【第四十六章】 空白のスケルツォ

 九条さやかは新聞部室の端に立ち、古びたエアコンの送風口に手をかざした。温度設定は切られて久しいが、微かに風があった。夜、23時をまわっていた。

 教室の蛍光灯は一部が消え、モニターも自動で輝度を下げている。校内LANは節電モードに入り、すべてがゆるやかに沈黙に向かっている。

「三面記事は、これで……まあ、形にはなるかな」

 彼女は机に戻り、プリントアウトしたレイアウトを指でなぞった。事件とは無関係の軽めの記事が並ぶ三面、特集、コラム。いずれもそつなくまとまってはいるが──

「……一面が、空いたままなんだよね」

 プリントの左上、太い見出しが入るはずのスペースには、何も書かれていなかった。空白は紙面だけの話ではなかった。それは、自分の中にできた“答えのない余白”と重なる。

 証明できないのなら、正義じゃない。けれど、踏み込まなければ、ただの噂。

 記事を書くという行為が、こんなにも危うい境界線の上に成り立っていることを、さやかは初めて痛感していた。

「もし……明日、何も解決しなかったら」

 言葉にしてみると、それは予想以上に重かった。

 新聞部の活動は、現在“事件特集”を軸にして成立している。もしこれが徒労に終われば、編集会議も、取材許可も、部費申請すら“ただの趣味活動”と見なされてしまう。事実、先週の顧問面談では「部としての成果が不明確」とやんわり告げられたばかりだ。

 “廃部”の二文字が、現実味を帯びて頭をよぎる。

 マウスから手を離し、さやかはディスプレイの前で小さくため息をついた。画面には、編集中の長文ファイルが表示されていた。削除線だらけの原稿。どこからが確定で、どこからが推測か、自分でも分からなくなっている。

「真実を書ける日は……来るのかな」

 その呟きは、部室の壁に吸い込まれ、答えの代わりに無音が返ってくる。

 誰かに聞いてほしかった。けれど、今この部屋には、自分しかいない。

 いぶきのことを思い出す。

 確信を持って動く彼の姿勢は、正直うらやましかった。あの少年は、いつも肝心なときだけ、鋭く核心を射抜いてくる。だからこそ、頼りにされているのだ。

 自分は──どうだ?

「“一面”を預かる人間が、迷ってちゃだめなんだよ」

 その言葉は、自分に言い聞かせたつもりだったが、どこかで“言い訳”に聞こえた。

 動機は正義? 好奇心? それともただの、怖いもの見たさ?

 記事を書くことの重みは、事件の真相に近づくほど強くのしかかってきた。

 空転するスケルツォのように、軽やかなテンポの裏で、感情だけが焦燥の速度を増していく。

 “書くこと”は、時に人を救い、時に人を傷つける。

 でも──誰かが、書かなくちゃならない。

 彼女はもう一度だけレイアウトを見直すと、プリントアウトした紙をそっと重ねた。

 その指先に宿った決意だけが、今夜の静寂の中で微かに確かだった。

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