【第三十二章】 紙の中の血
学院図書棟、その一角にある資料閲覧室は、遠い異世界のように静まり返っていた。
いぶきはミユ、そして理科部の真壁蒼汰を伴い、その部屋の奥へと足を進めた。今は使われていない譜面棚の脇に、目的の譜面が封筒ごと置かれていた。
「これが……ルカが見た、血を流した譜面なんだな」
真壁がためらいがちに口にした。
いぶきはルーペを取り出し、慎重に譜面の一部へと視線を落とす。赤黒く染まった五線の中に、微かにだが滲み方の異なる線が見えた。紙の表面に広がった赤は、裏面には不自然なほど一切染みていない。
「おかしい」
ぽつりと、いぶきが言った。
「普通のインクや血液なら、紙を貫いて裏まで滲むはず。でもこれは……表面で止まってる。しかも、染みというより、紙の繊維の“間”から染まってきてるように見える」
「中から……?」
ミユが言葉を飲み込む。
「そう。これは、たぶん“インクを含ませた紙”だ。破らずに、内側から色を出せる……つまり、内部に仕掛けがある」
真壁が小声で息を呑んだ。
「それ、カプセル印刷……いや、マイクロカプセルインクかも」
いぶきは頷いた。
「試してみよう。新聞部に聞けば、同じ紙が余ってるはずだ」
数分後、彼らは文化祭のポスター制作ブースで、同型の印刷用紙を手に入れた。それは一見、普通の厚紙だが、角度によってわずかに光沢の走るコーティングが施されていた。
真壁が取り出したのは、実験用の超音波スピーカーだった。
「設定は60kHz。人間には聞こえないが、マイクロカプセルには響くはず」
机の上に紙を置き、スピーカーのスイッチを入れる。
数秒の沈黙。だが次の瞬間——紙の中央からじわりと、赤い液体が浮き出すように染み出した。まるで、紙が自ら“出血”しているかのように。
「……出た」
ミユの声が震えた。
いぶきはそっと、浮き出した液を指先でなぞる。
「五線譜に一致する位置にだけ、反応するように仕込んである。これは偶然じゃない」
真壁が顕微鏡を覗き込みながら言う。
「……カプセル、潰れてる痕がある。直径は……おおよそ二十五ミクロン。産業用じゃない、市販でも流通してるレベルだ」
いぶきは紙片を手に取り、視線を細めた。 「誰かが意図的にこの紙を用意して、音に反応する“血”を演出した。……これは、仕掛けられたものだ」
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