第13話 君の色
俺が燈和と出会ったのは、今から約十年前。つまり俺たちがまだ小学一年生の頃だ。
俺はいつものように幼馴染の力己と二人で遊ぶ約束をしていたんだけど、なんかの用事があるとかなんとかで断られちゃったんだっけか。
その頃から家に居るのが好きじゃなかったから、たまたま近くにあった児童館に足を運んだ。
今思えば、人の縁とはなんとも不思議なものだ。
その時の命題は『モブAさんの出会い』でしか無いのに、振り返ると途端に『運命の出会い』へとすり替わる。
燈和との出会いがまさにそうだったように。
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「はぁ....家でやるよりはマシか」
俺は携帯用ゲーム機を片手に、児童館の前で呟く。
家から逃げるようにしてやってきたこの児童館だが、前に力己と一回来たっきりで一人で利用するのは初めてだった。
緊張しながら館内へ入ると、中に居た職員がゲームのしやすい机がある場所へ優しく案内してくれた。
周りには友達と通信プレイでゲームを楽しむ中、高学年が大勢居た。見渡せば同じクラスの子も数名居たが、自分から声をかけることはしない。
俺は一人、誕生日に兄から貰ったカセットを差し込んでゲームの画面と睨めっこするのだった。
そこから数分が経過した時だった。
「ねぇ
「うぇッ⁉︎」
氷戈は素っ頓狂な声を上げ、後ろを振り向いた。
するとそこには自分と同じくらいの年齢の女の子が立っていた。
茶色い長い髪を真っ直ぐ下ろした彼女の整った顔を確認するが、どうにも見覚えは無い。
誰かに声をかけられると思ってもみなかった俺は、恐る恐る聞いてみるのだった。
「え、ええっと....何か用ですか?」
「え?何やってるのかなーって、一人で」
「ゲーム、だけど...」
「それは見れば分かるよ!何で一人なの?」
「えぇ....」
-めちゃくちゃ『一人』言ってくるよこの子。もしかして
「ご、ごめんなさい。帰りますね....」
そうして氷戈は椅子から立ち上がる。
ガシッ‼︎
「ウヒャアッ⁉︎」
氷戈は突然腕を掴まれたので、本日二度目の奇声を発してしまった。びっくりしたのもあったが、そのとんでもない怪力により奇声のグレードは跳ね上がったのだった。
これに対し女の子は掴んでいた手を慌てて離し
「ご、ごめんね!そう言うつもりじゃなくって....」
-『そう言う』がどれを指すのか分からないよ!『一人』連呼罪?奇声上げさせ罪?腕へし折り未遂?-
疑問と不満が募る一方だったが、彼女の顔を見るとそんなもの何処かへ吹き飛んだ。
寂しそうな、困っているような、それでいて焦っているような、そんな顔。
どこかで見たような表情をする彼女を放ってはおけなくなってしまった。
「えーと....何かあるの?」
「・・・え?う、うん。実はね....」
話によるとこの子は先週この付近に引っ越してきたばかりで友達が誰一人居ない状況だという。親は既に仕事で忙しく、日中は児童館で過ごすように言われたのだが、周りは皆友達と遊んでいるため孤立していた。そんな中、一人でポツンとゲームをしている同年代の氷戈が目に入り、思い切って声をかけてみたというのが経緯らしい。
「だから...その....一緒に遊ぼう?」
彼女は片手でその長い髪を触りながら、そう言った。
俺には力己以外に友達という友達は居らず、その言葉に戸惑いはしたが、自分と似たような境遇にあるこの子を無視はできなかった。
幼い子どもにとって孤独とは、それ以上の苦痛を伴う。俺はそのことを知っていた。
「・・・うん、いいよ。何しようか?・・・あ、おままごとは分かんないよ」
「あはは!それは私も分かんないや!・・・外で遊ぼうよ‼︎」
彼女は緊張がほぐれたのか、おままごと発言が面白かったのか分からないが、満面の笑みを浮かべて言った。
氷戈はどうにもこの笑顔が印象に残った。
力己以外の誰かが見せる、屈託の無い笑顔。
今思えば俺は、その性格にそぐわず人を笑顔にするのが好きだったのかもしれない。
「え、外で?・・・何するの?」
「えーとね、んーとね....そうだ、ボール遊びしよ!」
氷戈はこの時から既にゲームに入り浸っていたが、だからといって体を動かすのが苦手でも嫌いな訳でもなかった。なんならスポーツ好きな力己によくしごかれているおかげで、同級生の中でもドッジボールでは強い部類に入る。
氷戈はゲーム機を置き、頷いた。
「いいよ。結構得意だしね、ボール投げるの」
「やったぁ‼︎」
こうして二人は児童館からボールを借りて、館庭へと出た。
ちょっとした公園のようなその場所では端にある砂場と鉄棒で数名ずつ遊んでいるだけであり、中央のひらけた平地は使い放題だった。
女の子はボールを掲げて言った。
「よーし、行くよー?」
「うん、いいyボbェェェッ⁉︎」
氷戈の「いいよ!」の合図を待たずして放たれたボールは顔面へと一直線だった。
油断していたのもあるが、尋常では無い速度だ。威力だけ見れば学年一である力己以上かもしれない。
氷戈は顔を押さえ
「いちちち....」
「ごっ、ごめんね⁉︎」
慌てて駆け寄ってくる彼女を片手を挙げて制止させる。
「いや」
「え?」
「だ、大丈夫大丈夫。結構、痛いのには強いんだ。・・・よく顔面にぶつけられるし」
氷戈は半ば涙目で、片手で顔をさすりながらも転がっているボールのところまで行き、拾い上げる。
それでも女の子は泣きそうな顔でこちらを見つめる。
「で、でも....酷いことしちゃって」
「いやホントに大丈夫だから!....ほら、行くよ?」
自分の痛みより他人に心配をかける方がずっと嫌だった氷戈はすぐにボールを投げてみせた。すると彼女は少し手間取りながらも見事にキャッチした。
どうやら運動神経は良さそうだ。
「君、結構上手いねボール遊び」
「そ、そうかな?へへへ」
どうやら彼女も乗り気になってくれたみたいで、二人は児童館が閉館するまでボールを投げ合って遊んでいた。
夕方の五時、児童館を訪れていた子ども達は次々に帰っていった。
俺も帰路へ就こうと、児童館の門の前で彼女にお別れを言おうとした時だった。
「じゃあね!ええっと...そうだ。名前、聞いてなかったや」
「・・・」
今まであんなに楽しそうに遊んでいた彼女が急に暗い表情を見せるので、氷戈は身構えて聞いた。
「どう、したの?」
-まさかここに来て『お前と遊ぶの全然楽しくなった』とか!?それとも名前教えたくないとか?・・・だとしてもそんな深刻そうな表情するかねどんだけつまらなかったのさ俺と遊ぶの-
勝手に自己嫌悪に浸っている俺へ、彼女は絞り出したような細い声で言った。
「あの...ね?」
「・・・は、はい。なんでしょう...?」
「もし...良かったらなんだけど、今から私のお家で遊ばない...?」
「・・・え?」
彼女の思いがけない提案に腑抜けた声を上げた俺は聞く。
「ど、どうして?」
「ダメだったら別にいいんだ...。ただ、もっと遊びたくて....」
「・・・?」
幼いながらに何かを感じ取った俺は首を縦に振った。
「うん、いいよ」
「えっ!!?」
彼女は目を丸くして言った。
「本当にいいの?パパとかママに怒られないの...?」
「・・・」
お母さんを失って半年が経とうとしていたその頃、父は家を空けることが多くなった。兄も部屋に引きこもって出てこない日々が続き、無連家の居心地はとても良いものとは言えなかった。
自分の帰りが遅くたって心配する人も、怒る人も居ない。そう思った俺は彼女のお願いを聞くことにしたのだった。
「俺は大丈夫。・・・だけどさ、君の親は怒らないの?」
「うん....怒らないよ。だって、お家にいないもの...」
「え」
後から知った話だが、この時点で燈和の両親は離婚していたのだという。そうして親権を勝ち取った父親とここへ引っ越してきたのだが、医者である燈和の父親は滅多に家に帰って来ず、新しい環境に頼れる人も居ないこの状況が心細かったのだ。
当時の俺はそんなこと知らなかったし、仮に説明されてもあまり理解できなかっただろう。
だが目の前にいる女の子がとても寂しい思いをしているのだと言う事はよく分かった。自分自身が毎日、嫌気がさすほど感じている感情がまさにそれであったから。
「そっか、じゃあ遊び放題だ」
俺は自身と彼女の境遇を勝手に重ね合わせることで妙に安心感を得ていた。
そんな事とは露知らず、女の子はパッと表情を明るくさせて言った。
「っ!?うん!!それじゃあ行こう!!・・・えっと、そう言えばあなた名前は?」
「ひょうかだよ、
「ひょうか....じゃあヒョウくんだね!!」
「え?・・・うん、友達からもそう呼ばれてる」
「そうなんだ!!ヒョウくん、友達いるんだね。今度紹介して欲しいな!!」
「う、うん....いいよ。あいつとはすぐに仲良くなれるよ、きっと」
-「友達いるんだね」って言うのはつまり、そう言うこと....?-
変に傷付いた氷戈であったが、気を取り直して彼女の横に付く。
二人で彼女の帰路を歩き出した俺は思い出したように聞いた。
「そう言えば、君の名前は?」
「ん〜とね、当ててみて!!」
「え、ええ...」
「ヒントはね...そうだ!!ヒョウくんとすっごく似てるかも!」
「え、俺と...?うーん...」
少し悩んだ俺は、その日持ってきていたゲームに出てくるヒロインの名前をふと思い出した。
「・・・あっ!!分かったかも」
「え、ほんとに?」
俺は頷いて言った。
「うん。君の名前はね__」
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これが俺と燈和が初めて出会った時の思い出だ。
その後、同じ学校の同じクラスに転入することとなった燈和とは自然に仲良くなっていった。当然、俺といつも一緒に居た力己ともすぐに打ち解けた。この燈和のおかげで後に
何の変哲もない、ただの出会い。けれどもこんなに鮮明に覚えているのは、そこで出会ったのが燈和だからだろうか?俺にとって燈和は何なのだろうか?
いや、どうなっていったんだろうか?
記憶を辿るとはそういうことだ。
今そうであるものが、どのような過程でそうなっていったのか。
_そういえば。
俺が燈和を真に理解できたと感じた出来事がある。
あれは中学二年生の頃だったか....
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まだ六月だというのに雨は降らず、代わりに日が照りつける毎日。
四季が四季の役割を果たさなくなったのは今に始まった事ではないらしいが、それにしても酷い暑さだ。未だ『四季は日本の文化だ』などと宣う人間にこれはいったいどういうことなのか問いただしてやりたいくらいだ。
イライラしながら通学路を歩く俺の隣には、涼しい顔をした燈和の姿があった。
家が近いこともあり、燈和の朝練が無い月曜日にはこうして二人で登校することが多かった。
「あー。あちー」
「アンタ、それしか喋れないワケ?つまんないの。・・・これなら歩数数えながら登校した方が楽しいわね」
「いやそれ前にやったことあるけどマジで面白く無いから辞めておいた方が良いよ」
「なんで先陣を切られてるのよ私は....因みに?」
「1214歩」
「キモ...」
「自分で聞いといて⁉︎」
燈和と二人で居るときはずっとこんな感じの会話をしていた。思い返せばくだらないが、当時はそれがとても心地良かった。最大限気の許せる友が居るという実感を、ひしひしと感じさせてくれたから。燈和が俺の幼馴染なんだという再認識が出来たから。
そうして学校へ着くと、俺たちは例に漏れず下駄箱へと足を運ぶ。
「そういえば燈和、今日部活あるんだっけ?.....って、何してんの?」
見ると燈和は下駄箱から自分の上履きを取り出すでもなく、ただ辺りをキョロキョロ見渡していたのだ。
呼びかけにも反応がなかったので、近くに寄ってもう一度声をかけた。
「おーい。何してんのって」
「ん?えっと....」
「・・・って、あれ。上履きどしたの?無いじゃん」
彼女の下駄箱を見ると、確かに上履きが無かった。
燈和はこちらへ向き直り言った。
「あー、そういえば‼︎昨日部活終わりに持って帰ったんだった。・・・アンタのドジがうつったみたい」
「最後の一言、居る?」
「まぁそういう訳だからアンタは先教室行ってて。私、家から取ってくるから」
「今日は1214歩を三セットですか...。ダイエット、お疲れ様です!」
「うっさいわね余計なお世話よ‼︎それに1214歩はアンタの家から学校までの歩数でしょうが⁉︎」
「あ、そっち?てっきり『三セットだと家に帰ったままになるじゃない‼︎』かと」
「・・・あー、確かにそうね?・・・ッじゃなくって!さっさと行ってなさいバカ!」
「へいへーい」
俺は言う通りに、自身の教室へと向かった。
その後、燈和が登校したのは一限が始まって数十分が過ぎてからだった。
この日を境に燈和は目に見えて忘れ物が多くなった。それはシャーペンや消しゴムといった細かいものから、教科書や体操服など授業進行に差し支えの出る大きなものと多岐へわたった。
今まで忘れ物をした姿など見ることが出来なかった彼女からは、とても想像が出来ない事態に俺は違和感を覚えた。
今思うと、これは俺の押し付けだったのかもしれない。
変わり者揃いの幼馴染五人組を捌いていたのはいつも燈和だった。几帳面でしっかり者、それでいて思いやりもある取りまとめ役。当然、忘れ物とは無縁の存在。
アニメや漫画、ゲームといった創作ものでよく登場するような『そういったキャラ』に燈和を当てはめることで、俺の理想の幼馴染像としていた。
『燈和のようなキャラはこうあるべきだ』と自分で勝手に思い込み、そんな彼女が忘れ物を重ねることを許せなくなってしまったのかもしれない。
もし本当にそうであるなら最低だが、このときはその『押し付け』が良い方へ転んだのだった。
疑念を募らせた俺は、二週間ほどが経った同じく登校中に聞いてみた。
「なぁ燈和、お前最近忘れ物多くね?どしたん」
「・・・え?ああ。ちょっとね。最近部活が忙しくって、疲れてるのかも」
片手で自分の髪を弄り、歯切れ悪そうに言う燈和。
俺は十中八九、嘘だと言うことを確信した。
燈和は嘘をついている時に関わらず、何か気まずいことがあるとその長い髪を弄るのが癖である。
この問いで気まずくなる原因は何か隠し事をしているか、単に忘れ物が多いことを言及されて恥ずかしがるかの二択だと思うが後者は無いだろう。
何故なら燈和であれば俺に言及された時点で「うっさいわねアンタよりはマシでしょ⁉︎」とキレるのがセオリーであるから。どんなに疲れていようが、先のようなしおらしい反応を燈和はしない。俺の心の中の燈和はこんなんじゃあ無い。
しかし俺は抑える。
「ふーん、そっか。・・・あんま無理すんなよ」
「うっさいわね。親かっつーの」
「・・・」
心なしか、ツッコミのキレも悪い。少なくとも、俺の知っている燈和では無い。
そしてこの日も燈和は上履きを忘れたと言った。こんな話をした直後なのに。
続けて、こうも言った。
「明日からは朝練無くても、私一人で登校するね。早く登校するようにすればこうやって忘れ物があっても気づいて取りに行けるでしょ?それにアンタを付き合わせるのは悪いから」
らしい。
ここでも俺は素直に聞き入れた。
絶対におかしい。何かを隠してる。
これだけは確かだった。
その日の放課後に俺は力己、茈雨、ユミにそれぞれ個別で聞き込みを行った。
とはいえこの中で燈和と同じクラスなのは俺だけだし、部活動もバラバラである。
「トーカに変わったこと?無いけどこれ以上怖くなるのだけは勘弁な!約束してくれ!」
「・・・?髪の毛が...ちょっと伸びた?」
「トーカちゃん?うーん...あっ、そうそう‼︎声変わりしたと思うんだ!ヒョーくんも気づいてたんだ流石だね!」
といった具合で、どうやら燈和の異変に気づいているのは俺だけのようだった。
裏を返せば『俺だけが燈和を確認している時以外』は普通であると言うことだ。
俺だけが燈和と関わっている場面といえば、授業や給食といった基本的な学校の時間と一緒に登校している時しか無い。だがそこでも原因らしき原因は見当たら無い。
つまりは、同じクラスの俺ですら確認できない学校の時間に原因があるのでは無いか。
-部活、か?-
そう思った俺はすぐに体育館へと向かった。
シューズが床に擦れる、体育館部活特有の音が心地よく響く中、燈和は飛んでいた。
彼女はバレー部に入り、二年生ながら持ち前の運動神経で既にスタメンだと言う。
燈和に気づかれないように、体育館の二階ギャラリーの隅で静かに見守るも、特段変わった様子は無かった。
コートに立つ六人の中で少し、孤立しているようにも見えたが先入観から来るものなのか判断ができない程度でもあった。
そういえば、大会以外で燈和がバレーボールをする姿をこうもまじまじ見るのは初めてかもしれない。
-なんか....-
「楽しそうじゃ、無いな...」
気づけばボソッと口にしていた。
結局その日に変わったことは起きず、また一週間が経過した頃。
俺は珍しく早起きをした。
あの日から一週間経ったということは、今日は俺たちが一緒に登校するはずの日である。
燈和は学校へ早く行くと言っていたが、俺がそれよりも早く学校へ行っておどかしてやろうと考えたのだ。当然、悩んでいる燈和を少しでも笑わせたいというのが主たる目的である。
そしていつもより一時間も早く学校へ着いた俺は身を隠すため、燈和が上履きをしまう下駄箱列の裏の列へ回り込もうとする。
その過程で燈和の下駄箱の中を見るのは至って自然な流れであった。
「え、持って帰ってるんじゃ無いのか?」
そこにはしっかりと燈和の上履きが収納されていた。
ここ最近の月曜、燈和は確実に上履きを忘れ、その度に「家に忘れた」と言っていたので不思議に思った。が、忘れるのが嫌だから置いて帰るようにしたのかな?と納得し、裏の下駄箱列の床に座り込んだ。ここで身を潜めていればまずバレることはないだろう。
それから十分ほどが経過した頃だった。
「なぁおい〜、今日はどこにすんよ?」
静かな玄関に女性の声が響くこととなる。
燈和では無いことはすぐに分かり、一人でもないようだ。足音は下駄箱を背にして座り込む俺の真後ろで止まる。
初めは「何かの部活の朝練遅刻組だろうか?」と思っていたのだが、彼女たちの話している内容的にはどうもそうでは無いらしい。
「え〜?トイレはこの前ので制覇したろ?・・・あっ、ゴミ箱とかどうよッ⁉︎」
「うっわ、まじ引くわァ。りなチー最高〜。じゃあさ、まずは美術室じゃん?遠いし」
そんな会話の後、彼女たちは高笑いをしてゆっくりとその場を去って行く。
意味の分からない会話ではあったが、気になった俺はこっそりと下駄箱の影から彼女たちの後ろ姿を確認した。
金髪に染められたロングヘアーを下ろした女子生徒と、黒髪ショートカットの女子生徒の二人組だった。
違和感を覚える。
-見たことないなぁ...誰だろう?・・・ん、待てよ?俺や燈和の上履きがある下駄箱らへんで止まったのに俺が見覚えないなんておかしくないか?同じクラスの人間以外、そこで止まる必要なんてないじゃんか-
「・・・⁉︎」
嫌な予感がした俺は音を立てないように立ち上がり、裏の下駄箱列へ回り込む。
「ッ⁉︎」
俺のクラスは32人だ。
下駄箱には32人分の上履きが収納されているのが普通である。俺が先ほど見た時にも例外なく32足が綺麗に入れられていた。
30。
それが今ある、上履きの数。
抜けているのは俺の上履きと、そして『野崎』の名札が付いている下駄箱の中にあったもの。
「・・・そういう、ことか」
俺は沸々と込み上げる怒りを抑えて、冷静な判断をするように努める。
感情のコントロールはあまり得意では無いが、今はそれよりもやるべきことがある。急いでリュックを開き、学校から支給されているタブレット端末でビデオ撮影を開始する。
-アイツら、美術室とか言ってたか?-
あのクソ野郎共の正体をなんとしてでも暴かなければいけない。証拠を得なければならない。
そう思った俺はすぐさま彼女たちが消えて行った方へ追跡を開始した。
奴らはこそこそする素振りを何ら見せずに、デカい話し声を垂れながら歩いていたので尾行は容易であった。よく見ると、金髪女の手には燈和のものと思われる上履きも確認できた。気づかれないように、冷静にその姿をビデオに収める。
しかし、その会話の内容が俺を狂わせる。
「野崎の奴、さっさと懲りろってんだよな?マジしつこ過ぎんだどウッぜぇ〜」
「んな?こんだけやってんのにまだ食い下がって来やがるの生意気過ぎでしょ。少しは先輩を立てろっての」
「バカ、言ってやんなよ!だからチームで浮いてんだろ〜ってね?アハハハ‼︎」
「あんたエッグ....」
「・・・ッ‼︎」
今にも飛び出してブン殴ってやりたいと思ったが、必死に堪える。
俺がここで飛び出して行っても何にもならない。今出来ることは、ひとまずアイツらの正体を暴くこと。これが分からなきゃ何もできない。
拳を握り締め、自制に注力する。
そうして彼女たちは三階にある美術室へ入る。
俺は美術室の手前にある曲がり角でそっと耳を立てる。
「さぁ小林選手、高く飛んだー‼︎・・・か〜ら〜の〜....ダ〜ンク‼︎綺麗に決めました。今のお気持ちは?」
「えー、人生初ダンクでしたが、クセになりそうです。明日が楽しみですね‼︎」
「おいバカ明日はアタシがすんだからな⁉︎」
「はいはい、分かってるって。んじゃ教室行こうぜ〜」
「クッソがッ....‼︎」
あまりにも生々しく、ドスの利いた悪を目の当たりにした俺は気が気では無かった。更にその悪は、俺の大事な人へ向けられている。
-絶対潰す-
そう決心し、美術室から自分らの教室へ向かう彼女たちをつける。
恐らく美術室のゴミ箱に捨てられているであろう上履きは一旦無視する。今彼女たちを見失っては全てが水の泡だ。
完全無警戒の二人はよく分からない話をしながら、同じく三階にある教室へと入って行った。
『3-B』
それが奴らの学年とクラスらしい。
とはいえ、もうそんなことはどうでも良い。このビデオさえ教員に提供できればアイツらは終わる。直接的な暴力はしてないにしろ、とても悪質なことに変わりは無い。
静かに勝利を確信していた、その時だった。
「なぁ、お前。さっきからなにやってんの?」
「え...?」
突如、後ろから声をかけられた。
振り向くと背の高い、チャラそうな男が立っていた。少なくとも知り合いじゃ無い。
あまりにも突然のことに言葉を失う。
それに構わず、男は何かに気づいたように俺を指差す。
「・・・あっ⁉︎お前氷戈君でしょ?燈和ちゃんと仲の良い」
「え、な...なんで」
なぜか自分の名前を知られていることに再度驚くが、男はそんな隙も与えない。
「なんでお前がリナとマナの跡を付けて動画なんて撮ってるん?ストーカー?」
「ッ⁉︎」
-ていうことは俺もこの人につけられてたってことか⁉︎集中し過ぎて全然気づかなかった。・・・アイツらの名前を知ってるってことは同学年で同じクラスか?いや今はどうでもいい。とにかく上手く誤魔化さないと-
テンパっていたのもあるが男の圧も相まり、俺はここでコミュ障が発動してしまう。
「そ、そんなんじゃ無いですよ....これは、その....」
「なになに?すんごい怪しいじゃん?」
-くっそ⁉︎何も思い浮かばない!・・・とはいえ悪いのはアイツらだし、本当のこと言えばこの人も分かってくれるんじゃ-
そんな甘い期待を込めた思惑は儚く散る。
「あんのさ。君がどこまで知ってるのか分からないけど、もしあいつらのストーカーだったら俺、許せねぇんだけど?」
「は、はい?いやホントに違いますって!寧ろあの人たちのことは嫌いなくらいでッ‼︎」
「なんか騒がしくね?」
「アタシら以外にこんな早くから、誰やろね?」
-マズいッ‼︎-
まだ学校が始まるまで三十分以上ある校内が静かなのは当たり前であり、俺とこの男の会話が響いてしまうのは免れない。
これに気づいたであろう『リナ』と『マナ』の二人がこちらへ向かってくる気配がした。
-こんなアウェイの中、三対一になるのは絶対マズい‼︎この動画が残っていたらヤバいのはアイツらだから間違いなく消させに来るだろうし、希望だったこの男も怒ってるってことはどっちかの彼氏っぽいから助けは望めないし‼︎-
考えれば考えるほど絶体絶命だった。
しかし。しかしである。
この動画が消えればアイツらを訴えるための証拠がなくなってしまう。これが無ければアイツらはどうとだって言い訳が出来るし、燈和への嫌がらせもより陰湿になるに違いない。
-そうだ。燈和はこんな奴らに上履きを隠され、その度に校内を一生懸命に探し回り、トイレに捨てられたそれを一人で綺麗にして、受けなくとも良い遅刻の処分を受け、理不尽に叱られていたんだ。消しゴムや教科書だってきっとこいつらの仕業だし、他にも何かされているかもしれない。気の強い燈和が言い返したり、誰かに相談もせず一人で抱え込んでいるのを考えると、何か弱みだって握られているかもしれない....-
「・・・」
-そんなこと....そんなことッ!!許されていいはず無いだろうがッ!!?今俺が燈和を守ってやれずに、いつ守れるって言うんだよッ!?-
覚悟を決めた氷戈は決死の行動に出る。
「ッ‼︎」
「あッ‼︎おいテメェ待ちやがれ⁉︎」
逃げる。
否、目指すことが、絶体絶命の俺が取った行動であった。
職員室にまで行ってしまえば全てが解決する。
そう考えた俺は踵を返して階段まで全力ダッシュをする。
ここは三階で、職員室は一階。かなりの距離があるが、もうこの手しか残されていなかった。
当然、男は俺を追いかけて来た。あまりに突然のことであり、彼のスタートダッシュは遅れたように見えたが、それを感じさせないほどに距離を詰められることとなる。
男は見た目通り足が速い上、俺はリュックを背負い片手にはタブレットを持っている。追いつかれるのは時間の問題だった。
「くっそッ!」
俺は階段に差し掛かる手前で、決死の覚悟で背負っていたリュックを男へ向けて投げつける。
ところが所詮、付け焼き刃の策。多少驚いていたようではあるが、すんなりと弾かれてしまう。
身軽になり、ほんの少し距離は稼げはしたが依然、距離を詰められるのは変わらない。
「待ちやがれ!ストーカー野郎⁉︎」
互いに階段を下り始め、決死の鬼ごっこはデッドヒートを極めた。
二階の床が見え、その階段を半分ほど降りた時。
俺は残り数段をジャンプでやり過ごすと同時に振り返り、手に持っていたタブレットを男の顔面目掛けて投げて見せた。
男も勢いに乗っていたことに加えて距離が詰まっていたこと、手放すはずのない物を投げ付けられるいう条件が重なり、防ぐことは叶わなかった。
「痛ッ⁉︎」
流石のダイレクトヒットに男も足を止める。
対する氷戈は勢いよく後ろ向きで着地したため、数回後ろに転げながらもすぐに立ち上がり階段を下る。
男は顔をさすりながらも、氷戈を追うことを諦め、側に落ちたタブレットを拾い上げる。
「ったく、顔も名前も割れてるってのにどこ逃げたって無駄だろうが。・・・それに、これは
男が拾い上げたのは殻、つまりはタブレットのケースであった。
氷戈は刹那の思考で『足止め用の攻撃』と『自分を追う理由を一瞬でも削がせる陽動』の二つを兼ねた手段を思いつき、実行に移したのだった。
これにより俺は、無事に職員室まで証拠を持っていくことに成功したのだった。
その後は早かった。
二人は生活指導のお世話となり、全てが明るみとなった。
どうやらこの二人もバレー部だったらしく、二年生にして自分らを差し置きスタメンで活躍する燈和のことが面白く無かったという。日に日に募る不満によって陰口や嫌がらせが始まったが、そこに追い打ちをかけたのが俺を追って来た男であった。
二人の内の一人が男子バレー部であったこの男に好意を寄せていたらしいが、一方で男の方は燈和に好意を抱いており告白までしたという。燈和はこれを断ったようだが、それを知った女子生徒は酷く自尊心が傷つけられた気となり、嫌がらせがエスカレートしていったというのがあらましだ。
彼女たちは停学及び停部処分を下され、三年生最後の大会への出場は不可能となった。加えて一人は推薦が決まっていたが、取り消しとなる。
俺の思った通り、嫌がらせは物を隠すだけにとどまらず金銭の強奪や暴力にまで発展していたというので当然である。
俺と燈和はその日に授業を受けることは殆ど無く、教員からの事情聴取によって一日を終えることとなった。
被害者である燈和はまた別に話が行われ、俺はそれが終わるのを部屋の外でずっと待っていた。
しばらくして、部屋から燈和と担任が出て来た。
燈和はこちらを見て驚いたように言った。
「え...待ってたの?」
「おうよ」
頷く氷戈を見るや否や担任は頭を下げてきた。
「無連、俺の代わりに気づいてくれて本当にありがとう。こんなことにも気づけないよなら教師失格だ」
「いやいや、こいつを一番近くで見ている俺ですら気づけなかったんですから先生じゃ無理ですって」
「な...?そ、それはフォロー....なのか?」
深々と頭を下げた担任は氷戈の思いもよらない発言にキョトンとする。
すかさず燈和が割り込む。
「あーもう、よくもまあそんなことを真顔で言うんだからこのバカは。・・・先生、大丈夫ですよ。これはこのバカなりの気遣いですから」
「お、おう。そうなのか....」
燈和のフォローも虚しく、ぽかんとし続ける担任だったが、気を取り直し溌剌とした声で言った。
「よし、そういうことなら無連よ。今日は野崎を送ってやるんだぞ!」
「はい?元からその予定でしたけど?.... 行こう燈和」
「・・・」
どうにも噛み合わず、呆然としている担任に燈和は一礼すると氷戈を追って玄関口へ向かった。
「あれで全くその
どこか不満げに呟く担任であった。
無言で帰路につく二人。
思えば、二人きりで帰るのなどとても久しぶりな気がする。
燈和は何な物憂げな表情で、歩いている。
少しして、燈和は歩みを止めて言った。
「ねえ、あっち」
彼女は帰路から少し外れた道を指差していた。
俺はこの意味を汲み取る。
「ん?ああ、さえずり公園?」
そこは俺たち幼馴染が幼い頃よく利用した公園で、たくさんの思い出が詰まっている場所でもある。最近利用することはめっきり無くなったが、それでも二人で小話をするのには適した公園だ。
燈和は頷き、その方向へ歩き出す。氷戈は追う。
公園に着き、流れで空いているベンチに横並びで座った。
静かに時間が流れる。
濃いオレンジ色の光を指す夕日が、哀愁を醸した。
ゥ...クス......ン.......
「・・・」
彼女の頬を伝うそれは、橙色に光り輝く宝石のようだった。
静かに滴り落ち、一滴、また一滴と溢れる。
-ずっと...燈和を見て来たはずなのに、お前のことなんでも理解しているつもりだったのに、分からなかった。・・・知らなかった。こんな顔、するんだな....-
氷戈は見たこともない燈和の姿を黙って見ていた。すると燈和は
「ゥッ....見んなって、バカ....」
「いや、燈和が泣いてるところなんて滅多に拝めないからさ」
「ホントに....バカよ、アンタ。・・・でも、さ」
「?」
「ホントに....ありがとう....」
「・・・うん。まあ、あれだな。この俺に隠し事は通用しないってことよなガハハ」
「・・・ふふ、ホントにバカなのはどうしよもないわね。アンタも...私も」
泣きじゃくりながらも、笑顔を見せた燈和に安心する氷戈。
-知らない方が良かったかもしれない。・・・でも知ってしまったからには、もう二度とあんな顔させないようにしねぇとな。じゃないと幼馴染失格だぞ、俺-
「お、俺はともかくお前は自信持てよな‼︎・・・お前に告白したっていうあの先輩、結構モテるって聞いたよ?そんなんに好かれるくらいなら自信持って良いだろスゴイぜ‼︎」
「...ヵ」
「え?なんて?」
ここで氷戈はずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。
「そういえばさ、なんで担任や俺たちに相談してくれなかったのさ?」
「・・・それは....迷惑、かけたく無かったから」
「え?どういう」
「あの二人に『もし誰かにチクったらオマエの大事な人にも同じことするからな?』
って言われて....」
「あのクソ野郎共、やっぱりその弱みに付け込んで」
「やっぱり?その?」
「え?うん。だって燈和、先輩に告白された時『私、好きな人居るので』って言ったんだろ?この話知ってるあの二人ならそこに付け込んで口封じするでしょ普通」
「・・・」
「しっかし意外だなぁ。あの堅物だった燈和さんも遂におませちゃんと来ましたか」
「...ロス」
「え、なんて?」
「コロスって言ってんの待ちなさいバカッ‼︎そんなの断るための口実に決まってるでしょ⁉︎」
「うおヤベッ⁉︎鬼タイムの始まりだ!にっげろーい‼︎」
幼子のように、無邪気に公園を走り回る二人。
いつかの光景と重なって見える中学二年生の男女の姿は、童心の、そして友の素晴らしさたるやを教えてくれるようだ。
夕日が暮れ、辺りは闇に染まり始める。
徐々に増す影を踏みしめ、吐き捨てるような独り言。
「何が隠し事は通用しないよ...バカ...」
電灯が燈った。
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