第4章 竜王ケルレウス【3】
城のバルコニーに出ると、ケルレウスは遠くに見える山を指差した。
「あの最も高い山が私の住処であるテトリ山です。私の封印の地でもあります。竜族がよく花を持って訪れたものです」
テトリ山は、ここから徒歩で向かうにはあまりに途方もない距離であることがよくわかる。竜であれば簡単に越えられるのだろう。
「いまは竜族はどうしてるの? 王が山を離れてしまっているけど」
「私は初めから居ないようなものでしたから。竜族は私の復活を喜んでいますよ」
亡霊王の記憶を探るエヴィヘットに、グラディウスが優しく微笑んだ。
「竜王はもともと竜族を統治していたわけではありません」
「そうなの?」
「はい」ケルレウスが頷く。「ただ王として存在していただけです。竜族の象徴のようなものですね」
エヴィヘットはケルレウスが姿を現したときのことを思い浮かべる。上空を飛ぶ黒い竜は遠くから見てもわかるほど強大で、おそらく竜族の中で最も大きな個体なのだろう。
「他の竜族は魔族を食べないの?」
「普通は食いません」グラディウスが苦笑する。「だから亡霊王殿下は竜王を封印されたんです」
「人間や魔族が主食だって言ってたけど……」
怪訝な視線を向けるエヴィヘットに、ケルレウスは爽やかに微笑んで見せる。
「昔の話です。百五十年前は人間や魔族を食っていたのは私だけです」
「そう……」
「いまは反省しております。エヴィヘット殿下の眷属として認めていただけるよう尽力します」
「これからの働きに期待しておくよ」
どうすればケルレウスが自分の眷属として認められるかをエヴィヘットは知らないが、フォンガーレがそれを判断するなら、フォンガーレに任せておけばいいのだろう。エヴィヘットは王と称されるには未熟だ。まだ誰かを自分の配下とするということの想像が付かない。しばらくはフォンガーレの指示に従うべきだろう。
* * *
夜、エヴィヘットはフォンガーレの寝室に向かった。勇者三人組との隷属契約について話さなければならない。いまだフォンガーレと会うことには少しだけ緊張してしまうが、あの三人を牢から出す以上、フォンガーレへの報告は必須だ。それはエヴィヘットの口から伝えなければならない。緊張を乗り越える必要があるのだ。
フォンガーレの寝室に到着すると、アイシャは辞儀をして下がっていく。エヴィヘットは緊張したままドアをノックした。部屋の中から聞こえた返事でドアを開くと、フォンガーレはベッドで本を読んでいる。本を畳んだフォンガーレは、自分の横にエヴィヘットを促した。
「あの三人との隷属契約を決めたそうだな」
フォンガーレが、エヴィヘットの肩に腕を回しながら言う。エヴィヘットはいまだ自信を持てずに俯いた。
「勝手な判断をしてすみません」
「構わん。お前が王として判断したことだ。竜王のような権威ある者との契約は私が決めるが、それ以外はお前自身が決めるといい」
優しく言うフォンガーレに、エヴィヘットは安堵の息をつく。責められるようなことはないと思っていたが、叱られることはあるかもしれないと思っていた。
「お前は私の従属だが、王である。勝手な行動だとは思わん」
「ありがとうございます。でも、僕は人間に対して慈悲を与えてしまいました。陛下を害そうとしていた者たちに……」
「それがお前らしさなのだろう。私に否定するつもりはない」
エヴィヘットは小さく頷いた。王としての自信はいまだ身に付いていないが、これから成長していくしかないだろう。
「慈悲は無駄なものではない。だが、時には切り捨てることが必要になる場合もある。お前が間違った判断を下したときには私が止める。お前の思うようにやってみろ」
「はい……ありがとうございます」
それじゃあ、とエヴィヘットはベッド降りようとした。おやすみの挨拶をしようとしたところで、フォンガーレがエヴィヘットの腕を掴む。
「ここへ来て話をして終わりということはないだろう」
フォンガーレが不敵に微笑むので、ひえ、とエヴィヘットは短い声をもらす。やはり話をして終わりというわけにはいかないらしい。覚悟してはいたが、実際にこうして引き留められると、やはり覚悟などできていなかったと実感した。
* * *
翌日、エヴィヘットと勇者三人組の隷属契約が城の聖堂で行われた。エヴィヘットのそばにはグラディウスとケルレウス、ヴォラトゥスが控えている。勇者三人組は憂鬱な表情でエヴィヘットの前に並んでいた。
「隷属契約は甘いものではない」
エヴィヘットは精一杯の威厳を湛えながら口を開く。もとの世界では、この三人にこんな態度を取ることはできなかった。
「僕が自害しろと命じたら自害する。そして、僕や魔王陛下を傷付けることはできない」
三人は顔を青くするが、この場で抵抗することは叶わない。ここにはふたりの王がおり、王の剣たるグラディウスもいる。ヴォラトゥスも充分な実力を持っている。ここで彼らに剣を向ければ、二度と生き返ることはないだろう。
「この城には、きみたちの敵しかいない。魔王陛下を討伐するつもりで来たんだから当然だ。僕に従うことが不服なら……牢屋暮らしのほうがマシだと思うならそれでいい。それでも、僕に跪くことができる?」
三人は視線を交わしつつ黙っている。もとの世界で見下していたエヴィヘットに跪くことは、プライドが切り裂かれるほどに傷付くことだろう。それでもこの場において、エヴィヘットを罵ることも陥れることもできない。彼らの苦痛はエヴィヘットにかかっている。もしここで拒絶すれば、牢屋暮らしに逆戻りなのだ。
「これは亡霊王殿下の慈悲だ」グラディウスが言う。「この先、きみたちにこの機会は二度と与えられない」
考え込むように黙る三人だが、ややあって、タクヤがその場に膝をついた。エヴィヘットに対して跪いたのだ。ミカコとタカオも顔を見合わせ、それに続いた。この世界で生き抜くためにはエヴィヘットに従うしかないということを理解したのだ。
エヴィヘットは祈祷台に用意されていた三つの腕輪に手をかざす。エヴィヘットの魔力が注がれた腕輪を、ヴォラトゥスが三人の腕にそれぞれ嵌めた。この腕輪は自分で外すことも破壊することもできない。万がいちそれができたとしても、その瞬間に命を落とす。ヴォラトゥスがそう説明すると、三人は重々しく頷いた。
「僕がきみたちに求めることは何もない」エヴィヘットは言う。「例えこの城で誰かに剣を向けられても、自分の身は自分で守ること。この城で安全地帯は用意された部屋だけ。僕にはなるべく関わらないようにして」
三人はただ黙ってエヴィヘットの言葉に耳を傾けている。おそらく言われなくてもわかっているだろうが、隷属契約にそれを刻み込む必要があった。
「もし謀反を起こそうものなら」ケルレウスが言う。「私の腹の中で溶けてもらいますよ」
それは三人にとっては充分すぎる脅しであった。徐々に体が溶けていく苦痛は、剣で首を斬られることより壮絶だろう。それは想像に易い。ただの脅しでないことも理解しているはずだ。
「いずれきみたちをここへ向かわせたのが誰なのか吐いてもらうよ。それできみたちが命を狙われても、僕はきみたちを守らない。きみたちはそれだけの罪を犯した。まずはそれを自覚するといい」
彼らはすでに、異世界転移したことを後悔しているだろう。それももう遅い。彼らはエヴィヘットの命を犠牲にして異世界転移した。ただの道楽がこの結果を生み出すことなど、想像すらしていなかっただろう。彼らは愚かと言わざるを得なかった。
エヴィヘットは、きっと謀反を起こす者は魔族の中からも出て来るはずだと考える。そのとき、自分が正しい判断を下すことができるか。例え自信がなかったとしても、できるようにならなければいけない。それが亡霊王の称号を冠したことの宿命なのだ。
亡霊王の目覚め~転生したら最強の騎士だったので勇者パーティを全滅させてみた結果、魔王に溺愛されるようになりました~ 瀬那つくてん(加賀谷イコ) @icokagaya
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