第12話


「では契約成立だな」


 成孝は契約書を引く出しに入れると、椿に小さな紙と銀座の地図を差し出した。


「私は午前中に銀座にある社に行く。その間に椿はそこに書いてあるものを私とは別行動で購入してきてくれ」

「はい」


 成孝は紙と財布を椿に渡した。


「ところで、椿は地図は読めるのか?」

「はい。また大日本沿海輿地全図のような正確な地図は作れせんが、簡易的な切絵図でしたら作れます」

「そうか……地図も作れるのか……」


 椿は隠密としての仕事は請け負ったことはないが、地図の読み方だけではなく、地図の書き方など基本的なことは一通り学んでいた。しかも成孝に貰った紙と地図には店の名前を書いてあるので問題ないだろう。


「9時には出掛ける。準備をしろ」

「はい」










 それから椿は成孝と一緒に銀座に来た。


「成孝様、行って参ります。買い物が済んだら先に屋敷に戻っています」

「ああ。荷物が多くなるようなら馬車を使え」

「かしこまりました」


 椿は成孝と別れると地図を見ながら書店へと向かった。書店に入った椿は言葉を失った。


(本がたくさんある!! こんなにたくさんの本、見たことがないわ……)


 椿はつい本に目を奪われてしまった。

 

(いけない!! 早く成孝様にお願いされた本を探さなきゃ!!)


 椿は紙を見て、今日発売の経済雑誌を手に取った。それから書棚に目を移した。


(あそこにある本ね……届くかしら? あと少し……)


 椿が必死に手を伸ばして高い棚に手を伸ばした。すると横から大きな手が伸びてきた。


「これかい?」


(この人……気配を感じなかった……)


 隣を見ると男性が本を差し出してくれていた。どうやら男性は椿の欲しかった本を取ってくれたようだった。

 椿は困惑していることなど顔に出さずにお礼を言った。


「ありがとうございます」


「まさか!! その声……おまえ、椿か?」


 椿は条件反射で名前を呼ばれて、じっと男性を見つめて声を上げた。よく見るとどこかで見たことがある。そしてすぐに思い出した。


「ああ、汽車の……あの時は窓を閉めて下さってありがとうございました」


 椿が礼をすると、男性が大きな声を上げた。


「椿、俺はあれから、電話交換局に君に会いに行ったんだぞ?」

「え?」

「そしたら、すでに他の働き口に移動したっていうじゃねぇか!! さすがの俺も名前だけじゃ~見つけられなくてな。会えてよかった。こりゃ。運命ってヤツだな」

「運命? あの、あなたのお名前をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」


 男性は「ああ、まだ名乗ってなかったかい?」と言った後に笑った。


「俺は宗介っていう。よろしくな」

「宗介さん、よろしくお願いします」


 椿が宗介にあいさつをした瞬間。背中に突き刺さる鋭い視線を感じた。


(殺気?)


 椿は注意深く周りを見渡した。


(あの人ね……)


 殺気を放っている相手の視線の先を見ると、宗介に向けられていた。


「どうした?」


 椿の様子に男性が怪訝な顔をした。椿は声をひそめて言った。


「丑寅の方向に2人。辰巳の方向に1人。知り合いですか?」


 椿の答えを聞いて宗介が視線をチラリと向け溜息をついた。


「あいつら……こんな街中で……椿、悪い。俺は行く」


 椿は宗介の袂を掴みながら言った。


「私も行きます。女の私がいると相手も油断します」


 そして椿は手に持っていた本を本棚に置くと、宗介の手を引いた。


「合図と共に、外に出ましょう」


 椿の言葉に宗介が慌てた様子で言った。


「いや、椿、あいつらは女だからって容赦するような生半可な奴らじゃねぇ。俺は捨てておけ」


 椿は、宗介を見ながら言った。


「汽車のお礼です。必ずあなたを逃がします」


 宗介は慌てながら言った。


「椿、相手は刃物を持ってるんだぞ?」


 椿は頷いて「問題ありません」と言った。そして宗介を見ながら言った。


「行きましょう!!」

「くっ!! どうなっても知らないからな!?」


 そして椿と宗介は書店を飛び出した。案の定、三人の男性は椿たちを追ってきた。


「どうするつもりだ?」


 走りながら声を上げる宗介に椿は短く答えた。


「人気のない場所に誘いこみます」


 そして椿はあえて人の気配がない裏路地で止まった。

 椿たちを追って来た男たちは息を切らしながら言った。


「はははは。まさかこんなところに逃げ込んでくれるなんてな」

「袋の鼠とはこのことだな」


 本屋の前にいた男たちは3人だったが、途中から追手は5人に増えていた。どうやら他にも2人潜んでいたようだ。

 椿は宗介に向かって言った。


「私が相手致します。絶対に動かないで下さい」

「何……言ってんだ?」


 宗介はぎょっとしたが、椿は足元から短い棒を取り出すと、素早くその棒をくっつけて長い棒にした。


「仕込み杖か……」


 宗介が目を丸くした。

 そして皆が椿の仕込み杖を見るか、見ないかという間に椿は追手の後ろにいた。


「え?」


 椿の回りに風が吹き、地面の砂を巻き上げた。

 そして相手の男たちが武器を手にする前に、椿が仕込み杖を使って高速で3人それぞれの急所に一撃を与え、すでに三人が地面の上に倒れていた。

 一人の男が胸元に手を入れた瞬間、椿は、その男を足払いして男は地面に倒れ、その倒れる瞬間に胸元の拳銃を抜き取り、「この~~」と最後の一人が木刀を振り上げた時には椿は、すでに仕込み杖を片付け、一番初めに地面に倒した男の胸元に手を入れていた。そして手刀で、最後まで立っていた男が倒した。

 その間、ほんの数秒……

 宗介は瞬きさえも忘れて椿に魅せられていた。


「何が……起こったのだ……?」


 宗介が呟くと、椿は宗介に拳銃を2丁見せた。


「これで相手が誰なのか特定できるかもしれませんが……私はこちらに知り合いがいないので探ることは難しいかと……宗介さんは誰かいらっしゃいますか?」


 椿は冷静な声で言った。

 その美しい姿に宗介は鳥肌がたった。椿の姿に見とれて、中々返事が出来なかった。


「宗介さん?」


 椿が尋ねると、宗介が慌てて答えた。


「あ、悪い……椿……お前……強いな……」


 椿は小さく笑った。


「ありがとうございます。戻りましょうか。お互い、買い物の途中ですよね?」

「あ、ああ。そうだな」


 2人は本屋に戻るために今来た道を歩き始めたのだった。






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