第2話 目撃
「……また、あの女だ」
田所雅也は、ぬるい缶コーヒーを手に駅のモニターを見上げた。ニュース速報が繰り返し映し出されている。昨夜、桜ヶ丘駅で人身事故。死者は身元不明の若い女性。映像には、事故直前のホームが映り——一瞬、黒髪の女の後ろ姿が画面の端をよぎった。
(まさか……)
ぞわり、と背中を汗がつたう。だが、そこに確かな“記憶”がある。あの目。異様に見開かれた眼球と、感情を欠いた笑み。記憶に穴が開いていく感覚と、何かに引きずられるような既視感。
――彼女は、いた。
それも、ひと晩だけではなかった。
その日以降、彼女は“毎日”現れた。同じ電車、同じ時間、同じ場所。だが、奇妙なことがあった。
初日はベージュのコート、次の日は青いセーラー服。その次は真っ黒な喪服。服装も髪型も日々変化するのに、顔だけは絶対に同じだった。
目が合うたび、こちらを見つめてくる。まるで、「気づいたね」とでも言いたげに。
会社の同僚に相談してみると、返ってきたのは予想外の反応だった。
「え、田所くん……桜ヶ丘線って、もう廃止されてるでしょ? 2年前の大事故で、あの路線は封鎖されたはずだけど?」
耳鳴りがした。足元が不安定になる。ポケットのスマホには、確かに“桜ヶ丘行き”の切符が表示されている。駅の券売機でも買えた。毎日、同じように乗っている。
では、今まで乗っていた“あの電車”は、一体……?
夜、改めて乗る。誰にも言わず、ひとりきりで。
乗客は少なかった。終電間際の車両で、揺れる蛍光灯の光の中、前の方に彼女がいた。
今日の彼女は浴衣姿だった。赤い金魚柄に、真っ白な素足。そして――やはり、目を見開いて笑っていた。
雅也は気づく。ドアのガラス越しに映る彼女の姿が、“現実の姿”よりも一瞬だけ早く動いていることに。
まるで、ガラスの中の彼女が“先に起きること”を知っているかのように。
耐えきれずに席を立ち、別の車両へ向かう。しかし、車両と車両の間を越えた先にも——彼女が、いた。
あの目で、既にこちらを見つめていた。
その時、車内アナウンスが流れる。
「……次は終点、“ゆめのくに”です。お降りのお客様は……お忘れもののないよう……に……」
声が、途切れた。まるで誰かの息がマイクに直接かかっているような、生々しい息遣いが残った。
そして、車内放送の中に微かに混じる声。
「……まさや……まさや……」
彼女の声だった。
耳元でささやくようなその声に、田所の全身が凍りついた。
(……今のは……俺の名前……?)
思わず辺りを見回すが、誰もいない。乗客は顔を伏せて動かず、まるで蝋人形のようだった。
視界の端で蛍光灯がチカチカと瞬いた。
その瞬間、まるで視神経そのものが“ねじ曲がる”ような感覚に襲われる。列車の揺れが歪み、つり革がゆっくりと逆さに垂れ下がっていくように見えた。
景色が、ぐにゃりと溶ける。
(夢だ……これは夢だ、違う……!)
心の中でそう叫んでも、身体は動かない。ただ、自分の肩のあたりに誰かの“息”を感じていた。
ぬるく、長く、湿った吐息。
電車が減速し、再びアナウンスが流れる。
「……次は終点……冥(めい)駅……です……」
聞いたことのない名前に、脳が警鐘を鳴らす。
だが田所の目は、もうすでに、どこか“こちら側ではない”ものを映していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます