【第四十五章】 最後の旋律に、名前は刻まれていた

 期限が明日まで迫った午後。

 練習室に、さやかが駆け込んできた。

「……これ、持ってきた。」

 手に抱えられていたのは、薄く硬いファイルに収められた一枚の楽譜。

 角が黒ずみ、五線はところどころ滲んでいる。赤黒い染みがいくつも残されていた。

「アヤメさんの遺体……衣装ケースの中に、これが入ってたらしい。

 警察にお願いして、“一時的に検証用として”って言ったら、貸してくれた。」

 いぶきは何も言わず、それを受け取った。

 手袋越しに紙をめくると、特異な構成の楽譜があらわれた。

 曲名も、作曲者名もない。だが、見覚えがある構造だった。

「これは、“封じの旋律”の……続きだ。」

 いぶきは静かに呟いた。

 夜、いぶきは一人、端末の前に座っていた。

 鍵盤とモニターを並べ、譜面をスキャンし、MIDIデータとして打ち直していく。

 時間をかけて、構造を浮かび上がらせる。

 今回は、頂点の音ではなく、和音の“最低音”のみを抽出した。

 あのときの逆だ。つまり、下からの視点。

 それは、まるで地の底から誰かが這い上がってくるかのようだった。

 そして、浮かび上がった。

 《I B U K I》

 一音ずつ、音高の流れの中に、名前が刻まれている。

 それは偶然ではない。配置された“意味”だ。

 さやかが息をのむ。

「……あなたの、名前……」

 ミユは、言葉を失ったまま、画面を見つめていた。

 まるでその文字列が、じわじわと形を変え、毒を流し込んでくるかのように。

 いぶきは黙って、データを閉じた。

 そして、椅子の背にもたれかかりながら、深く目を閉じる。

 浮かぶ名前。

 自分の名前。

 その文字を、ここに刻める者は誰か。

 “選ぶ力を持った旋律”。

 “反応する者だけが、旋律の続きを“聴ける”

 それは、預言ではなかった。

 計画だった。

「音は嘘をつかない。だから、真実は最初から響いてた」

 いぶきは、ふっと息を吐いた。

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