【第四十二章】 MACアドレスの亡霊

 薄暗いサーバー室に、モニターの明かりだけが灯っていた。

 沈黙のなか、真壁の指先が無音でキーボードを打ち続けている。

 画面に広がる行列の文字列は、一般人にはただのノイズにしか見えなかった。

 だが、そこに答えがあると、いぶきは信じていた。

「出た」

 短く、真壁が言った。

 画面には一連のアクセスログが表示されている。

 その中の一行――"chime_temp.wav" を再生した端末のMACアドレスが浮かび上がった。

「このID……上6桁が“E2:8A:D4”……教育委員会が納入したiPadロットのやつだな。」

 真壁の視線が鋭くなる。

「このロット、該当するのは三台だけだ。」

「……誰?」

 ミユの声が硬い。

「篠宮。音羽。そして、柘植先生。」

 静まり返る室内で、情報だけが空気を刺していく。

 翌朝。

 音楽棟の準備室に三人の名前が並んだとき、もはやそれは“噂”では済まなかった。

「俺がiPadを使ったのは確かですが、理事会の会議資料作成で、一時的に預かっただけです。」

 篠宮が、淡々と応じた。いつも通りの声色だが、目は決して笑っていなかった。

「その時間、私は生徒会室にいました。ルカの件で待機指示が出てて……記録もあるはずです。」

 音羽が即座に被せる。

 対して柘植は、眉間にしわを寄せながら、ひとつだけうなずいた。

「深夜巡回が私の担当だった。iPadは、通常どおり携行していたよ。」

 互いに食い違わないが、互いに譲りもしない。

 疑いは静かに、しかし確実に三人を包囲していた。

 それを見ていたいぶきは、胸の奥にざらついたものを感じていた。

 この中に“誰かがいる”……そう思えば思うほど、言葉にできない嫌悪感が胸を支配する。

 その日の夜、再びサーバー室。

 真壁の作業は止まらない。

 いぶきも、ミユも、ただ黙ってその背を見ていた。

「……これは、変だな。」

 真壁が声を上げたのは、それから30分が過ぎた頃だった。

「このMACアドレス、複製されてる。」

「複製……って?」

 さやかが問い返す。

「“MACスプーフィング”だよ。」

 真壁が眼鏡を押し上げた。

「犯人は、誰かのiPadのMACアドレスをコピーして、別の端末で“なりすまし”アクセスしたってこと。つまり、実行したのは、登録された三人とは別の人間だ。」

 ミユが声を失った。

「じゃあ……さっきの三人は、全員――」

「無実、とは言えない。でも、“決定的な犯人”ではない。」

 いぶきは、膝の上で手を組んだまま、じっと考えていた。

 チャイムの偽装。MACのなりすまし。

 ここまで計画的にやる人間は、普通ではない。

 だが、ここまで**“確実に自分を消す”**ことに執着する人間が、身近にいるのだとしたら――

 それは、ただの動機では説明できない“何か”を持っている。

「……また、振り出し、か。」

 さやかが小さく漏らす。

 いぶきは、首を横に振った。

「いや、違う。ここまで消そうとするってことは、確実に証拠があるってことだ。」

 “犯人が恐れている証拠”は、まだ残っている。

 それがどこにあるのか――その問いだけが、部屋の空気に残された。

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