人形の運命

夕凪かなた

人形の運命

 春の陽だまりが感じられるようになった季節、僕は札幌市黒曜高校に入学する。偏差値は70あって全国でもトップレベルの学力を誇る高校だ。でも僕はあまり乗り気ではなかった。

「はあ……学校嫌だな……」

 気分が乗らない。自分で選んだわけではない学校に行くのに、乗り気な方がどうかしている。そんなことを考えながら通学路である桜並木のトンネルをくぐろうとする。しかし、その途中に一人の少女が桜の木に手を添え、上を見ていた。

「わあ……」

 息をのんだ。その儚さと美しさに。肩まで伸びた綺麗なプラチナブロンドのハーフアップ。顔はまるでこの世のものとは思えないほどに整っていて、瞳なんてルビーのような輝きを放っていた。何気ない動作一つ一つに儚さと危うさがあった。

「っ! いけない早く行かないと!」

 その少女に見惚れている暇はなく、もう入学式まで10分切っていた。

「はあ……はあ、何とか間に合った」

 ぎりぎりで体育館に着くことができたため自分の席を見つけ座る。

「めんどくさい」

 心情を吐露しているといつの間にか入学式が始まっていた。


 入学式が終わった。当たり障りのない内容だったのでほとんど覚えていない。

「ここか」

 廊下を歩き、月当たりの階段を上ったところに僕のクラスがあった。入ってみるとそこにはクラスメイトが楽しそうに雑談していた。

「僕の席はっと、ここか」

 自分の席に座り、参考書を広げ勉強を始める。

「見ろよアイツ、入学式で勉強してるぜ」

「本当だ! 変わってるな~」

「……」

 大丈夫だ、周りの声は聞かなくてもいい。僕にはやらなくちゃいけないことだから。そう周りの声を聞こえないようにして勉強を再開させる。すると、今度はクラスが揺れた。ざわめきが広がる。流石に気になり原因を探すと一瞬でわかった。今日、桜並木で出会った女の子がいた。

「おい……あの子……やべえぞ」

「すご! ほんとに人間かよ」

 ざわめきの原因である彼女は何事もなかったかのように自分の席に座る。そして、案の定彼女の周りには人だかりができていた。

「あなたどこ出身? すごい可愛いね!」

「連絡先教えてよ!」

「名前、なんていうの?」

 質問の嵐が舞う。しかし、そんなものは関係ないと言わんばかりにニコっと笑い、一つ一つの質問に答えていく。

「人形みたいだな」

 それが僕の感想だった。ずっとにこやかにしている。しかし、そこには感情がなく貼り付けたような笑顔そんな印象を持った。

「お前ら席につけ」

 クラスが盛り上がっているところに先生が入ってきた。

「これからお前らの担任になる坂本修照(さかもとみちてる)だよろしく。早速自己紹介をしてもらう、じゃあ左端の一番前の席から」

 そして自己紹介が始まった。僕は左端の一番後ろだったので割と早くに順番が回ってきた。

「南雲日向(なぐもひなた)です

趣味は……特にありません。これからよろしくお願いします」

 線香花火のような拍手が聞こえる。流石に反応しにくかったのだろう。それからも自己紹介は続き、クラスの誰もが気になっているだろう一人の少女の番がやってきた。

「松本桃香(まつもとももか)です。趣味は学校です。これからよろしくお願いします」

 その瞬間大きな拍手が響いた。僕の時とは大違いだな。流石に少し傷ついた。


 それから何事もなく学校が終わった。クラスメイトはもうグループを作り、遊びに行く予定をたてていた。一方で僕は相も変わらず参考書を開き勉強をしている。すると、そこに松本さんがやってきた。

「なにをしているのですか?」

「見てわからないの? 勉強だよ」

「なんで、こんな時も……」

「……別に、家に帰っても勉強させられるだけだしここで勉強してるだけ」

 話さなくてもいいのになぜか口が動いていた。彼女の鈴を鳴らしたかのような声が心地よかったからだろうか。

「そうなんですね……では、私と友達になりませんか? そしたら私も勉強を一緒にさせてもらいます」

「なんでそうなるの?」

「一人で勉強するより、二人で勉強した方がよろしいかなと思いまして」

「好きにすれば」

 素っ気なく言い放っても松本さんは人形のような笑顔を崩さずに僕の真正面に座る。

「では、やりましょうか」

「……」

 そこから何時間経っただろうか。気付けば時間は午後5時を回っていた。

「じゃあ僕帰るよ」

「はい、また明日」

 その言葉を最後に僕はクラスを後にする。そこから帰路につきながら考える。なぜ松本さんが僕に関わってきたのか。

「駄目だ……いくら考えても答えが出てこない」

 考えていたらもう家についてしまった。

「……いやだな」

 でも帰んないといけない。意を決して僕はドアを開けた。

「……ただいま」

「おかえり! 入学式はどうだった? あ、お風呂入っちゃいなさい。お母さんはその間にご飯作っちゃうから」

「わかった」

 僕はお母さんの言うとおりにお風呂に入る。この時間がとても心地よく、僕が家で唯一心身ともに休める場所だ。

 それから30分ほどでお風呂から上がりお母さんが待つリビングへ行く。

「日向、ご飯できてるわよ!」

「うん、いただきます」

 そういってご飯に手を付ける。今日はハンバーグだった。押すと中から肉汁が出てきて、そこから香ばしい匂いが漂ってくる。一口食べると口いっぱいに肉のうまみが広がる。

「美味しいよ」

「そう? ありがとう」

 そこからも黙々と食べ勧めついに最後の一口になってしまった。

「ごちそうさまでした」

「お粗末様。じゃあ勉強しよっか!」

「……うん」

 返事をした後に2人で階段を上り、僕の部屋に行く。

「それじゃあ、今日は昨日の続きから。そうね……今日は疲れているだろうし5時間にしましょう!」

「……うん」

 そこからは地獄のような時間だった。何問も何問も解いていくだけの時間。間違えると耳が痛くなるほどの怒鳴り声が部屋に響く。

「うん、今日はここまでね……よく寝るのよ!」

 午前1時ようやく勉強が終わりベットに入る。そこで考える。僕の人生は一体何なんだろうか。考えれば考えるだけわからなくなる。


 次の日の放課後、今日も松本さんがやってきた。

「早速やりましょうか」

「……うん」

 僕は渋々それを受け入れ勉強を始める。すると松本さんが話しかけてきた。

「南雲君、なんかやりたいこととかありますか?」

「なんでいきなり」

「いえ、放課後もこうして勉強しているので」

「わからない」

 そう。その質問は自分でもわからない。何だったら教えてほしいくらいだ。

「松本さんはやりたいことないの?」

「私は、自分が選んだ彼氏が欲しいです。そのあとデートしたり、キスしたりしてみたいですね」

「そうなんだ」

 随分立派な夢を持っていると思った。僕にはわからないけど、普通の女の子はみんなこんな願いなのだろうか。

「では南雲君、明日までに考えておいてください。私からの宿題です」

「なにを?」

「やりたいことに決まっているではないですか」

 そこで今日は解散した。

「やりたいことか……」

 考えてみたけどやっぱり思いつかない。けどこれは僕が僕でいられるようになる大事な問いだと思った。

「何をしているの! このお馬鹿!」

 そんな叱責がとぶ。

「ごめんなさい」

「駄目ね、雑念がある……今日の勉強時間1時間追加ね」

「うん……わかった」


 次の日の放課後いつも通りに松本さんがやってきた。

「南雲君、考えてきましたか?」

「……うん」

「では、聞かせてください」

「僕は、僕でありたい。誰かのためじゃなくて僕自身のために生きてみたい」

 そういうと松本さんは小さく「やっぱり」と呟いて、次の瞬間にはいつもの人形のような笑顔ではなく、人間味が溢れて、どんなものよりも綺麗な笑顔を浮かべていた。

「では、早速行きましょう。南雲君が南雲君でいられる瞬間を探しに」

「行くって……どこに?」

「私もわかりません。けど、とにかくたくさん遊んでみればいいのではないでしょうか」

 そういって僕の手を引っ張りながら颯爽と学校を走り、靴を脱ぎ変え校門を出る。そこから10分ほどで繁華街にやってきた。

「すごい……初めて来た」

「私も……すごいですね、では早速あれを飲んでみましょう」

 指さしたのは『タピオカジュース』と看板に書いてあるお店だった。

「クラスの人たちが言っていたんですよね、美味しいと」

「そうなんだ」

 僕たちは早速店内に入りタピオカを注文する。すると、すぐに品がやってきた。僕はミルクティーで松本さんは抹茶ラテだ。一口飲んでみると衝撃が走った。ミルクティーももちろん美味しいのだが、中に入っている黒い豆が噛み応えがあって抜群に美味しかった。

「美味しいですねこれ」

「そうだね、ちょっとびっくりしてる」

「次はあそこに行ってみましょう」

 そうして指さしたのはゲームセンタ―だった。何気に初めて行くのでちょっと緊張している。その時……

「おい、見ろよあの子……」

「やばいな、俺行ってみようかな」

「やめとけ、相手にされないぞ」

 やっぱりどこに行っても松本さんは目を引くんだな。何だっけ? 確か、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。だったかな。まさに松本さんを表しているかのような言葉だ。そんなことを考えていると気づけば緊張の糸は解けていた。

「南雲君、あれをやりましょう」

「別にいいけど」

 次に指さしたのは恐らくレースゲームというやつだ。

「勝負しましょう、私と」

「いいよ」

 そして勝負が始まった。最初は僕が勝っていたけど後半になると松本さんが追い返してきてどんどん僕との距離が縮まり、気づいたら僕が負けていた。

「ふふ、私の勝ちですね」

「僕の負けだ」

 僕は今、僕で居られているだろうか? 松本さんとの時間はどれも新鮮で楽しい。けど、本当にやりたいことなのかと聞かれるとまだわからない。そう考えていると、その表情の陰りを見られたのか松本さんが心配そうに顔を覗かせる。

「大丈夫ですか? ……楽しくないですか?」

「いや、楽しいよ! ここまで楽しいのは初めてだから。でも……これがやりたいことなのかと聞かれると……わからない」

「そうですか……」

 少し重たい空気になってしまった。どうしようかと悩んでいると松本さんが「では」と前置きを置いて話した。

「親に反抗してみましょう。恐らくですが、南雲君は親に強制されて勉強をしていませんか?」

「……そうだけど」

「勉強したいですか?」

「強制されてまでしたくないよ」

「ではその想いを親にぶつけてみましょう。そうすれば南雲君は南雲君として生きていけるかもしれません」

 僕が、お母さんに反抗? 考えただけでも背筋がぞくりとする。

「無理だよ……僕にはできない……」

「大丈夫です。南雲君なら頑張れます」

「何を根拠に?」

「それは、親に強制されていたとはいえ15年間も勉強を続けてこれた精神力があるからです。大丈夫です、怖くなったら私を思い出してください。あなたの友達の顔を」

 なぜだろう、不思議と勇気が湧いてくる。彼女は僕に羽をくれたのかもしれない。そう思えるほどに今の僕は心も身体も軽くなった気がした。

「……わかった、やってみるよ」

「その意気です。では、今日はここで解散にしましょう」

「うん、ありがとう松本さん」

 そうして家に帰る。不思議とその足は軽やかだった。

「ただいま」

「おかえりなさい。お風呂入っちゃいなさい」

「うん、……その前にお母さん、話があるんだ」

「なに? 改まって」

 ……怖い。今まで親に反抗してこなかったのに。僕はどうなってしまうのだろう。

「やっぱりなんでもな——」

 その時、松本さんのことを思い出した。そうすると、恐怖が薄れていった気がした。

「お母さん、僕は勉強をやめたい。もちろん最低限の勉強はする、でもそれ以外の時間を僕が僕であると証明するための時間にしたいんだ」

「私、耳が腐ったのかしら」

「いや、正常だよ」

 そういうとお母さんが鬼の形相で詰め寄ってきた。

「何を考えているの! 私がどれだけ苦労してきたのかも知らないで! 今勉強しないとのちに後悔するわよ! 勉強していい大学に入って、大手の企業に就職して安定した生活をする。そのためにあなたに勉強させてるの! 将来がどうなってもいいの?」

「……そう思はない。けど僕は自分で選択したい。誰かに決められた道を歩いて後悔したくない! もう黙っているだけの人形は嫌だ‼」

 そこで沈黙が訪れる。自分の息遣いだけ聞こえてきてそのほかは全てとまっているんじゃないかと錯覚するくらいに。

「……あなたがそんなことを思っていたなんてね……好きにしなさい、そのかわり私はあなたの未来を保証しないわ」

「! ありがとうお母さん」

「はあ、早くお風呂に入ってきなさい」

「わかった!」

 元気に返事をしてお風呂へ向かう。スッキリした。話してよかった。そう思えた。これも全部松本さんのおかげだ。


 次の日の放課後、僕は自分から松本さんに話しかけた。もちろん昨日のことを報告するために。

「松本さん! 話があるんだけど」

「南雲君? ……私もお話があったんです。今日は一緒に帰りませんか?」

「? いいけど」

 そう返事をして帰り支度を済ませ一緒に学校を出る。そして、桜並木のトンネルに差し掛かった時、僕から話を切り出す。

「松本さん! ありがとう。松本さんのおかげで上手くいったよ」

「そうですか……よかったです」

 松本さんはなぜか悲しそうな顔をしている。

「松本さん? どうしたの?」

「……南雲君、私も話さなくてはいけないことがあります」

「なに?」

「私はもう南雲君とは話せません」

「え」

 その言葉を理解しようとした。けど、僕はその言葉を受け止めることはできなかった。

「なんで⁉ どういうこと?」

「昨日あなたと遊んでいるところを親に見られました。その後家に帰ると、もう南雲君とは遊ぶなと言われました……すみません」

「なんでそんなこと! 松本さんはそれでいいの?」

「いいわけないじゃない!」

「!」

 突然の怒号に僕は驚き一歩後ずさる。

「私だって南雲君とこれからも話したいし、遊びにも行きたい! けど、駄目なの私は……人形だから」

「どういうこと?」

「私は親の人形なの……親の言った学校に入らなければいけないし、親の決めた相手と付き合わなければいけない……ずっとそうやって生きてきた……だから、ごめんね日向君。そして、ありがとう。似ている環境なのに日向君は一歩踏み出して自分を手に入れた」

 違う、そうじゃない、今の僕があるのは松本さんのおかげだ。

「日向君が頑張ってくれたおかげで私も救われた気がしたよ。私にもそんな未来があったのかなって。だからこそこれ以上迷惑かけたくないの」

 松本さんは涙を流しながら消え入りそうな声を絞り出す。

「——好きだよ日向君。私と似た君が、それでも折れなかった君が好き」

「そんなのってないよ……僕も松本さんが好きだ! 僕を変えてくれた魔法使いのような松本さんが好きだ!」

「そっか。嬉しいなあ……幸せだな……でもごめんね」

「っ」

「それでは、今までありがとうございました。南雲君」

 震えた声で言って振り向き、走り去ってしまった。その姿は涙で顔がぐしゃぐしゃになって、大きく肩を震わせていた。その姿を見ても僕は何も言えなかったし、身体も動かなかった。

「くそっ! 僕は何も変われてないじゃないか! 親に反抗して変わった気でいただけだ! ……松本さん……」

 そんな僕の嘆きは桜とともに散っていった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人形の運命 夕凪かなた @yunagikanata0619

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る