。

「イゴル、私の従者を辞めたかったらいつ辞めても構わないからな」

「あ!? まさかあんた、さっきのでそういう心配をしたのか!?」

「魂が美味くなっても、人間には何の得もないだろう。魂の業や因果が増すと、天国に行けなくなると嫌がる者も多い」

 人間についてその程度は私でも知っている、と悪魔は続けた。

「悪い、御主人。そういうわけじゃないんだ」

 イゴルは慌てて言葉を選ぶ。

「おれはあんたに恩があるんだ。だからおれの魂が美味くなってたら、いずれ死ぬときにあんたの腹の足しになれるんじゃないかと」

「……これは驚いたな」

 悪魔が、御者席に視線を向けた。

「たかだか目が合ったというだけの理由で自分を拾った悪魔に、魂を食わせるまでの恩義を感じていたのか?」

「悪いか」

 気恥ずかしくなったイゴルが少し早口になる。

「あんたがおれと目があったってことは、おれもあんたと目があったってことだろ」

「そうか」

 それだけ短く答えた悪魔は、ふいと視線を外して窓の外を見た。

「……目があってしまったのなら仕方がないな。だが従者風情ふぜいが、私の口に合う魂になどなれると思うなよ」

「残念だが、分かったよ」

 イゴルは肩をすくめる。残念なのは本心だが、どうやらこの主人は自分が死ぬまで雇い続けてくれる気はあるようだ。

 徐々に薄れてきた霧は、もうすぐ住処に到着するだろうことを知らせていた。

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