誰も息ができないキス

esquina

誰も息ができないキス——全方向窒息型接吻の記録

「欧米風のキス、練習していい?」

そう言ったのは、付き合って三日目の彼女だった。


脳内補正がかかり、彼女がアンジェリーナ・ジョリーに見えた。

僕はついOKしてしまった。唇が語りかけてきたんだ──「覚悟できてる?」って。


それ以来、彼女は、ふとした拍子にキスを仕掛けてくる。

たとえば、信号待ちの横断歩道──止めてほしいのは信号じゃなくて、彼女のキスだ。

たとえば、ラーメン屋で椅子を引いてあげた時──そんな場所でキスしてる欧米人、見たことない。

たとえば、名前を呼ばれて、僕が振り向いた瞬間──危うく出っ歯をぶつけるところだった。


そして、それはいつも……長い。


しかも、四方八方ふさがれるのだ。

唇はもちろん、視線も、両手も、思考回路すらも。

なぜか鼻までもが圧迫され、肺が「お手上げです」と白旗をあげた瞬間、彼女は満足そうに唇を離す。


「……ぷはっ!」

毎度その場に倒れ込む僕を見て、彼女はにっこり言う。


「ね、全方向から欧米風に愛してる感じ、した?」


僕は答えない。

答えられないし──全方向から欧米風って、なんだ?

っていうか、一体、彼女はいつ息継ぎをしているんだ?

たぶん…僕の彼女は、謎多きアブナイ小悪魔だ。


***


先日、彼女がテレビで「人工呼吸の講習」を見ていた。

僕は戦慄した。

そしてテレビの中の人がこう言った時、僕は思わずボリュームを上げた。


「救急時は、まず呼吸の確認をしましょう」


……お願いです。

欧米風キスの後は、人工呼吸じゃなくて、まず生存確認をしてください。


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