28話 ニヒトテーヘン ―不殺―

殺せば彼女も死ぬ。

生かせば、悪魔を蘇らせる。

どちらを選んでも救いのない状況の中、グラウブはアルベリスの精神へと踏み込む。

そこで対峙したホーフムート=オルファスは、明確な野望などなく、ただ人の欲望を楽しむために存在していた。

28話――選べない選択が、正義を試す。

そんなお話です。



皆が息を呑んだ。


ホーフムートの狙い――アルベリスを完全に乗っ取り、その“アンチ魔法”で自らが囚われている封印を解除すること。

それが成れば、世界は終わる。


だが――


アルベリスは意識を失ったまま、虚ろな顔で地に伏していた。


(……どうすればいい……)

メストアは剣を握り、歯を食いしばる。

愛した相手を斬るべきか、それとも……助けたいと願う自分の心に従うべきか。

答えの出ない苦悩が、胸を締め付けていた。


「……アルベリス……」

その名を呼んでも、彼女はもう応えない。


グラウブが一歩前に出た。

「……なら、俺が行く」


次の瞬間、彼は己の魔力を流し込み、アルベリスの意識へと憑依を試みた。


――暗闇。


精神の内側に踏み込んだグラウブの前に、ひとりの男が立っていた。

黒い長髪、痩せた顔、そして金色の瞳。

ホーフムート=オルファス。


「ほう……ここまで来るとはねぇ、魔王様」


「……お前の狙いは何だ。世界を滅ぼすのか」


ホーフムートは、口角を歪めて笑う。


「狙い? 大層なものはないよ。

私に野望など――特にない」


「……何?」


「ただひとつあるとすれば……その時その時を楽しむことだ」

「人の欲望は、実に良い刺激になる。見ているだけで愉快でねぇ」


にやり、と湿った笑みを浮かべる。


「欲望に振り回される者は美しい。

君たちもそうだろう? 失いたくない、助けたい、信じたい……

それがどれだけ脆いか、壊して試すのが――楽しくて仕方ないのさ」


グラウブは睨み返す。

「……ふざけるな」


だが同時に、彼の胸に冷たい戦慄が走る。

――この悪魔には、本当に明確な目的がない。

だからこそ、止める術も見えない。


現実に戻ると、アルベリスの体を通してホーフムートが再び笑った。


「さて……お前たちはどうする? 殺せば彼女も死ぬ。

生かせば、私が蘇る。どちらも傲慢だ。いい選択じゃないか」


その場に立つ全員の胸に、

**“絶望”と“傲慢”**が、静かに芽を出し始めていた。



次回予告


第29話『戦わない三銃士』

誰も殺さない。

その決断は、最も傲慢で、最も強い選択だった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

ホーフムートは、世界を支配することすら目的にしていなかった。

ただ、人の欲望が揺れる瞬間を楽しみ、その破滅を眺めて笑う――。

それこそが、最も止めがたい“悪”だったのかもしれない。

次回、第29話『戦わない三銃士』。

誰も殺さず、誰一人欠けない未来を選ぶ――その傲慢な挑戦が始まる。

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