「終電の隣にいる女」

ビビりちゃん

第1話 静寂の地下鉄

蛍光灯の白い光が、ひと気のない地下ホームに滲んでいた。終電間際の空気はいつも重たいが、今夜はそれ以上に息苦しかった。


田所雅也は、スーツの襟元をゆるめながらスマートフォンを確認した。時刻は午前0時17分。あと3分で電車が来るはずだ。空調は止まり、風ひとつ吹かない空間で、電光掲示板の点滅音だけがカチッ、カチッと時を刻んでいた。


その時だった。――音がした。ガタン、と遠くのトンネルから、何かが這うような重い音。耳を澄ますと、それはだんだん近づいてきた。だがホームの照明は何も映していない。


《気のせいだ》そう思って背を向けたその瞬間、目の端に“それ”が映った。


車両の一番端。黒髪の長い女が、うつむくようにして座っていた。いつの間に乗ってきたのか、全く気づかなかった。彼女は動かない。ただ、何かを待っているように見える。


(……最初からいたか?)


気になってチラと見ると、女の髪がわずかに揺れた。そして——“ゆっくりと”顔がこちらを向いた。


思わず息を呑んだ。女の顔の中で、目だけが異常に大きく見開かれていた。感情のないその双眸は、まるで網膜に焼きつくように、雅也を見つめ返していた。口元だけがわずかに上がり、笑っているようにも見えた。


ぞわ、と背筋に冷たいものが走る。


次の瞬間、電車の振動が止まり、アナウンスが鳴った。「次は終点、桜ヶ丘です」


顔をそらし、何とか平静を装ってドアの前に立つ。女をこれ以上見たくなかった。だが、窓ガラス越しに映った自分の肩の向こうに——


彼女が、いた。


(――!)


目が合った。それどころか、彼女の手がゆっくりとドアに近づいているのが見えた。


ドアが開き、雅也は我先にと降りた。背後を振り向く勇気はなかった。ただ一つ、確信していたのは——あの女は、この世界の“乗客”ではない。

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