25話 ホーフムート=オルファス

置いていかれる感覚は、焦燥よりも残酷だ。

その隙間に、“声”が入り込んでくる。

今回、初めてその姿を現すのは――傲慢と犠牲を司る契約の主、ホーフムート=オルファス。

アルベリスの未来視と、そして何よりその傲慢さに結びついた契約書は、願いを現実に変える代わりに、必ず代償を奪う。

この出会いは、もはや破滅の始まりにすぎない。



希望に包まれたかに見えたその空間で、

ただ一人――アルベリスは笑っていなかった。


いや、正確に言えば。

誰も、アルベリスの“苦しみ”に気づいていなかった。


彼女は静かに、その場から身を引こうとしていた。


「……早く、いかなきゃ」


何に? どこへ?

それは彼女自身にもわからない。


ただ、胸の奥からせり上がる衝動があった。

逃げたいわけじゃない――でも止まれない。


そのときだった。


**“未来視”**が、勝手に動いた。


視界が歪む。

時間がねじれる。

そして、思考の中に割り込むように、数分後の光景が再生される。


(……あれ?)


そこには、魔王覇気を纏うグラウブがいた。

さっきの戦いは終わったはずなのに。

誰に対して怒っているのか、わからない。


――ただ一つ、確かなこと。


その覇気は、自分に向けられていた。


現実が未来に追いつくと、仲間たちが気づく。


「……アルベリス?」


振り返った視線の先。

アルベリスは、笑いも泣きもない空っぽの顔で立っていた。


その胸元が淡く光り、やがて形を変える。

一冊の“本”――いや、“契約書”だった。

ページには、黒いインクが生き物のように走り、未来視の映像が文字として浮かび上がっていく。


アルベリスは震える手で、そのページに何かを書き込もうとしていた。

インクはすでにペン先を待っており、その瞬間、未来が確定してしまう――。


グラウブの目が見開かれる。

(これは……危険だ!)


――ズバッ!


刃が閃き、アルベリスの右腕ごと契約書を斬り落とす。


地面に、腕と本が転がる。

だが次の瞬間――本だけがふわりと浮き上がり、黒い光に包まれた。


アルベリスはその場に膝をつき、呆然とした目で本を見上げる。


低く、湿った笑いが響いた。


「……お主ら、傲慢じゃのう」


黒煙が本から溢れ、アルベリスの背後に人影を形作っていく。

長い髭を撫でるいやらしい笑み、鋭く曲がった鼻、痩せこけた体にまとわりつくローブ。

黄金色の瞳だけが異様に大きく、光を反射してぎらついている。


「失礼、自己紹介が遅れたな」

「私は――ホーフムート=オルファス」


「傲慢と犠牲を司る、契約の主だ」

「この子とは、たった今“傲慢”で意気投合してな。契約を結ばせてもらった」


本がぱらぱらと勝手に開き、黒い文字が宙に浮かび上がる。

ホーフムートの声が淡々と続いた。


「この契約書は、こやつの未来視と相性がいい」

「ページに現れるのは、“数分先の未来”」

「そして――そこに自分で書き加えたことは、イメージできる範囲で現実になる」


「ただし条件がある」

「本人の感情が伴わねば、何も起きない」

「封印や契約の解除は、書いても無駄だ」


黄金の瞳が細くなる。

「……そして、一度書けば代償は必ず払う。俺は正直だからな」


黒い本が、再びアルベリスの胸へ沈み込む。

同時に、彼女の目から光が消え――ホーフムートが完全に“代わり”に立った。


「さて、続きをやろうか」

「俺は気に入らなかったものを、消す主義でね」


空気が一気に凍りつき、底知れぬ魔力が広がった。

仲間たちが反応するより早く――魔王、グラウブが踏み込んでいた。


(殺される……アルベリスが……!)


ズバッ!


グラウブの剣が、ホーフムートに操られたアルベリスの“もう片方の腕”を斬り落とす。

鮮血が舞い、地面に崩れ落ちるアルベリス。


彼女の瞳から、ようやく涙がこぼれた。



次回予告

第26話『傲慢な契約書』

名前を与えられた“傲慢”の化身は、いったいどんな代償を望むのか――。



最後まで読んでいただきありがとうございます。


未来視と契約書が一つになった瞬間、アルベリスは取り返しのつかない一歩を踏み出した。

ホーフムート=オルファス――その黄金の瞳は、すでに彼女の未来を読み切っている。

次回、第26話『傲慢な契約書』。

代償の重さと、傲慢の本当の意味が明らかになる。

彼は言う。「欲しいものがあるなら、全てを差し出せ」と。

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