【第三十七章】 午前零時の証言

 「二宮ルカが亡くなったのは、十月三十日の午前零時から零時半。その時間を軸に、関係者の動きを洗い直そう」

 有馬いぶきは、部室の壁に貼られたコルクボードの中央に「0:00」と太字で書かれたカードをピンで留めた。その周囲には、既に貼られている人物名のメモや出来事のメモが蜘蛛の巣のように広がっている。

「“アリバイ”って、要するにその時間、自分が何をしていたかってことだよね?」

 志鶴ミユが、少し不安げな声で尋ねた。

「そう。第三者の証明があると尚いい。証明がない場合でも、発言に不自然さがないかどうかを見ていく」

「……この夜、旧講堂に“入れた”人間が限られている」


 声は低く抑えられていたが、その奥には確信があった。


「鍵の管理者、学院祭準備に関わった教職員。それと、機材にアクセスできた技術系の生徒」


「まず、真壁から行こうか」

 いぶきは、ポストイットに“真壁蒼汰”と書いて、ボードの左端に貼った。


 いぶきとミユは、再び真壁の元を訪ねていた。理由はただ一つ――ルカが亡くなったあの深夜、彼がどこにいたのか。

 おそらく、誰もが無意識に避けてきた問いだった。

「……あの日の夜、君は、どこにいた?」

 いぶきの言葉は穏やかだったが、視線はまっすぐに相手の目を捉えていた。

 真壁は一瞬だけ視線を泳がせたあと、ふっと小さく息をついた。

「旧校舎の物理実験室にいた。学院祭の出し物で使う実験機材、手入れしてて」

 彼は机の引き出しから一冊のノートを取り出した。そこには手書きの実験メモと、その日付がしっかりと残されていた。

「それだけじゃ、証拠にはならないよ」

 ミユが疑念を口にする。だが、真壁は首を振った。

「先生が来たんだよ。たしか、零時を過ぎたころだったと思う」

「どの先生?」

「……柘植先生」

 いぶきはその名前を聞いて、すぐに職員室へ向かった。

 静かな室内。カップに半分残った紅茶を傍らに、柘植は書類整理の手を止めた。

「真壁くん? ああ、いたよ。たしかに、あの夜の零時過ぎ、旧校舎の物理室で見かけた」

「先生の方から、行ったんですか?」

「うん。職員宿舎のブレーカーが落ちててね。点検のため、校内巡回を頼まれてたんだ。一部のコンセントから異音がしてたから、旧校舎まで足を運んだ。あのとき、確かに彼はいたよ。何かを組み立てていたな」

 ミユが小さくうなずいた。

「じゃあ、少なくとも真壁くんは……ルカさんの事件が起きた時間、旧校舎の物理室にいたというわけですね」

 いぶきは手帳にメモをとりながら、ふと視線を上げた。

「先生、そのとき時計を見ましたか?」

 柘植は少し考えてから、

「ええ。腕時計が二十三時五十三分を示していたのを覚えてる。古い校舎での巡回は、気味が悪くてね。時間を気にしながら歩いてたんだ」

と答えた。

 いぶきはゆっくりとメモを閉じる。

 この証言が真実であるならば、真壁は――少なくとも、ルカの死に直接手を下す時間はなかった可能性が高い。



 いぶきは、“真壁:物理室/柘植先生が確認と書いた付箋を、0:00のカードのすぐ左下に貼った。


「生徒会長の篠宮も旧講堂の鍵を持っていたはずだ」

 さやかが言う。

「確認しよう、篠宮理玖先輩」

 いぶきがボードを見る。

「彼、当時はどこにいたんだっけ?」

  ミユの問いに、さやかが補足する。

「篠宮も夜の旧校舎にいたって言っていた。生徒会として、深夜の見回りをしていたらしい。生徒会室に残っていた生徒会メンバーが、篠宮が戻ってきたのと零時のチャイムがほぼ同時だったって証言してたわ」

「誰の証言?」

「音羽くん。今の副会長ね」

「毎日見回りしてるんですか」

 いぶきが問う。

「ピアノのチューニングキーを旧校舎で無くしたから、ついでだとは言っていたな。あれがなければ、ピアノの背面には一切触れないからな」

 いぶきは頷く。

「じゃあ音羽さんの名前も添えておこう」

いぶきは“篠宮:旧校舎→生徒会室/音羽証言”と書き、右下に配置した。

「そして、柘植先生は?」

 ミユが確認する。

「真壁とのやりとりを見る限り、その時間はアリバイがあるか」

 いぶきは軽く頷くと、ボードに“柘植:真壁対応”の付箋を追加した。

「この三人のアリバイは、現時点では大きな矛盾はない。ただし、証言の信頼性は引き続き検証が必要」

 ミユが少し考えた後、ぽつりと口にする。

「誰も“殺害現場”を見ていないんだよね……」

「そう。“死の瞬間”の目撃者はいない。ただ、誰がその場所にいたか、そしてその前後に何をしていたか。それを組み上げるしかない」

 さやかが、静かに息をついた。

「情報をつなぎきる時間は、あまり残されてないわ。新聞部の活動停止まで、あと六日」

いぶきはその言葉に頷くと、コルクボードを見据えたまま静かに言った。

「なら、六日で決めよう。この“沈黙の零時”に、誰がいたのかを」

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