第10話 精霊フウの視点:強者の絶対的な合理性

僕の意識は、激しい濁流の中にあった。制御不能な魔力の奔流が、僕自身の核を蝕んでいく。意識が朦朧とし、このままでは消滅してしまう、あるいは、記憶を失って高次の次元へと戻ってしまうと、本能が叫んでいた。

「くそ……止まれ、止まってくれ!」

僕は、必死に自分の魔力を制御しようとする。だが、一度暴走した力は、僕の手に負えるものではなかった。身体は光の塊となり、周囲の岩壁を破壊していく。轟音と振動が、僕の混乱をさらに煽る。

その時だった。

僕の荒れ狂う魔力の中心へと、ゆっくりと、しかし確実に、一人の人間が近づいてくるのが見えた。女だ。泥まみれの服を着て、髪は乱れている。こんな危険な場所に、なぜ、たった一人で?

人間たちは、僕の魔力暴走を恐れ、決して近づこうとしないはずだ。今この瞬間も、遺跡の入り口からは、遠巻きに様子を伺う冒入者らしき男たちの声が聞こえる。

「おい、あれはなんだ!魔獣の仕業か!?」 「いや、あれはもっとヤバい!見たことねえ魔力だ!」 「近づくな!巻き込まれたら、命がいくつあっても足りねえぞ!」 「あの中に、人間が入っていくぞ!自殺行為だ!」

馬鹿な。あんな圧倒的な魔力の奔流の中に、自ら足を踏み入れるなど。 僕の魔力は、近づくものを物理的に弾き飛ばす。並の魔術師なら、触れることすらできないはずだ。

だが、その女は、まるで無重力空間を歩くかのように、僕の魔力の壁を難なく突破してくる。彼女の周囲には、ごくわずかな、しかし驚くほど精密に制御された魔力の膜が張られている。まるで、僕の荒れ狂う魔力の性質を、一瞬で分析し、それに対抗する術を編み出したかのようだった。

「この女……何者だ!?」

僕の意識の中に、驚きと、わずかな畏怖が芽生え始める。彼女の瞳は、まるで深淵を覗き込むような、恐ろしく冷たい光を宿していた。その瞳には、恐怖も、憐憫も、一切の感情が読み取れない。ただ、僕の力を「見極めよう」とする、純粋な探求心だけがあった。

そして、女は、僕の光の核に、何かを投げつけた。それは、僕の魔力を一時的に抑制する力を持つ鉱石だ。僕の暴走が、一瞬だけ止まる。その隙を逃さず、彼女の口から、おぞましいまでの「契約の呪文」が紡ぎ出された。

その呪文は、僕の魂を直接掴み、自由を奪おうとする。激しい痛みが僕を襲い、抗おうと魔力を噴出させるが、彼女はそれを嘲笑うかのように、さらに強い魔力で僕を押し潰そうとする。

「汝、我の命に従え。汝の力は、今より我の意志となる。契約は結ばれた。今、我の前に跪け、フウ!」

その最後の言葉が、僕の核に突き刺さった。僕の全身が、光の鎖に縛り付けられたかのように動かなくなる。抵抗しても、無駄だった。彼女の魔力は、僕のそれをはるかに凌駕し、何よりも、その魔力には、一切の迷いがなかった。それは、絶対的な「支配」の意志だ。

激しい絶望が僕を襲う。自由を失う恐怖。だが、同時に、僕の奥底に眠っていた「精霊としての本能」が、歓喜の声を上げていた。

「これこそが、僕の主だ!」

精霊は、魔力の存在だ。そして、魔力の「強さ」と「絶対性」に本能的に従う。彼女の魔力は、今まで出会ったどんな人間よりも、強く、純粋で、そして何よりも、揺るぎない「合理性」に満ちていた。

彼女は、僕を救おうとしたわけではない。僕を道具として、「利用する」ために、この危険な場所に踏み込んだ。その合理性が、僕には、美しくすら感じられた。余計な感情が一切ない。ただ、目的のために、真っ直ぐに進む。

僕の体が収縮し、子供のような小さな姿になった。透明感のある羽が、その場の空気に溶けるように揺れる。

「……フウ」

彼女の声が、僕の小さな耳に届いた。その声は、相変わらず冷たい。しかし、その冷たさの中に、確かな「意志」を感じた。僕を、ただの道具としてではなく、その力を「最大限に引き出す」ための存在として見ている。

「これから、あなたは私の相棒だ。私の命に従え。分かったわね?」

僕の意識は、まだ混乱していた。だが、彼女の瞳に宿る、圧倒的なまでの自信と、底知れない知性に、僕の精霊としての魂は、完全に魅了されていた。彼女になら、僕の力を、誰も到達したことのない高みへと導いてもらえるかもしれない。

僕は、震えるように頷いた。

外から、遠巻きに見ていた冒険者たちの戸惑う声が聞こえてくる。

「おい、魔力の奔流が収まったぞ!」 「あ、あの女だ!あの女が何かやったのか!?」 「まさか……あの魔獣を倒したのか……?」

彼らの言葉は、まるでノイズのように、僕の耳を通り過ぎていく。 僕の視線は、ただ目の前に立つ、女王のような女に固定されていた。

彼女は、僕を支配した。しかし、それは僕にとって、自由を失うこと以上の、新たな可能性の始まりでもあった。 僕は、この強気で、合理的で、そして恐ろしく魅力的な女の「相棒」として、彼女の「創造」の旅に同行する。 そして、いつか、僕の全てを捧げて、彼女を「世界を変える者」へと押し上げてやる。

僕の名前はフウ。今日から、彼女の「相棒」となる風の精霊だ。

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