第20話 ポテトチップス
僕は商店街のはずれで、小さな店をやっていた。
扱っているのは、イモやカボチャ、レンコンなんかの野菜を薄切りにして揚げたチップスと、ドライフルーツだ。
どれも基本、僕が自分で作っていて、チップス類はその日の朝に揚げたものを袋に詰めて店に並べる。なので、売り切れたら、その商品のその日の販売は終わりだ。
材料の野菜は、街から離れた農園で野菜作りをしている知人の元から買っていて、毎週必要な数を連絡して、そこから送ってもらうようにしていた。
ところが。
「あれ? ジャガイモが、もうないぞ」
早朝、今日の分のチップス作りのために、野菜の倉庫を覗いた僕は、ジャガイモの袋が空になっていることに気づいた。そして、思い出す。
先週、ちょっとした手違いから、ジャガイモだけ少なく仕入れてしまっていたのだ。
(どうしようかな。今週はカボチャがたくさんあるし、こっちを多めに作るかな)
僕は少しだけ思案する。
ポテトチップスは、日本ではいろんなお菓子メーカーが出していることもあって、野菜のチップスの中ではメジャーな商品だ。そのせいか、うちの店でも人気があって、一見さんでも買っていく人が多い。
ものすごく売上に影響する、というわけではないけれど、なければガッカリする客はいそうだな、という気もする。
(……といって、まだスーパーも開いてない時間だしなあ……)
僕が悩んでいる時、裏口から呼ぶ声がした。
店は一階が店舗で、二階が僕の住居になっていて、通りの裏に面している裏口は、店の勝手口であるのと同時に、二階へと続く内階段への出入口にもなっていた。
なので、ご近所さんや友人などが訪ねて来る時は、だいたい裏口から声をかけてくれる。
その時も、声の主は近所に住む大学生の優香さんだった。
「おはようございます。これ、実家から送られて来たジャガイモなんですけど、いりませんか?」
彼女が言って掲げてみせたのは、大きめのビニール袋一杯に入った、ジャガイモだった。
「ジャガイモ!」
僕は思わず頓狂な声を上げる。
袋の中を見せてもらうと、中くらいの大きさの立派なジャガイモが、たくさん入っていた。
「ありがとうございます! 今、ジャガイモが切れてて、困っていたんです!」
僕は礼を言って、事情を説明する。
すると彼女は笑った。
「わたし、なんだかいい仕事したみたいですね。それ、うちの両親が自分たちが食べる用にって、趣味で作ってるものなんです。今回はたくさん採れたからって、大きなダンボール一箱送って来られちゃって……。使ってもらえるとうれしいです」
そう言って、彼女は袋を僕に渡すと帰って行った。
こうやって、偶然ジャガイモをもらうことができた僕は、いつもどおりにその日売るチップスたちを作り、いつもの時間に店を開けた。
するとどうしたことか、いつもよりポテトチップスの売れ行きがいい。
まるで、客たちが今日のポテトチップスはいつもと材料が違うと知っているかのように、来る人来る人、みなポテトチップスを買って行く。
おかげで、いつもと同じ量を作ったはずなのに、ポテトチップスだけが午前中に売り切れてしまった。しかも、売り切れたあとも「ポテトチップスはないんですか」と訊いて来る客が続出した。
(これって、どういうことだろう?)
何か変だと思いつつも、店の方針は「売り切れたらそれで終わり」だったし、そのことは店頭にも掲示してあるので、僕は追加を作らずにいた。
ところが、今度は一度買った客たちが、「もうないのか」と店にやって来るようになった。
しかも、最初は一人二人だったのが、次第に数が増え、僕は休みなく「ポテトチップスはないのか」と訊かれるようになった。
(いったい、何が起こってるんだ……)
呆然とする僕の頭に、ふいに以前、SNSで見た都市伝説のような話が閃いた。
日本のどこかに、一度食べるとやめられなくなる「病みつきイモ」なるジャガイモがあるのだというのだ。
そのジャガイモは、ただそこにあるだけで人を呼び集め、食べたい気持ちにさせる魔法のような力を持ち、一口食べると心が跳ねる。そして、続けてそれを食べずにはいられなくなるのだという。
(そういえば……噂では、そのジャガイモでポテトチップスを作ると、他ので作った時より、軽い仕上がりになるって話だった)
僕は更に、以前に見た噂を思い出す。
そして今朝揚げたポテトチップスは、たしかにいつものよりも軽い仕上がりだった気がする。
(あれ? でも、僕も今朝、味見のために食べたけど……。たしかにすごく美味しかったけど、そんな依存状態にはなってない……)
ふと気づいて、僕は小さく首をひねった。
だがすぐに、そんなことを考えているどころではなくなった。
客たちが、どんどん店に押し寄せて来て、「ポテトチップスを寄こせ」と騒ぎ始めたためだ。
これはもう、残っているジャガイモで、チップスを作るしかないかも……と僕が思って口を開きかけた時だった。
突然、水が僕たちの頭の上に降って来た。
気づくとその場の全員がびしょ濡れで、そして誰もが呆然とした顔で立ち尽くしている。
僕もまた、何が起こったのかわからないまま、呆然と立っていた。
「みなさん、正気に戻りましたか?」
そこへ、よく通る声がして、大きなバケツを手にした優香さんが現れる。
その声に、押し寄せていた客たちは、我に返ったように顔を見合わせた。
「正気に戻ったなら、帰ってください。ポテトチップスは、売り切れです!」
優香さんがまた声を張ると、客たちはびしょ濡れのまま、怒るでも騒ぐでもなく、ぞろぞろと店から出て行き始めた。
やがて店内に客は誰もいなくなり、僕と優香さんだけが残った。
「お店を水びたしにしてしまって、ごめんなさい。それと、ジャガイモのことも」
優香さんは謝罪すると、今朝お裾分けしてくれたジャガイモが、噂の「病みつきイモ」だったのだと告げた。
「……わたしも、母から電話をもらうまで、知らなかったんです。昼過ぎに、母から携帯にかかって来て、あれは食べ慣れない人にあげちゃだめだって言われて。ほんと、ごめんなさい」
「……『病みつきイモ』って、本当にあったんだ……」
謝る彼女に、僕が最初に返したのは、そんな言葉だった。
優香さんの話によると、彼女の郷里には昔からいわゆる『病みつきイモ』が成るらしい。食べ慣れるとそこまでの依存性はなくなるそうだが、初めて食べる人や子供にはてきめんで、その味が忘れられなくなったり、口寂しくていても立ってもいられなくなるらしい。
「そうなんだ。……でも、僕も味見したけど、そんな状態にはなってないんだけどなあ」
僕が言うと、彼女は小さく吐息をついた。
「稀に、食べ慣れてなくても、なんともない人がいるんです。……ああでも、それで気づかなくて、お店に出してしまったんですね」
言われて、僕も納得した。
つまり、自分が依存状態になっていれば、『病みつきイモ』をひとりじめしたくなるから、店に商品として並べなかったわけだ。
「平気な体質だったのが、災いしたってわけか……」
思わず苦笑する僕に、彼女は続ける。
「郷里では、あのイモでおかしくなった人への対処法として、水を掛けるんです。そしたら、さっきみたいに正気に戻るので」
「なるほど」
事情がわかって、僕は改めて納得したのだった。
結局その日の営業は、それで終了することにした。
店の床もびしょ濡れなので、かたずけないといけないし。
優香さんは、店を閉めたあとのかたずけを手伝ってくれて、残りのジャガイモは万が一のことがあるといけないからと、全部持って帰ってくれた。
その日以降、僕はなんとなくジャガイモを使う気になれなくて、店からはしばらくの間、ポテトチップスが消えたのだった。
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