【第二十六章】 即興の約束

 空が、青かった。

 雲一つなく晴れ渡り、講堂の向こうに伸びる並木が、きらきらと風にゆれていた。学院祭のざわめきが、校舎の窓から漏れてくる。笑い声、呼び込み、軽音部の音――そのすべてが、重ならずに、ちゃんと響いていた。


 廃材置き場の裏手、今は誰も近寄らないその一角に、いぶきとミユは並んで腰を下ろしていた。


「ここ、誰も来ないんだよ」

 ミユが言った。

「うるさすぎて、人が避けるから。ほら、風で屋根がガタガタ鳴るでしょ。まるでパーカッションみたいに」


 いぶきは黙ってうなずいた。

 彼の手元には、木片と金属片、廃材で作った即席の“楽器”が並んでいた。どれも壊れかけた棚や、抜け落ちた鉄パイプ、捨てられた看板の部品――音を奏でるために作られたものではない。ただ、響きを持っていた。


「なんで……音、集めてるの?」

 ミユが訊いた。


「意味はないよ。ただ、面白いから」

 いぶきは答える。

「昔誰かが言ってた。“いい音ってのは、理屈じゃなくて、響きの向こうに何かがある感じ”って。――それが何かはわからないけど」


 ミユは、少し笑った。

「……そういうの、好きだよ」


 風が吹いた。葉が一枚、二人の間に舞い落ちる。

 やがてミユが、音もなく立ち上がった。リズムもなく、ただ足で廃材の端を鳴らしながら、鉄パイプを指でつつく。硬く、乾いた音。木片を手に取り、石とぶつける。ガン、と音が跳ねた。


 いぶきは、少し驚いたように彼女を見た。

「……叩けるんだ」

「音感だけは、そこそこ良いの」

 ミユは言って、また笑った。


 ふたりの間に、リズムが生まれた。

 誰が決めたわけでもないのに、音は秩序を帯びていく。

 アルミの破片が、やわらかなハイハットのように響く。鉄パイプがバスドラムのような深い音を鳴らす。木片が合いの手のように跳ねる。

 目を合わせず、言葉を交わさず、ただ、音で通じていく。

 ――即興だった。


 何かを演奏しているわけではない。ただ、その場で生まれたリズムが、音楽を超えた何かを生み出していた。


 やがて、風が音をかき消すように強まった。屋根が唸り、葉が地面を転がる。

 その中で、ミユがふと呟いた。


「いぶきは、音で未来を決められる?」

 いぶきは、木片を鳴らす手を止めた。


「決めるというより、信じることはできるかな」

「それ、かっこいい言い方」

「でも本当だよ。……音って、続けるしかないからさ。途中でやめたら、何も残らない。最後まで鳴らして、ようやく音楽になる。人生もたぶん、似てる」


 ミユは、そっと視線を逸らした。

 そして、空を見上げた。


「……また、一緒にやろうね。こういうの」

 いぶきは答えなかった。

 ただ、手元の金属片をゆっくり叩いた。澄んだ、硬質な音が空へ伸びた。

 その一音が、約束のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る