第3話 恋敵
翌日、咲はいつも通り出社した。だが、その顔には一切の表情がなかった。ロボットのように、ただひたすら仕事をこなす。周りの同僚たちは、咲の異変に気づいたようだったが、誰も彼女に声をかけることはなかった。
昼休み、恵が咲のデスクにやってきた。 「如月さん、お疲れ様です!私、今日のランチ、〇〇(啓が好きだと言っていたカフェ)に行こうと思うんですけど、どうですか?」
恵は、いつものように屈託のない笑顔を浮かべている。その顔を見た瞬間、咲の心に、これまで経験したことのないほどの怒りが沸き上がった。
「森下さん」 咲の声は、氷のように冷たかった。 「あなた、昨夜は何をしていましたか?」
恵の顔から、笑顔が消える。 「え……?昨夜、ですか?」
「とぼけないで。あなたの隣にいたのが誰か、私には分かっています。まさか、社内でそんな愚かな真似をするとは思いませんでした」
恵の顔が、みるみるうちに青ざめていく。 「な、何の事か……私は……」 「とぼけるのはやめなさい。私の目はごまかせません。篠崎啓と、フレンチレストランにいたでしょう?」
恵は、言葉を失った。そして、数秒後、彼女は急に態度を変え、開き直ったように見下すような目で咲を見た。
「何よ、見たの?だったら、もう話は早いわね」 恵の声には、もはや猫を被った可愛らしさはなかった。露骨な嘲笑が混じっていた。 「ええ、啓さんと一緒にいましたよ。どうせ、あなたには分からないでしょうけど、私たち、もう随分前からですよ」
咲の目の奥が、冷たい炎を宿す。 「随分前から、だと?」 「そうよ。あなたみたいに仕事しか能がない女と違って、私はちゃんと啓さんの隣にいてあげられたから。あなたはいつも忙しい、疲れてる、仕事が第一。男がそんな女といて、楽しいと思う?」
恵の言葉が、咲の心に突き刺さる。それは、咲が必死で築き上げてきた「完璧な自分」を、真っ向から否定するものだった。
「啓さんはね、いつも言ってたわ。『咲はすごいけど、まるでロボットみたいだ』って。もっと甘えてほしいって言ってたのに、あなたはいつも書類とにらめっこ。そりゃ、私の方に来るに決まってるじゃない」 恵は、勝ち誇ったように笑った。 「しかも、あなた、気づいてなかったんでしょ?可哀想に。まあ、当然よね。仕事しか見えてないんだから」
咲のプライドは、粉々に砕け散った。 自分が信じていた「愛されている」という幻想。 自分の全てを捧げてきた「仕事」が、裏切りと嘲笑の原因だったという事実。 そして、何よりも、自分の弱さ、人間らしさを隠してきたことが、この結果を招いたという、残酷な現実。
「仕事しか能がない……ロボット……」
その言葉が、咲の脳内を無限に反響する。 「甘えてほしい……?そんなこと、一言も言ってなかったじゃない……!」
喉の奥から、怒りと絶望と、そしてとてつもない虚しさが込み上げる。 だが、咲はそれを表情に出さなかった。 冷徹な瞳で、恵を睨みつける。
「そう。分かったわ。ご丁寧に教えてくれて、どうも」 咲の声は、感情を完全に排除した、機械的な声だった。 「あなたと篠崎啓がどうなろうと、私には関係ない。もう二度と、私の前に現れないで。あなたの顔を見ると、吐き気がするわ」
恵は、咲のただならぬ雰囲気に気圧され、たじろいだ。 「な、何よ……そこまで言わなくても……」
「これ以上、私の貴重な時間を無駄にしないで。この席から消えなさい。二度と、私に関わらないで」
咲の目には、冷たい憎悪だけが宿っていた。恵は、それ以上何も言えず、慌ててその場を立ち去った。
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