第3話 同乗者なし
視界が歪む中、田所雅也は座席の肘掛けにしがみついていた。
「……次は終点、冥(めい)駅……」
アナウンスの声は、生身の人間のものではなかった。スピーカーのノイズにまじって、濁った嗤い声のようなものが混じっていた。耳を覆いたくても、手が動かない。全身が、硬直していた。
車両は照明を落としたかのように暗くなり、窓の外は濃霧に包まれていた。隣にいたはずの乗客たちは、いつの間にかいなくなっていた。
いや、厳密にいえば“座っている”のだ。だが彼らの肌は灰色がかり、まるで彫像のように一切動かない。蛍光灯の明滅に合わせて、口元が微かに動いているようにも見えた。
「……まさや……」
再び、耳元で女の声がする。振り返る勇気はなかった。
足元に“何か”の気配が這うように忍び寄ってくる。冷たい風とともに、視界の隅に人影が立つ——
濡れた浴衣。垂れた黒髪。異様に見開かれた双眸。
そして、その“笑み”。
女は一言も発さず、ただ乗客たちの間を縫うように進み、雅也の前で足を止めた。視線は動かず、まっすぐに彼を見つめている。
「……なんだ、よ……おまえは……なんなんだよ……!」
雅也が震える声で叫んだ瞬間——
ドンッ
車体全体が揺れた。衝突のような重たい衝撃。
その直後、天井のスピーカーから流れたアナウンスは、明瞭で、低く、どこか哀しげだった。
「終点、冥駅——到着しました」
ドアが開いた。
そこは、駅ではなかった。
コンクリートの床は朽ち、線路は深い闇へと崩れ落ちていた。天井はなく、空のない空が広がっている。ただ、一面に立ちこめる霧の中に、無数の“人影”が静かに並んでいた。
そして、全員が雅也の方を見ていた。
目を、異様に見開いて。
彼女もその中にいた。だが、その姿は複数に“増えて”いた。制服姿の彼女、喪服姿の彼女、金魚柄の浴衣を着た彼女——どれも“目だけが同じ”だった。
「やっと……会えたね」
すべての彼女たちが、同じ口調でそう言った。
彼の足が一歩、勝手に前に出る。止まらない。引きずられるようにホームへと降りていく。
振り返った車内には、自分の姿が残っていた。席に座り、虚ろな目で外を見ている“自分”。
次の瞬間、列車のドアが閉まり——音もなく、誰もいないはずの地下を走り去っていった。
—
翌朝、地下鉄の管制室では異常が記録されていた。
廃線となった桜ヶ丘線に、明け方4時12分、検知不能の「車両反応」が確認されたのだ。現場に出向いた作業員が見つけたのは、誰もいないはずのホームに落ちていたスマートフォン一台。
画面には、録画された動画が残っていた。
そこには無人の車両内を、静かに歩く男性の姿が映っていた。顔は確認できない。ただ、ガラスに映った彼の背後に——
女が、いた。
異様に見開いた目で、こちらをじっと、見ていた。
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