三十三話 進行する不安
冷静さを保ちながら、千依は黒髪切を見据える。
……でも、この廃寺は今、三智鷹様が編んだ陣による結界が張られている。私でさえ、本気を出さないと破れないくらいに強固な結界だから、黒髪切もそう簡単には逃げられないはず……。
力を得た黒髪切が次はどんな行動を取るのか分からない。
人を傷付けることを躊躇わない性根をしていると分かっている以上、ここで討っておかなければ後々、人々を危険にさらすことになるだろう。
ならば、もう力を抑えておく必要はないと判断し、千依が戦闘態勢を取ろうとした時だった。
黒髪切の鋏のような手がこちらへと矛先を向けたことに気付く。
奴は力を抑えている千依がこの中で最も弱いと認識し、食らうことで更に強さを得ようと考えたのだろう。
「っ……!」
目にも止まらぬ速さで髪を一瞬にして切っていく鋏ならば、千依の首を搔き切れるに違いない。
……正直、ぎりぎり……!
三智鷹に貰った「防護の陣」の霊符はすでに効力を失っているため、あてには出来ない。
身を守るための結界を形成するのが先か、それとも黒髪切の鋏が千依へと到達するのが先か──。
そんなことを考えた時だった。
「──
その場に、三智鷹の声が響く。
千依達の足元から生えてきたのは、半透明の糸だった。その無数の糸は一瞬にして黒髪切の体を覆い、縛っていく。
『むっ、そんなもの、二度と効かな──なっ、ぐっ、うぅぅ……!』
強くなった己を試そうと鋏で糸を切ろうとしたのだろう。
しかし、黒髪切の鋏は無数の糸を断ち切ることが出来ずにいた。
……なるほど。結界を張るための陣を編んだ時に、念のために捕縛の陣も仕込んでいたんだ……。
さすがは「陣宿しの拝上」。一つの陣に二つの術を織り交ぜるなど、並みの者では出来ないだろう。
三智鷹はゆっくりとした足取りで黒髪切へと近付く。
「約束を、破ったね?」
彼から放たれたその一言はぞっとする程に冷たかった。
「さっき、お前は二度と人間を襲わないと言っていた。……それを自ら破ったんだ。覚悟は出来ているだろうね?」
『ひっ……』
黒髪切も手を出してはいけない相手だということに今更、気付いたらしい。
どうにか逃げようともがいているが、奴を縛る糸はどんどん強まっているようだった。
恐らく、この妖が滅されるまで、糸が消えることはないのだろう。
三智鷹は右手で印を結ぶ。
そして、一閃を切るように横に薙いだ。
「──
瞬く間もない僅かな時間。
発せられた言葉に従うように、黒髪切を縛っていた糸が眩しく光り出す。
『ぎゃぁあぁっ……!』
まるで生きたまま熱に溶かされているような、廃寺を揺らすほどの激しい悲鳴が響く。
その眩しさに千依がほんの少し目を瞑れば、黒髪切の姿は消滅していた。
同時に奴を縛っていた糸も消えている。
三智鷹はふぅ、と息を吐いてから千依の方を見てくる。
そこにはいつもと同じ雰囲気を纏う三智鷹がいた。
やはり、妖と相対する時だけ、彼は冷めた雰囲気を纏うようだ。
「すみません、若! 黒髪切が逃げ出す機会を与えてしまって……。奥様も怪我はございませんかっ」
焦った様子で織人が駆け寄ってくる。千依は大丈夫だと伝えるために、力強く頷き返した。
三智鷹も軽く肩を竦めながら、苦笑する。
「いや、元々、滅するつもりだったからね。……あの手の妖は狡猾で口が上手いし、自分が優位に立つためならばいくらでも嘘を吐くだろう。……まぁ、全てが嘘だったというわけではなさそうだけれど」
そう言って、三智鷹は黒髪切のねどこへと視線を向ける。
「……何者だったんでしょうね。黒髪切に命じていた妖って……」
「少なくとも、こちらの気配を事前に感知して黒髪切を切り捨てて、素早く逃げるだけの用心深さはあるみたいだ」
「けど、人間の髪を食うってことは……力を補充していたか、もしくはさっきの黒髪切みたいに強くなりたかった、のどちらかでしょうねぇ」
織人は黒髪切のねどこに何か証拠が残っていないか、入念に調べながらそう言った。
「織人、詳しく調べるのは明るくなってからにしよう。こうも暗くては、見落としかねないからね。何よりここは足場が悪いし、床が抜ける可能性もある」
「それもそうですね……。明日、調査する者を数名、この廃寺に派遣しますか」
織人の返事に三智鷹は頷き返し、廃寺を囲うように編んでいた陣を解除した。
「ほら、千依さん、帰るよ。今日の夕飯は、コロッケだって厨房の者が言っていたよ」
「コロッケ! それって油で揚げる、さくさくしたやつのことですか! 一人、いくつまで食べていいんですかっ」
三智鷹から知らされた情報に、思わずぱぁっと笑顔になってしまう。
「いくつでもいいけれど、油を使っているから食べ過ぎると太るよ? あと、この前の豚カツの時みたいに胃もたれするかもしれないから、程々にね」
「うっ……。分かりました。では、三個までにしておきます……」
千依の言葉に、三智鷹はくすくすと楽しげに笑ってから、廃寺の外に出ようと歩き始める。
「何にせよ、黒髪切が起こしていた事件はこれで終わりだろう。……ただ、奴の背後にいた妖が別の動きを起こす可能性も考慮して、『祓の会』には連絡し──」
そこで、三智鷹の言葉は途切れた。
彼は廃寺の戸へと手を添えたまま、がくりと膝を折り、体勢を崩していく。
「……三智鷹様っ!?」
「若っ!?」
咄嗟に駆け寄った千依は、彼の様子を確かめるために三智鷹へと触れた。
──ばちっ……!
だが、その瞬間、千依の手は三智鷹から弾かれてしまう。
……っ! これが、三智鷹様が言っていた「呪い」……!?
弾かれた手には鈍い痛みが残っている。
何より彼に触れた時、そこにはいない「もの」から拒絶されたような、妙な感覚を抱いた。
だが、こんな痛みよりもこの場に倒れている三智鷹の方が辛そうな表情をしている。
彼は左手で胸元を掻きむしるように掴んでおり、その息は浅い。
「……っ」
その姿を見た千依は、彼から「死」に近いものを感じ取り、ぞわりと震えそうになった。
「大丈夫ですかっ、三智鷹様……! ……織人さん、これは一体……!?」
「奥様、若に触らないようにお気をつけ下さい。……恐らく、呪いが進行したのでしょう」
「はっ……? 進行って……」
どういう意味かと問いたかったが織人の表情は険しく、曇っていたため、それ以上をこの場で聞くことは出来なかった。
織人は三智鷹の傍に跪き、その様子を確認している。
三智鷹からの反応はなく、気を失っているようだった。
「奥様、俺が若を運びます」
織人は冷静に見えるが、その顔の強張りは先程から消えていない。
「今、式で拝上家の屋敷に連絡を入れたので、迎えの車が来ると思います。ただ、この廃寺までの道のりは複雑なので、先に大通りの道へと出て、車をここまで先導していただけませんか」
「わ、分かりました……!」
不安が胸の中をぐるぐると渦巻くも、千依は出来ることをやろうと動きだす。
それでも、三智鷹がこのまま目覚めないのではという恐怖が拭えることはなかった。
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