24話 再契約

誰かに置いていかれる感覚は、時に死よりも残酷だ。

誰かが進み、誰かが赦され、自分だけが取り残される。

その焦燥の隙間に、もし“声”が入り込んできたら――

今回は、愛と破滅の境界で交わされる、危うい契約の物語です。




メストアとグラウブが向かい合う。

地を這ってきた元勇者が、今再び“従者”になる覚悟を携え、手を伸ばす。


その姿を、アルベリスは見ていた。

……いや、見ているしかなかった。


胸の奥に、ずっと渦巻いていた感情がある。

黒く、重く、名前のない焦燥が、淀んだまま沈んでいた。


(なぜ……なぜ私だけ――)


拳を握る。爪が掌に食い込むほどに。


(なんで……)


メストアは赦されている。

グラウブは前に進んでいる。

フェアヴァールトも、何かを信じて動いている。


なのに、自分は――


「なぜ……私だけ、置いていかれるの……?」


気づけば、視界が滲んでいた。

歯を食いしばっても、涙は止まらなかった。


(くそが……)

(私だって……何かを信じてきたはずなのに……!!)


――その瞬間。


頭の奥に、“何か”が割り込んできた。

耳ではなく、鼓膜の裏側を直接撫でられるような感覚。

まるで脳に泥が流し込まれるような不快さ――だが、それは異様なほど“なめらか”で、優しい。


「……お前は今、何が欲しい?」


耳元ではない。

頭蓋の内側、脳のしわの奥で、声が笑った気がした。


「愛されたいか?」

「愛したいか?」

「それとも――何も感じずに、生きたいか?」


言葉は穏やかだった。

けれど、音の隙間から、冷たい虫が這うようなざらつきが滲み出ている。


選択肢を与えるように見せて、すでに答えを掴んでいる者の声。


「俺は傲慢だからな」

「欲しいものがある奴に、引き換えの価値を測るだけだ」


アルベリスの手が、小さく震える。

その指先に、黒い光が灯った。


「髪一本でも、爪ひとつでも構わない」

「お前が“捨てられなかった想い”を、そこに込めろ」

「そうすれば――見合うだけの力をくれてやる」


声の奥で、湿った音がした。

それは笑いか、何かを噛み砕く音か、判別できなかった。


「欲望ってやつは、残酷だ」

「他人を追いかけた末に、自分すら見失う」


「だが、安心しろ」

「俺の契約は、正直だ」

「代償と引き換えに、“限界を越えた力”を渡す」

「そしていつか――お前の全てが俺のものになったとき」


声が、一瞬だけ囁きに変わる。


「その体で、お前の代わりに生きてやるさ」


その響きは、不気味で、そして――なぜか悲しげだった。


アルベリスの中で、何かが反応した。

ずっと消えなかった“愛したい”という感情。

だけどもう傷つきたくない。拒絶もされたくない。


(……私だけ、置いていかないで)


涙が音もなく頬を伝う。

一房の髪が、黒い霧に包まれて消えた。


「――契約、成立だ」


「名前なんて、どうでもいい」

「……でも、気になるなら、そのうち教えてやる」


メストアが再契約を果たし、前を向く中――

アルベリスは、“諦め”とは異なる何かに、静かに身を委ねようとしていた。

それがたとえ、破滅の契約であっても。


愛するために失い、救うために呪われる。

選んだのは、他でもない“自分の意志”。


そしてその代償は、彼女の中に――確かに刻まれた。


次回、第25話『ホーフムート=オルファス』

すべては、望んだはずの対価だった。



怖いのに、抗えない。

アルベリスが差し出したのは、髪ひと房。

それはただの髪ではなく、彼女が「絶対に捨てられなかった想い」だった。

次回、第25話『ホーフムート=オルファス』――

契約はもう成立した。

あとは、代償がどう彼女を蝕むかを見届けるだけです。

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