第13話

 椿と宗介が並んで書店に戻っていると、宗介が口を開いた。


「あ~~やっぱり椿は只者じゃなかったな……」


 宗介はそれを聞くと椿の正面に立って必死に椿に頼んだ。


「なぁ、椿。俺のところに来てくれ! 頼む!!」


 椿ははっきりと答えた。


「それは出来ません」

「なぜ?」


 椿は困ったように口を開いた。


「今の雇い主の方と雇用契約を交わしています。それを遂行するまで、辞めることはできません」


 宗介は椿をしげしげと見て溜息をついた後に破顔した。


「ああ~~~腕が立ち、真面目で、義理難い……最高だ、椿!!」


 そして宗介は急に頭をゴシゴシと掻き出した。


「あ~もう仕方ねぇ。今結んでいる雇用契約が切れたら、俺のところに来い。ああ、いじめられたらすぐに辞めて俺のところに来い」


 成孝は仕事に集中するために椿を盾にするつもりなんだろう。成孝の婚姻が決まった時が契約の切れる時だ。だが、契約が切れたら椿の嫁ぎ先も見つけてくれると言っていた。


(結婚しても仕事を続けてもいいなんて言う方はいないわよね……)


「お約束はできませんが……お誘いありがとうございます」


 椿が頭を下げると、宗介が何気なく言った。


「そういえば、椿はどこで働いてんだ?」


 確か契約書には、契約内容は言ってはいけないと書かれていたが、どこで働いているかについての決まりはなかった。それにアキノも知っているし問題ないだろうと判断した。


「東稔院様のお屋敷です」


 すると、宗介が青い顔をして立ち止まった。


「なんだって……?」


 椿は宗介の顔を覗き込んだ。


「ご存知なのですか?」

「ああ……まぁな……」


 宗介はなにかを考え込んでしまった。椿はふと、帝都の街並みに目を向けた。椿の住んでいたところとは全く違った。だが空を見ると、青く輝いていた。


(どこでも空は変わらないのね……さぁ、そろそろお使いを済ませなきゃ……)


 そろそろ買い物を済ませて屋敷に戻ろうと思っていた椿に、宗介がようやく口を開いて声を出した。


「なぁ、椿。お前の雇い主に『お前が西条宗介を助けた』と伝えてくれるか? そして『必ず礼をする』ともな」

「はい……」


 宗介は椿を見ると、柔らかく笑いながら言った。


「またな。椿」

「はい。また……どうぞお気をつけ下さい」

「ああ、ありがとな」


 宗介は去って行った。

 椿は宗介の背中を見ながら眉を寄せた。


――西条宗介。


(確か『西条』は、政宗様がおっしゃった間者と間違われた時に出たお名前ね)


 椿は歩きながら考えた。


(あの様子……無関係じゃないわよね……)


 椿が 『東稔院』の名を出した時、宗介は明らかに動揺していた。


(成孝様にお伝えした方がよさそうね……)


 そう結論付けて椿は、買い物を済ませて屋敷へと急いだのだった。








 買い物を終えて椿が荷物を抱えて、成孝の部屋に向かっていると2階に上がってすぐに見知らぬ男性から呼び止められた。


「君、今いいかな?」

「はい?」


 椿は声のする方を振り向いた。すると高級な洋服を身にまとい、まるで姿絵から飛び出してきたような美男子が椿のことを見て笑っていたが、目は全く笑っていなかった。


(どなたかしら? この家に堂々といらっしゃるということは、この家の方か、お客様ね)


 椿が考えていると、男性は椿の持っていた荷物を廊下に置くと、椿を壁に押し付けた。


(朝も政宗様に壁に押し付けられたわ……きっとこの方も私を間者だと思っているのね。投げ飛ばさないようにしないと……)


 椿が手がでないように自制しながら男性をみると、男性は目の奥に怯えを含んだ瞳で見つめてきた。


「私は秀雄という。成孝の弟だ……」


(この方が秀雄様……てっきり間者だと疑われていたのかと思ったけれど、自己紹介だったのね)


「はじめまして、椿です」


 椿は真っすぐに秀雄の顔を見つめた。秀雄は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を作った。相変わらず目は笑っていなかった。

 しばらく無言で見つめ合い、椿は首を傾けた。


「あの……まだ何か御用でしょうか?」


 すると秀雄は椿から離れると、驚きながら言った。


「なぜこれほど私が見つめても変らないのだ?」


 秀雄の問いかけに今度は椿が困惑する番だった。


(変らない? どういうことかしら? 帝都では何か作法があるのかしら?)


 椿は、心底申し訳なさそうに尋ねた。


「大変申し訳ございません。私は帝都の言葉は覚えたのですが……帝都の男女の作法などは全くわかりません。こういう場合、どう変るべきなのか教えていただけないでしょうか?」


 椿の言葉に、秀雄はまたしても目を見開いて驚いた。

 そして今度は大きな声で笑った。


「あははは、作法? そんな反応をされると、私の方が恥ずかしくなるな」


 そして秀雄は今度は目まで笑いながら椿を見た。


「私がこうすると大抵の女性は私に惚れる」


(近づくだけで女性が惚れる……)


 椿はそれを聞いて、ヤエの言葉を思い出した。

 ――ここに来る子はみんなこの東稔院家の方々に恋をしてしまうの。

 椿は、秀雄の発言にどのように返事をするべきなのかを考えていると、秀雄がニヤリと笑いながら言った。


「へぇ~~自意識過剰とか、自惚れとか言わないのか?」


 椿は真っすぐに秀雄を見ながら言った。


「経験則からのお言葉であるなら、私が否定するのも筋違いです。ですが、皆が惚れるということは私もという状態に陥ったのか……判断が難しく……私は現在どういう状況なのか考えておりました」


 椿の言葉を聞いた秀雄は今度は大きな声を上げて笑った。


「あはは、悪い、悪い。そんな冷静に思考されたら逆に申し訳ない。撤回する。ではなく、に言い換える。椿は絶対に俺に惚れてはいないな」


 そして秀雄は椿に向かって片手を差し出した。


「成孝は随分と面白い女性を見つけたようだ。これなら安心だな。今後一緒に仕事をすることになる、よろしくな、殿


 椿はハリソンと成孝の手を握った仕草を思い出して、手を差し出した。


「こちらこそよろしくお願いします」


 椿が笑うと、秀雄が椿の荷物を持ってくれた。


「成孝の部屋に行くのだろう? 私も行こう」

「はい。ですが荷物は、私が持ちます」

「いい、気にするな。西洋には『レディファスト』という言葉がある。それだ」

「『れでぃふぁ』?? 申し訳ございません、どういう意味ですか?」

「女性を先に行かせるというような意味だ。荷物を持っていては歩みが遅くなるだろう?」

「なるほど、私が先陣を切るわけですね! お任せ下さい」

「先陣……? なんだか違う気がするな……だが……そうなのか??」


 椿は先に歩き、『ここ段差があります』と、秀雄の荷物を持っていない方の手を取って支えたり、率先して扉を開け閉めしたりした。

 秀雄は「あれ……何か違う気がする……俺が優遇されていないか?」と言ったが、女性が先陣を切ると理解してしまった椿には何が違うのかよくわからなかったのだった。

 






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