25話 ホーフムート=オルファス
置いていかれる感覚は、焦燥よりも残酷だ。
その隙間に、“声”が入り込んでくる。
今回、初めてその姿を現すのは――傲慢と犠牲を司る契約の主、ホーフムート=オルファス。
アルベリスの未来視と、そして何よりその傲慢さに結びついた契約書は、願いを現実に変える代わりに、必ず代償を奪う。
この出会いは、もはや破滅の始まりにすぎない。
*
希望に包まれたかに見えたその空間で、
ただ一人――アルベリスは笑っていなかった。
いや、正確に言えば。
誰も、アルベリスの“苦しみ”に気づいていなかった。
彼女は静かに、その場から身を引こうとしていた。
「……早く、いかなきゃ」
何に? どこへ?
それは彼女自身にもわからない。
ただ、胸の奥からせり上がる衝動があった。
逃げたいわけじゃない――でも止まれない。
そのときだった。
**“未来視”**が、勝手に動いた。
視界が歪む。
時間がねじれる。
そして、思考の中に割り込むように、数分後の光景が再生される。
(……あれ?)
そこには、魔王覇気を纏うグラウブがいた。
さっきの戦いは終わったはずなのに。
誰に対して怒っているのか、わからない。
――ただ一つ、確かなこと。
その覇気は、自分に向けられていた。
現実が未来に追いつくと、仲間たちが気づく。
「……アルベリス?」
振り返った視線の先。
アルベリスは、笑いも泣きもない空っぽの顔で立っていた。
その胸元が淡く光り、やがて形を変える。
一冊の“本”――いや、“契約書”だった。
ページには、黒いインクが生き物のように走り、未来視の映像が文字として浮かび上がっていく。
アルベリスは震える手で、そのページに何かを書き込もうとしていた。
インクはすでにペン先を待っており、その瞬間、未来が確定してしまう――。
グラウブの目が見開かれる。
(これは……危険だ!)
――ズバッ!
刃が閃き、アルベリスの右腕ごと契約書を斬り落とす。
地面に、腕と本が転がる。
だが次の瞬間――本だけがふわりと浮き上がり、黒い光に包まれた。
アルベリスはその場に膝をつき、呆然とした目で本を見上げる。
低く、湿った笑いが響いた。
「……お主ら、傲慢じゃのう」
黒煙が本から溢れ、アルベリスの背後に人影を形作っていく。
長い髭を撫でるいやらしい笑み、鋭く曲がった鼻、痩せこけた体にまとわりつくローブ。
黄金色の瞳だけが異様に大きく、光を反射してぎらついている。
「失礼、自己紹介が遅れたな」
「私は――ホーフムート=オルファス」
「傲慢と犠牲を司る、契約の主だ」
「この子とは、たった今“傲慢”で意気投合してな。契約を結ばせてもらった」
本がぱらぱらと勝手に開き、黒い文字が宙に浮かび上がる。
ホーフムートの声が淡々と続いた。
「この契約書は、こやつの未来視と相性がいい」
「ページに現れるのは、“数分先の未来”」
「そして――そこに自分で書き加えたことは、イメージできる範囲で現実になる」
「ただし条件がある」
「本人の感情が伴わねば、何も起きない」
「封印や契約の解除は、書いても無駄だ」
黄金の瞳が細くなる。
「……そして、一度書けば代償は必ず払う。俺は正直だからな」
黒い本が、再びアルベリスの胸へ沈み込む。
同時に、彼女の目から光が消え――ホーフムートが完全に“代わり”に立った。
「さて、続きをやろうか」
「俺は気に入らなかったものを、消す主義でね」
空気が一気に凍りつき、底知れぬ魔力が広がった。
仲間たちが反応するより早く――魔王、グラウブが踏み込んでいた。
(殺される……アルベリスが……!)
ズバッ!
グラウブの剣が、ホーフムートに操られたアルベリスの“もう片方の腕”を斬り落とす。
鮮血が舞い、地面に崩れ落ちるアルベリス。
彼女の瞳から、ようやく涙がこぼれた。
⸻
次回予告
第26話『傲慢な契約書』
名前を与えられた“傲慢”の化身は、いったいどんな代償を望むのか――。
*
最後まで読んでいただきありがとうございます。
未来視と契約書が一つになった瞬間、アルベリスは取り返しのつかない一歩を踏み出した。
ホーフムート=オルファス――その黄金の瞳は、すでに彼女の未来を読み切っている。
次回、第26話『傲慢な契約書』。
代償の重さと、傲慢の本当の意味が明らかになる。
彼は言う。「欲しいものがあるなら、全てを差し出せ」と。
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