第19話 ポップコーン

 俺には小さいころから、憧れているシチュエーションがあった。

 それは、「恋人と映画館に入って、一つの容器からポップコーンを食べていて、手が触れ合って赤面する」というものだ。

 たぶん、もっと小さいころに映画かドラマで見たんだと思うが、ずっとそれに憧れていた。

 だが、高校時代にカノジョが出来た時にも、俺は笑われるかもしれないと、その憧れについて言い出せず、結局実現しないまま大学生になった。

 高校時代のカノジョとは卒業の時に別れたので、今の俺にはカノジョはいない。

 いたとしても、やっぱり言い出せるかどうか、自信はないけれど。


 そんな時、友人の一人が「レンタル彼女の無料お試し券」なるものをくれた。

 なんでも、知り合いにもらったものの、その直後に恋人ができたのでいらなくなったと、俺に譲ってくれたのだ。

 その券を使うかどうか、俺は少し悩んだけれど、レンタル彼女なら俺の憧れのシチュエーションもやってもらえるかもしれないと、ふと思いついた。

 もちろん、本物のカノジョとできれば一番うれしいけれど、高校時代のことを思えば、またカノジョができたとして、憧れのシチュエーションについて口に出せるかどうかもわからない。

(とりあえず、予行練習だと思おう)

 俺は、自分にそう言い聞かせて、そのお試し券を使ってみることにした。


 本当にタダで使えるのかとか、どんな感じなのかとか、いろいろ不安はあったけれど、実際に店舗に足を運んでみると、店の人はとても親切だった。

 こちらの好みを聞いて店の人が出してくれた写真から、俺が一人選んで、まず相手が決まる。

 そのあと、デートコースの希望などを聞いてくれる。

 俺が選んだ相手は、同い年か少し下ぐらいに見える『ユキ』という女性だった。デートの行先は、迷わず映画館にした。


 そして当日。

 最寄り駅で『ユキ』さんと待ち合わせた俺は、そこから一番近い映画館へと向かった。

 『ユキ』さんは、写真で見たのよりも可愛くて、清楚な雰囲気の人だった。

(こんな可愛い人なのに、彼とかいないのかな)

 俺は、ちらっとそんなことを思う。だって、ほんとに彼とかいたら、こんな仕事しないだろうと思ったのだ。

「今日見るのは、どんな映画?」

 初対面とはいえ、カノジョという設定だからだろう。『ユキ』さんが、親しげな口調で訊いて来た。

「ああ、えっと……恋愛映画かな。大学生の主人公が、未来から来た女の子と恋仲になる話」

 俺は、昨日ネットで調べた映画の情報を話す。

 重要なのはポップコーンとはいえ、さすがに、何を見るかを決めないで来るとかどうかと思ったので、一応今から行く映画館で上映されている映画を調べて、女の子と一緒に見るのに良さそうなものをチョイスしてあった。

 それから、シチュエーションについては、なるべく自然な感じでやりたいので、ポップコーンを買って席に着いてから「一緒に食べてほしい」とだけ言うつもりにしていた。


 ところが。

 映画館に行ってみると、ロビーのお店には、ポップコーンがなかった。

 なんと、売り切れてしまったんだという。

「そ、そんな……!」

 思わず声を上げ、俺はへたり込みそうになった。

「あ、あの……新しく入って来たりはしないんですか?」

 ついつい声を荒げて、そんなことを訊いてしまう。

「申し訳ありません。今日の入荷は、もうないんですよ」

 店の人は、そう言って頭を下げた。

「誠さんって、ポップコーンが好きなの?」

 そのやりとりに、『ユキ』さんが訊いて来る。

「あ、うん。まあ……ね」

 曖昧に答える俺に、『ユキ』さんは言った。

「上映までにはまだ時間があるし、私がコンビニまで行って買って来ようか」

「あ……。ううん、いいよ」

 俺は少し考えて、かぶりをふった。自分でもよくわからないけど、映画館で売ってるあの筒形の容器に入ったポップコーン、あれじゃないと、ダメなのだ。

「そう?」

「ありがとう。……それより、中に入ろう」

 小首をかしげる彼女に言って、俺は踵を返した。

 『ユキ』さんもうなずき、隣に並ぶ。


 その時、前方から歩いて来た男が、『ユキ』さんに声をかけた。

「美由紀、ようやく見つけたぜ。こんな所にいたとはな」

 途端、彼女の顔が少し強張ったように見えた。

 けれど、彼女は笑って返す。

「どちらさまでしょう? 誰かとお間違えじゃないですか?」

 すると突然、男の形相が変わった。

「俺を無視する気か? 今度こそ逃がさないからな!」

 叫ぶなり、『ユキ』さんに殴りかかったのだ。

 とっさに、体が動いた。

 今でも、その時なんでそんな行動に出たのかは、俺にもよくわからなかった。

 だがその時俺は、『ユキ』さんをかばって、男と彼女の間に飛び出していた。

 重い拳が、背中にめり込む感覚と同時に、何かが折れるような鈍い音が頭に響いた。

 あたりに悲鳴やら怒号やらが響く。

 だが俺は、彼女と共に吹っ飛ばされて、意識を失った。


 次に俺が目覚めたのは、病院だった。

 俺はろっ骨と内蔵をやられ、脳震盪も起こしていて、一時は大変な状態だったらしい。

 目覚めたあとも、三ケ月ほど入院するハメになった。

 ただ、『ユキ』さんに怪我がなかったのは、幸いだったけれども。

 『ユキ』さんの本名は、瀬川美由紀といった。俺は、「あなたのせいではない」と言ったのだけど、責任を感じてか、彼女は俺の入院中、毎日のように見舞いに来てくれた。

 彼女の話によると、映画館で会った男は彼女の元カレで、いわゆるストーカーだった。

 知り合ったころは温厚な人物に見えたが、同棲を始めた途端に殴る蹴るの暴力をふるうようになって、たまらず逃げ出したところが、しつこく付きまとわれたのだという。

 それで、当時通っていた大学も辞め、住居も変えたのだそうだ。更に生活のためにいろいろな職に就き、最終的に知り合いに手伝ってほしいと言われて、あのレンタル彼女の店で働いていたということだ。

 そんな身の上話を聞いたり、毎日顔を合わせたりするうちに、俺と彼女はいい感じになり、俺が退院するころには、恋人同士になっていた。

 ちなみに、あの男は俺を殴った時点で警察に捕まったらしい。映画館の人たちが、警察を呼んだのだそうだ。そして警察が調べたら、他にも余罪が出て来て、現在は警察で拘留中とのことだった。このまま、刑務所にでも入ってくれれば、彼女も俺も安心してくらせるんだけど。


 ともあれ。

 恋人として付き合うようになった、ある日のデートの時。

 美由紀さん……いや、美由紀がなぜあの時、ポップコーンがないことにあんなにショックを受けたのかと聞いて来たので、俺は正直に理由を話した。

 なんとなく、彼女になら話しても大丈夫な気がしたのだ。

 すると彼女は言った。

「なら、今から映画館へ行こう。ちゃんとポップコーンが買えたら、私と一緒に食べて」

「あ……。うん!」

 俺は大きくうなずく。


 彼女と手が触れる瞬間、俺はどんな気持ちになるんだろう。

 わからないけど……彼女は俺の憧れのシチュエーションを聞いても、笑わなかった。

 だからきっと、その体験は最高のドキドキと共に、楽しいものになるはずだ。

 俺は、ワクワクとドキドキと、彼女への好意と、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになったまま、美由紀と一緒に映画館へと向かった。

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